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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年08月27日

メディカルパック

はじめに

シリアでジャーナリストの山本美香さんが死亡しました。戦場の取材には死の危険が潜むことは当然で、山本さん自身も理解はしていたと思います。それでも山本さんの死はくやしいです。
山本さんのように、敢えて危険を冒してでも、戦場の様子を世界に伝えるジャーナリストたちがいるからこそ、平和な地域にいる我々は戦場をかいま見ることができます。崇高な存在だと思います。

それでは、アフガン連載のつづきをどうぞ。

――――――――――

VABの準備を中断し、我々衛生兵がバックパックに収納する医療品を支給してもらいに行った。私が受け取った医療品はだいたい以下のとおりだ。

・点滴キット2個(出血多量や脱水症状などの患者に施す)

・BIG(=Bone Injection Gun スネの骨の上部に釘のような点滴用の針を打ち込む道具。例えば、火傷などで皮膚が損傷し、通常の点滴を打つ部位にカテーテルを刺せない場合など、BIGを使用し、骨髄へ点滴をする)

・気管切開キット(気道確保がうまくいかない場合、喉に小さな切込みを入れ、チューブを気管に直接さし込む)

・縫合キット

・ガーゼ

・バンドエイド

・医療用の使い捨てラテックスグローブ

・包帯

・医療用テープ

・抗生物質

・注射器/注射針

・サムスプリント(副木の一種)

・ブリザード・パック(日本のモンベル社と英国のマウンテン・イクイップメント社が共同開発した、保温性の高いエマージェンシー・ブランケット)

・薬品(頭痛薬、下痢止めなど)

・1回使いきりの容器に入った消毒剤

・バーンシールド(大きな冷湿布のようなもので、火傷に使用する)

・イスラエル製の圧迫包帯(パッドの大きさが17㎝×13㎝のもの)

・イスラエル製の圧迫包帯 大サイズ(腹部一面が覆えるほどの大きさ)

・三角巾(軍用品なので深緑色)

・クイッククロットACS+(大きなティーバッグのような医療品で、出血多量の部位に押しつけ、血液を凝固させる。私はこれを1個だけ支給され、アーマーのメディカルポーチに収納した)

だいたい、このような感じだ。

これらをミッサニは、いくつかのビニール製の透明ポーチに入れ、支給されたキャメルバック社製バックパック「BMF」に収納した。私は、持参したイーグル社製A3メディカルパックMOLLEのレンジャーグリーン色に収納した。

このA3パックは、私が衛生兵になった2か月後の2007年2月にアメリカから通販で購入した。内部に多くのポーチが配列されていて、医療品を効率よく分けて収納できる。フランス国内の訓練をはじめ、東アフリカ・ジブチの砂漠、中部アフリカ・ガボンのジャングルでも使用し、使い慣れているし、信頼もできる。パラシュートでともに5回、降下したこともある。こいつをどうしてもアフガニスタンで使いたかった。

それらの個人用医療バックパックをVABに積み込み、軍医と看護官のバックパックも積み込んだ。彼らのバックパックには、ケタミンやアドレナリンなど、私が詳しい使用法を知らない物品も入っている。衛生兵が携行すべき医療品は明確に規定されていないが、重要なことは、「自分が使い方を熟知している医療品を携行する」ということだ。知らないものはバックパックを重くするだけだ。

こうしてVABは出動可能になった。

 
↑↓イーグル社A3メディカルパックMOLLEレンジャーグリーン
 

その夜、指揮小隊のブリーフィングのため、将校以外のメンバーが小隊事務室に集合した。ADU(中隊の最先任下士官)でイギリス人のウィルソン上級曹長が言った。

「明日の朝、タガブ谷南部にあるアフガン国軍のCOPフォンチーへ行く。今後、このCOP(前哨砦)に何度も行くことになるだろうから、ルート確認のために偵察をするのだ。戦闘任務ではないが、IEDなどに気をつけるように。なお、ウォーニングショットは禁止だ。あやしい車が制止の合図を聞かずに近づいてきても、撃ってはならん。地面だろうと、空中だろうと、撃つな。上層部が決めたことだ。」

イギリス英語なまりのフランス語の説明を聞いている我々の中から、「くそっ」と不平が聞こえた。そりゃあそうだ。突進してくる自爆テロに対して我々は無防備になったのと同じだ。私は感情的にならないように努め、禁止になった理由を考えた。

きっと、無実の民間人を兵士があやしいと判断し、ウォーニングショットを放ち、怒らせてしまい、現地民が敵側に味方するという事例が多発したのだろう。それなら仕方ない。「疑わしきは罰せず」だ。民間人は死ぬかもしれないという前提で生きてはいない。怒るのは当然だ。一方、我々兵士はそういう前提のもと、任務につく存在だ。

ウォーニングショットが禁止され、より危険になったが、受け入れるしかない。嫌だという者はダダをこねて、任務を休めばいい。フランス本国に戻され、営倉に入るだろう。交代要員はたくさんいる。

とにかく我々は、フランス政府が我々に期待することを実行するだけだ。いよいよ、明日の朝、FOBトラの外に出る。不思議と恐怖感はない。ほんの少し楽しみなだけだ。意外と落ちついたものだ。この目でこの国をしっかりと見てみたい。

つづく

今回出てきた「COPフォンチー」は仮名です。フランス国内のメディアで名称が出ているのを私が確認していない基地名は仮名にさせていただきます。FOBトラやCOPロコは実名です。

来週は連載を1回お休みさせていただきます。ご了承ください。

次回は9月10日月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(6)アフガニスタン

2012年08月20日

VAB出動準備

FOBトラの2日目、「明日、ちょっとした任務に出るから、装甲車を出動できる状態にしておけ」と命令を受けた。自分が運転を担当する装甲車「VAB」を受理した。「VAB SAN(ヴァブ・サン)」と呼ばれる医療用仕様で、後部内側には、救急車にあるような救命設備が備わっている。

酸素ボンベ、AED、火傷対策パック、外傷対策パック、薬品類など。担架も1つある。その担架は米軍が採用しているモデルなのだが、VABに配備されたとき、すでに中古品だった。ある下士官によると、米軍は一度負傷者を搬送した担架を廃棄するという。それらを仏軍が回収してきて、実戦に再配備しているそうだ。

VABの外側、車体の左面には、バスチョン・ウォール用の金網を切り出して、グニャリと曲げてこしらえたカゴが設置されており、折り畳んで横幅を縮めた担架が4つ、水平に収納されている。カゴは、前にいた医療班が作製してくれたのだろう。ありがたい。走行中の揺れで、落ちないように、数本のフック付きエラスティック・コードで担架を押さえてある。

医療班の車両であることを隠すため、車体に赤十字マークは描かれていないが、4つも担架が見えていると、誰にでも一目瞭然だ。敵にとって優先的な標的になる。車体全体に偽装ネットを張り、担架を見えないようにしたいが、今日は時間がない。

助手席の真上の砲塔に備えられた機関銃も、我々が医療班であることを暗示している。VAB SAN以外のVABには、車両整備班のVABも含め、12.7mm口径のブローニングM2(米軍でいうキャリバー50)が設置されているが、我々の機関銃は7.62mmのAANF1だった。

ジュネーブ協定か何かで、「医療隊員は自衛のための武器しか携行してはいけない」と決まっているからだという。仕方ない。AANF1はM2よりも、火力で劣るが、分解結合が簡単だし、手入れが速くできるからいいじゃないか。ここはポジティブに考えよう。

太陽がまぶしく暑い中、同じ班の衛生兵、アルジェリア人のミッサニ伍長とともに、班員4名分のラッション(携帯糧食)を3日分と、6本1組の1.5Lペットボトルのミネラルウォーター10組を、VABに積み込んだ。日差しが非常に強く、サングラスを持参しなかったことを後悔しながらも、我々はVABの準備を整えた。

ミッサニ伍長は私より3年ほど遅く入隊した。アルジェリアで獣医の勉強もしていたので、衛生兵という役職は彼にふさわしいと思う。そして何よりも私が気に入っているのは、彼の正義感や倫理観だ。命を大切に思い、他者を敬う。罵声を発したり、ものを盗んだりしない。医療倫理の教科書に紹介されそうな人間だ。

彼は健全な精神だけでなく、健全な肉体も持ち合わせている。身長は180㎝ほどあり、ベトナムの古流武術で鍛えたという筋肉は、ジャン-クロード・ヴァン・ダムを彷彿とさせる。顔もハンサムで、私はこんな完璧な人間とかかわると、いつもなら嫉妬により、気分が悪くなるのだが、ミッサニに対しては、そうならなかった。それくらい好感の持てる仲間だ。

←VAB SANと運転手である著者
←VAB SAN後部内側

←後部に装備されている医療品用シートバッグ
←シートバッグを開き、後部扉に掛けた状態。ちょっとした診療所のようになる。

←VABから遠くを見張るミッサニ伍長

つづく


  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2012年08月15日

タスクフォース・アルトーPart 3

はじめに

本日は終戦記念日。日本に今ある平和は大変ありがたいものだと思います。

さて、前回に引き続き、部隊構成の説明です。正直、つまらないです。書いていて面白くありませんでした。しかし、今回で説明は終わりますので、もう少しおつき合いください。
なお、今回の本文中でいくつかの仏軍階級が出てきます。階級制度が日本とフランスは異なるので、翻訳に困りましたが、ウィキペディアで説明されていた日本語訳を使わせていただきました。
それでは、どうぞ。

――――――――――

タスクフォース・アルトーの約800人のうち、REPの第2中隊と小規模の支援隊(工兵・砲兵・糧食・医療・他)の約200名は、FOBトラから北東へ数十キロの山岳地帯にある「COPロコ」というキャンプに駐屯している。COPとは、「Combat Outpost」のことで、正確な和訳が難しいのだが、いわば、「前哨砦」である。

COPロコは、バスチョン・ウォールに囲まれ、中に頑強な建造物はなく、天幕ぐらしだ。トイレやシャワーも簡易的なものしかなく、FOBトラのような美味しい食事も出ないワイルドな場所だ。

←COPロコ

REP(外人パラシュート連隊)では、各中隊が異なる専門特技を有しており、第2中隊は山岳戦が専門だ。ヒンドゥークッシュ山脈が近いこの地域に、この中隊が派遣されるのは当然だ。このような戦場のために、彼らは山岳技術を練習してきたのだから。今回、アフガニスタンに派遣されず、くやしい思いをした他の戦闘中隊の者たちも、第2中隊が選ばれたことに異論はないだろう。

一方、幸い派遣に選ばれた我々第3中隊は、実はなんと、水路潜入を特技としている。パラシュートで海に降下したり、ヘリコプターから海に飛び込んだあと、泳いで上陸し、歩兵活動に移るという技術だ。ゾディアック・ボートの操縦技術や、それを使っての上陸技術も保持している。10名ほどだが、カヌーイストや潜水士もいる。

そんな「水路潜入中隊」の我々が、山岳国家に派遣されている。他の中隊の者たちは、「非論理的だ !」と妬んだに違いない。しかし、実は論理的な裏付けがあった。

連隊長であるベロ・デ・ミニエ大佐はかつて、第3中隊の中隊長を務めていた。そのため、水路潜入中隊にもかかわらず、我々を起用してくれた。自分がかつて所属していた中隊に活躍の機会を与えたいと思うのは、当然の論理だ。ありがたい。

実際のところ、我々は水路潜入を得意としているが、当然、陸上での歩兵活動もできるし、装甲車も駆使できる。つまり、通常の歩兵部隊としての機能も持っているので、問題はない。山岳演習もしっかりこなした。

ちなみに、他の戦闘中隊の特技は、第1中隊が市街地戦闘、第4中隊が狙撃と爆破である。

そうしてアフガニスタンに赴いてきた第3中隊には、4つの小隊がある。指揮小隊1つと、戦闘小隊である第1小隊・第3小隊・第4小隊だ。本来は、第2小隊を加えた4個小隊があるが、アフガニスタンでは3つの戦闘小隊で中隊が運用されるシステムになっていたため、第2小隊の人員は、他の小隊に分配されたり、1つの分隊は1RHP(第1機甲パラシュート連隊)に組み込まれた。

1つの戦闘小隊には、指揮分隊1つと戦闘分隊4つがある。指揮分隊の構成は、小隊長1名(中尉もしくは曹長)、副小隊長1名(上級軍曹)、通信兵1名(伍長か一等兵)、衛生兵1名(伍長か一等兵)、そして、狙撃兵2名(伍長か一等兵、7.62mm口径の「FRF2」狙撃銃を使用)の6名だ。

1つの戦闘分隊には、分隊長1名(主に軍曹)、伍長2名、一等兵および二等兵が4名の7名がいる。伍長1名の下に一等兵/二等兵2名がつき、3名の班を成し、それら2つの班を分隊長が率いるシステムだ。

また、各戦闘小隊には4台の装甲車があり、各戦闘分隊が専用の装甲車1台を持つので、各戦闘分隊メンバーには、運転手1名と助手席の車長1名の計2名がプラスされる。原則として、運転手と車長は、常に装甲車に留まり、徒歩の任務に出ることはない。そして、指揮分隊の人員は、専用の装甲車がないので、車両移動の際は、戦闘分隊の車両4台に分乗する。

最後に、指揮小隊の構成だが、中隊長班、副中隊長班、そして、ADU分隊から成る。ADU(Adjudant d’Unite)とは、いわば中隊の最先任下士官である。

中隊長班には、中隊長1名(大尉)、通信兵2名(上級伍長と伍長)、衛生兵1名(伍長)がいる。通信兵の1人は私のルームメイトであるナチェフ上級伍長で、衛生兵は、私が一緒にアーマーを組み立てたぺリシエ伍長だ。

副中隊長班には、副中隊長1名(大尉)、通信兵2名(軍曹と伍長)、中隊需品担当下士官1名(曹長)がいる。

ADU分隊には、ADUが1名(上級曹長)、3名から成る車両整備班(上級軍曹1名と上級伍長2名)、そして、4名から成る医療班(軍医1名、看護官1名、衛生兵2名)、そして車両整備班の援護として、一等兵が1名がいる。

車両移動の際は、中隊長班と副中隊長班にそれぞれに、専用の装甲車1台と運転手・車長の2名がつく。

ADU分隊には3台の装甲車があるのだが、1台目は、ADUが車長を、車両整備の上級伍長1名が運転手を務める。装甲車後部には乗員はいない。

2台目は、車両整備の上級軍曹が車長を務め、同じく車両整備の上級伍長が運転手を務める。装甲車後部には援護の一等兵が乗る。

3台目は、医療班の装甲車で、軍医が車長を務め、衛生兵の1人が運転手を務める。看護官ともう1人の衛生兵は装甲車後部に乗る。

実は、車両整備班と医療班は、もともとは中隊には存在しなかったが、アフガニスタン用の特別な中隊構成のために結成された。しかも、いくつかの職種の連隊で混成された、REP単独でない部隊構成もアフガニスタン独特のシステムだった。派遣される10ヶ月前から、このシステムで演習をたくさん積んできているので、運用はうまくいくだろう。

私は、本来は第3小隊所属だったが、アフガニスタンの任務中は、指揮小隊に一時的に配属され、医療班の装甲車運転手と衛生兵を務めることとなった。

正直言うと、とても気の知れた第3小隊のやつらと一緒に任務につきたかった。しかし、私には決定する権限がないので、「仕事だ」と自分に言い聞かせ、あきらめた。

タスクフォース・アルトー、第3中隊、医療班などの構成は、多少の人員の変動はあれど、おおよそ、以上の通りだ。全員で力を合わせ、いずれ、敵と戦うことになる。

←第3中隊兵士の海上降下

←ゾディアックボートと著者

←山岳行軍中の著者(アゴが黒いのはヒゲではなく、カモクリーム)

つづく


  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2012年08月10日

タスクフォース・アルトーPart 2

はじめに

このあいだの8月7日、アフガニスタン・カピサ州でフランス兵1名が戦死しました。アフガニスタン戦争における88人目の仏軍戦死者です。
仏軍戦闘部隊が撤収をすでに開始し、FOBトラからは完全撤収した矢先の出来事で、遺族は余計に無念だと思います。
撤収は始まっていても、戦いが終わったわけではなく、まだまだ危険に挑んでいるフランス兵がいます。

さて、前回から部隊構成の説明に入ったわけですが、体験記というよりデータの羅列で、“現場”の雰囲気はありませんが、部隊構成を知るのは今後の体験記をより深く理解して頂くのに有効だと思いますので、説明させてください。

それではどうぞ。

――――――――――

第11パラシュート旅団の部隊を中心に構成されるタスクフォース・アルトーの骨幹を担うのは、我々、第2外人パラシュート連隊(2e Regiment Etranger de Parachutistes)だ。通称、REP(レップ)とか、「2REP(ドゥズィエム・レップ)」と呼ばれる。REPからアルトーには約500名が派遣されている。
アルトーの指揮本部や、兵站・通信・医療・車両整備などの後方支援要員の多くがREPの人員だ。
また、タスクフォースが戦闘部隊として機能するためには、歩兵職種をはじめ、いくつかの職種の部隊が必要だ。
まず、歩兵職種はREPの戦闘中隊である第2中隊と第3中隊が担っている。また、両中隊への増援として、CEA(偵察および支援中隊)の人員が、それぞれの中隊のメンバーとして組み込まれ、任務につく。
さらに、CEA所属の空挺コマンド部隊「GCP(ジェーセーペー=Groupement des Commandos Parachutistes)」は、両中隊からは独立して、戦闘任務や偵察任務につく。なお、GCPはREPだけではなく、他のパラシュート連隊にも独自のGCPが存在する。米軍や英軍で言う「パスファインダー」のような部隊だ。
アフガニスタン戦争において敵は、IED(Improvised Explosive Device=即製爆発性装置)という自家製の爆発物を頻繁に使用する。それらに対処するのは工兵職種で、第17工兵パラシュート連隊(17RGP=17e Regiment du Genie Parachutiste)が担当する。17RGPは約80名を派遣している。
REPの歩兵とRGPの工兵が戦闘中隊となり、前線へ行くのだが、そのとき、火力支援の砲兵や機甲兵が必要となる。
砲兵職種は、第35砲兵パラシュート連隊(35RAP=35e Regiment d’Artillerie Parachutiste)が務める。主力武器は120mm迫撃砲で、装甲車でけん引することができるので、あらゆる場所で火力支援を施してくれる。
また、RAPのGCPは、監視・観測のスペシャリストで、我々が戦闘地域に入っていくとき、離れた場所からハイテク機器を使用し、敵の動きを察知し、我々に知らせてくれる。さらに、航空機に地上標的の攻撃誘導を行なう「JTAC=Joint Terminal Attack Controller」の役割も担う。
RAPは約70名を派遣している。
機甲職種は第1機甲パラシュート連隊( 1RHP=1er Regiment de Hussards Parachutistes)が務める。AMX10RCという105mm砲を装備した装輪戦車や、20mm機関砲を搭載したVAB装甲車で火力支援をやってくれる。RHPは約130名を派遣している。
その他にも、小規模ながら、いろいろと重要な部隊がアルトーに所属していた。
EOD(爆発物処理)班は、17RGPでも対処できない複雑な爆発物を処理する。
軍用犬の小隊もある。犬1匹につき、1人のハンドラーが付き、隠されている武器や麻薬を見つけ出す。犬種はほとんどがシェパードだった。
情報部隊も存在する。陸軍だけでなく、空軍や海軍からも人員が派遣されている3軍合同の部隊だ。現地民に紛れた敵や、その隠れ家をつきとめるのが1つの役割なのだろう。
SDTIというドローン(無人偵察機)も使用されていて、FOBトラから毎日のように飛んでいた。
他にも、アフガン国家警察を訓練指導するフランスの国家憲兵隊(Gendarmerie Nationale)などもいた。
正確な人数はわからないが、アルトーに所属している人員はおそらく800人ほどだ。

←REPの部隊章
←アルトーの部隊章
←爆発物について説明するEOD隊員


つづく


  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2012年08月05日

タスクフォース・アルトー

はじめに

7月31日、私が駐屯していたFOBトラからフランス軍部隊が完全に撤収しました。もうFOBトラにはフランス国旗は掲げられていません。そして、今年中に仏軍戦闘部隊は完全に撤退するそうです。時代が大きく動いている感じがします。

さて、今回から何回かにわけて、私が所属していた部隊構成を説明したいと思います。構成を知ったうえで体験談を読んでいただければ、より理解も深まると思います。
それではどうぞ。

――――――――――

2001年10月、9.11のテロ攻撃を受けたアメリカ合衆国が世界に呼びかけ、それに応じた国々とともに派兵を開始し、アフガニスタン戦争が始まった。フランスも開戦のときから参戦している。

国連の取り決めのもと、ISAF(International Security Assistance Force=国際治安支援部隊)が組織され、NATO加盟国を中心とした国々が軍隊を派遣。アフガン国軍やアフガン国家警察とともに、アルカイダやタリバンなどのテロリストと戦っている。

ISAFはアフガニスタンを、東西南北と首都圏の5つの地域に分け、各地域ごとに指揮を担当する国際部隊を割り振った。東部地域で活動するフランス軍やアメリカ軍などの国際部隊はひとまとめに、「Regional Command-East(RC-Eと略される)」といい、「東部方面隊」とでも和訳すればよいだろうか。私がアフガニスタンに派遣された2010年1月の時点で、RC-Eの全体指揮をとるのは、アメリカ陸軍の第82空挺師団だった。

ちなみに北部は「RC-North」、西部は「RC-West」、南部は「RC-South」、そして首都圏は「RC-Capital」という。

RC-Eの担当する東部地方の中で、フランス軍の受け持つ地域は、「カピサ州」で、首都カブールのあるカブール州の北東に位置する。ここで活動するフランス軍部隊を、「タスクフォース・ラ・ファイエット」という。

「ラ・ファイエット」というのはフランスの苗字の1つだが、アメリカで第82空挺師団と特殊作戦部隊の基地「フォート・ブラッグ」のある町の名前が「ファイエット・ヴィル」なので、米兵たちにもなじみやすい部隊名だろう。

タスクフォース・ラ・ファイエットの指揮下に、2つのバトルグループがあり、それらの名称は、新たに部隊が派遣されてくる度に変わる。「ラ・ファイエット」はずっと変わらない。

我々の所属するバトルグループは「Altor(アルトー)」という名称で、フランス陸軍第11パラシュート旅団傘下の部隊を中心に構成されている。本来、「バトルグループ・アルトー」となるはずだが、なぜか「タスクフォース・アルトー」と呼ばれていた。

「アルトー」とはコルシカ語で「鷲」を意味する。我々の連隊長が名付けたそうだ。いいセンスをしている。カッコいいし、我々の連隊ならではの名称だ。第11パラシュート旅団の部隊章には鷲が中心に描かれているし、我々第2外人パラシュート連隊はコルシカ島に駐屯している。コルシカ語を起用するという発想がいい。

アルトーとは別の、もう1つのバトルグループは、「タスクフォース・ブラックロック」で、フランス陸軍の第13山岳猟兵大隊の部隊を中心に構成されている。フランスには、アルプスとピレネーの大山脈があるので、とても錬度の高い山岳部隊に違いない。彼らにとって、険しい山岳地帯であるアフガニスタン東部は、うってつけの戦場だ。

ブラックロックは、タガブ谷という、広くて南北に長い谷の北部にある「FOBタガブ」に駐屯している。一方、アルトーはタガブ谷の南側にあるスロビという町の外れのFOBトラに駐屯している。

タガブ谷からすると、「北には山岳部隊。南には空挺部隊」だ。なんと恐ろしい響きだろう。両方とも、危険をかえりみず攻めてくるような、攻撃的な性格の部隊だ。谷に潜む多くの敵は強いストレスを感じることだろう。もし私が敵の立場だったら、一目散にパキスタンへ逃げる。

←戦闘服の左肩についていた仏軍部隊パッチ
←右肩のISAF/NATOパッチ
←オーソドックスなISAFパッチ
←第11パラシュート旅団部隊章

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン