2012年03月10日
はじめに
皆さま、はじめまして。
私は、元フランス外人部隊第2外人パラシュート連隊の野田力(りき)と申します。除隊時の階級は上級伍長(Caporal-chef)。2010年1月から7月まで、同連隊第3中隊衛生班の一員として、アフガニスタンに派遣されていました。
このアフガンでの任務は、これまでの私の人生で、最も充実した期間であると同時に、現代戦の過酷な現実を知る貴重な体験となりました。
以前から、アフガンでの出来事を自分自身で整理したいと思っていたところ、この度、友清仁さんにお誘い頂き、ブログを開設いたしました。(友清さんはミリタリーブログでアフガニスタンにおける特殊部隊の活動についてのブログを運営されています。)
はじめに皆さんにお約束したいのですが、話を面白くするために脚色したり、嘘は書きません。私の中隊がアフガンでどう戦ったのか、正直に書こうと思います。
そして、戦闘だけでなく、衛生兵の活動や、民事支援活動、現地民との交流などについても紹介するつもりです。
去る1月20日、アフガンに派遣されていたフランス兵4名(うち一人は外人部隊)が一人のアフガン国軍兵により射殺される悲惨な事件がありました。殺された兵士にしてみれば、戦闘で死ぬならまだしも、同盟軍の兵士に殺されたなんて、あまりに無念で死にきれません。
いまもアフガンの戦場で戦うフランス兵や英米独等の同盟国兵士に思いを馳せながら、連載をスタートしたいと思いますが、その前に私の略歴を簡単に紹介します。
1979年9月 関西生まれ。
1999年10月 阪神大震災における自衛隊の活躍を描いた書籍を読み、陸上自衛官を志す。
2004年10月 15回に及ぶ自衛隊入隊試験不合格(たぶん基礎学力の不足)。大きな屈辱を感じ、自分が立派な兵士になれることを証明するため渡仏。外人部隊への入隊を果たす。
2005年3月 基本訓練ののち、希望していた第2外人パラシュート連隊に配属され、コルシカ島に駐屯。
2005年4月 パラシュート課程修了。
2005年5月 第3中隊(舟艇中隊)第3小隊配属。歩兵訓練修了。ミニミ軽機関銃射手を担当。
2005年10月 対戦車ミサイルERYX(エリックス)課程修了。同ミサイル射手を担当。
2005年12月 水路潜入課程レベル1修了。
2006年2月~6月 アフリカ・コートジボワールに派遣され、治安維持作戦に従事。
2006年12月 衛生兵課程修了。小隊の衛生兵となる。
2007年3月 水路潜入課程レベル2修了。
2007年4月 装甲車VAB(ヴァブ)免許取得。
2007年6月~10月 アフリカ・ジブチに派遣され、砂漠訓練等を受ける。
2008年2月 伍長(Caporal)昇進。
2008年9月~2009年1月 アフリカ・ガボンに派遣され、ジャングル訓練等を受ける。
2009年7月14日(フランス革命記念日) パリのシャンゼリゼ大通りの軍事パレードに参加。
2009年12月 上級伍長昇進。
2010年1月~7月 アフガニスタン派遣。ISAF(国際治安支援部隊)活動。
2011年4月 除隊。
2011年6月 帰国。
人名・地名・日時などプライバシーの保護もあり、変える箇所もありますが、それ以外はありのままに書くつもりです。
アフガン体験記は毎月10日、20日、30日に更新します。
それでは、どうぞよろしくお願いします。
野田 力

―――――――――――――――――――
こちらの書籍の表紙を飾らせて頂きました。
私は、元フランス外人部隊第2外人パラシュート連隊の野田力(りき)と申します。除隊時の階級は上級伍長(Caporal-chef)。2010年1月から7月まで、同連隊第3中隊衛生班の一員として、アフガニスタンに派遣されていました。
このアフガンでの任務は、これまでの私の人生で、最も充実した期間であると同時に、現代戦の過酷な現実を知る貴重な体験となりました。
以前から、アフガンでの出来事を自分自身で整理したいと思っていたところ、この度、友清仁さんにお誘い頂き、ブログを開設いたしました。(友清さんはミリタリーブログでアフガニスタンにおける特殊部隊の活動についてのブログを運営されています。)
はじめに皆さんにお約束したいのですが、話を面白くするために脚色したり、嘘は書きません。私の中隊がアフガンでどう戦ったのか、正直に書こうと思います。
そして、戦闘だけでなく、衛生兵の活動や、民事支援活動、現地民との交流などについても紹介するつもりです。
去る1月20日、アフガンに派遣されていたフランス兵4名(うち一人は外人部隊)が一人のアフガン国軍兵により射殺される悲惨な事件がありました。殺された兵士にしてみれば、戦闘で死ぬならまだしも、同盟軍の兵士に殺されたなんて、あまりに無念で死にきれません。
いまもアフガンの戦場で戦うフランス兵や英米独等の同盟国兵士に思いを馳せながら、連載をスタートしたいと思いますが、その前に私の略歴を簡単に紹介します。
1979年9月 関西生まれ。
1999年10月 阪神大震災における自衛隊の活躍を描いた書籍を読み、陸上自衛官を志す。
2004年10月 15回に及ぶ自衛隊入隊試験不合格(たぶん基礎学力の不足)。大きな屈辱を感じ、自分が立派な兵士になれることを証明するため渡仏。外人部隊への入隊を果たす。
2005年3月 基本訓練ののち、希望していた第2外人パラシュート連隊に配属され、コルシカ島に駐屯。
2005年4月 パラシュート課程修了。
2005年5月 第3中隊(舟艇中隊)第3小隊配属。歩兵訓練修了。ミニミ軽機関銃射手を担当。
2005年10月 対戦車ミサイルERYX(エリックス)課程修了。同ミサイル射手を担当。
2005年12月 水路潜入課程レベル1修了。
2006年2月~6月 アフリカ・コートジボワールに派遣され、治安維持作戦に従事。
2006年12月 衛生兵課程修了。小隊の衛生兵となる。
2007年3月 水路潜入課程レベル2修了。
2007年4月 装甲車VAB(ヴァブ)免許取得。
2007年6月~10月 アフリカ・ジブチに派遣され、砂漠訓練等を受ける。
2008年2月 伍長(Caporal)昇進。
2008年9月~2009年1月 アフリカ・ガボンに派遣され、ジャングル訓練等を受ける。
2009年7月14日(フランス革命記念日) パリのシャンゼリゼ大通りの軍事パレードに参加。
2009年12月 上級伍長昇進。
2010年1月~7月 アフガニスタン派遣。ISAF(国際治安支援部隊)活動。
2011年4月 除隊。
2011年6月 帰国。
人名・地名・日時などプライバシーの保護もあり、変える箇所もありますが、それ以外はありのままに書くつもりです。
アフガン体験記は毎月10日、20日、30日に更新します。
それでは、どうぞよろしくお願いします。
野田 力
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こちらの書籍の表紙を飾らせて頂きました。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
知られざるアフガニスタンの実情を、このブログで教えてください。お互い無理のない更新で頑張りましょう。
現職の戦車兵ですが所詮自◯隊なのでこちらで勉強させてください。
よろしくおねがいします。
自衛隊の錬度って、すごく高いと思いますよ。元自衛官の外人部隊兵も言ってますし、僕自身、現職自衛官の方々から、いろいろ教わってます。
よろしくお願いします。
RPと申します。
アームズの連載は楽しみに拝見させていただいてました。
自分は元陸自で、今は救命士を目指しているので、戦闘衛生に非常に興味があります。
BIGや気切などの処置に関しても書いていただけたらありがたいです。
コメントありがとうございます。BIGや気管切開はネット上で公開してよいのかわからないのですが、各種止血帯やエマージェンシーバンデージなどの医療品は紹介してゆきたいと思います。
救命士の勉強、頑張ってください。僕は看護師を目指します。
ありがとうございます。頑張ります。
陸自40iに所属しています
Кунаと申します
アームズ等でお話は拝見させていただいてます
部内で准看を受けようと思っています
はじめまして。西方面の防衛、ご苦労様です。
准看、頑張ってください。民間でも使える資格ですので、定年退職後も重宝するのではないでしょうか。
私は2011年の1月に京都の焼肉屋で野田さんからお話を聞かせて頂いた専門学生だった人です。あれから相方の自衛官だったほうと一緒に外人部隊兵となり1年半が経とうとしています。
野田さんが教示されていたとおりの外人部隊でした。外人部隊生活、これからも気長に気張っていこうと思います。
いろいろ縁あって、ブログ開設しました。仏軍当局から「NG指令」が出れば、すみやかに中止しますが・・・。
あなたがた2人とも頑張っているようで嬉しいです。いいことも嫌なこともあるでしょうが、任期満了にむけて頑張ってください。
東京に来ることがあれば、土産話を聞かせてください。
私は現在国立病院機構災害医療センター付属の看護学校に学ぶ1年生です。元自衛官であり、外人部隊の志願兵でした(ゲシュタポの尋問の際に、市民に戻る意思を伝えました)。
かつて『外人部隊の日本兵』を何度も読み憧れを募らせたものです。現在、野田さんも同じ道を歩んでおられるとつい最近知って、驚きとともにうれしく思っています。
はじめまして。コメントありがとうございます。
看護の勉強、大変ですよね。頑張ってください。
私、実は、恥ずかしいことですが、立川の災害医療センター付属の看護学校、落ちました・・・。
立川駐屯地のそばにあり、ヘリコプターの音が聞こえ、バグラム航空基地を思い出し、是非とも行きたいと思った学校だったんですが・・・。
その時にこのブログを読まさせていただき自分も力さんの様な本物の日本兵に憧れて
今外人部隊を目指しています!力さんのブログは自分の希望、活力になりました!ありがとうございます!
自衛隊の夢については、残念でしたね。私も何度も不合格となり、自信が持てない人間となりました。それでも人生を続けていかないとなりませんね。
外人部隊入隊については、これから世界はますます危険になりそうなので、命の危険や負傷で障害者になる可能性など、いろいろ覚悟して臨んでください。
今は防衛医大を目指しています
軍隊での衛生っていうのは作戦にどの程度影響を与えるのですか
軍事の衛生や救命に興味があります
作戦全体への影響については私にはわかりませんが、現場の兵士にとって衛生隊員が一緒にいることは確実に心強いでしょう。
防衛医大、頑張ってください。
人生をリセットできるなら、私も医師を目指したいです。
私は31歳の公務員です。
野田さんのことを初めて知ったのは、外人部隊の日本兵という本を10年以上前に読んだ時のことです。高校生の時から外人部隊に興味がありましたが、入隊までは現実的に実行できず、今に至ります。
今年に入り、外人部隊125の真実という本を見つけ、早速購入したところ、野田さんが除隊され、看護学校に通われているとの記事を見つけました。
その記事に衝撃を受け、仕事や私生活に閉塞感を感じていたところ、私も看護学校へ入学し、3年間勉強した後、外人部隊へ入隊したいという夢を持つようになりました。
ここでご相談があるのですが、外人部隊を目指す際、そのまま入隊するよりも、看護師の国家資格を持って入隊した方が部隊で重宝され、衛生兵課程へ進みやすかったり、実戦投入の機会の多い部隊へ配属されやすくなる等の利点があるのでしょうか?
初めてでこんな質問をするのも、失礼かと思いますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
わたくしの意見を申しますと、看護師になってから志願するのは得策ではないと思います。
衛生兵と実戦を目標とするならば、フランス語学校に行くことや、WMAなどの野外応急処置の講習を修了することが良いのではないかと思います。
衛生課程へ派遣してもらえるか、戦争へ派遣してもらえるかは、運の要素も大きいです。
年齢も考える必要がありますしね。
意外と思い通りになりませんので、そこのところは覚悟して入隊してください。
本で読んだ方とこの様にやり取りすることができるなんて、夢の様です!
運の要素や年齢も関係してくるんですね。
早速、学校等について調べてみます。
思い通りにならないということも肝に命じます。
やり取りすることができるのは、本当に信じられないことですので、すみませんがさらに質問をさせてください。
私は公務員として過ごしてきて、フランス外人部隊で役立つ様な知識を持ち合わせていないことに劣等感を感じ、さらに、この年齢のこともありまして、志願して入隊できるのか、そして続けていけるのか不安に思っています。体力的にはそこまで不安ではないのですが。
優秀な方が多そうなイメージの外人部隊で、特にこれといった専門知識のない年齢的にも30歳を過ぎた者が入隊して生き残れる術はあるのでしょうか?
元外人部隊の方が協調している、フランス語をある程度習得してから入隊することをきちんと実行すれば、人間関係が上手くできる者と仮定した場合、生き残れる可能性は高くなるのでしょうか?
とにかく仏語を伸ばして入隊したほうが良いです。
多くの志願者が専門知識なんてありません。あるのは飛び込む勢いです。
「生き残れる可能性」については、運の要素が強いです。ほとんどの派兵要員が生還してます。可能性としては死ぬほうが少ないです。あまり考えても仕方ないです。
イメージはあくまでイメージに過ぎず、現実は違います。
多くが専門知識がないという話を聞いて、少し安心しました。
生き残れる可能性、と書きましたが、間違った使い方をしてしまい、申し訳ございません。外人部隊を最低限任期満了まで働くことができるか、継続して部隊員として働くことができるのか、といった部分が気になっておりました。
フランス語能力が最も必要とのことで、そこを一番に考えて勉強しようと思います。
話は逸れますが、ネット上ですので、野田さんが差し支え無ければ教えていただきたいことがありまして。
書籍の中では、野田さんは看護学校に通っているとなっておりますが、現在は、すでに看護師として勤務されていたりしますか?
また私が次の段階へ進みましたら、ご相談させてください。