2013年05月13日

徒歩パトロールPart3

 IEDの発見されたコンパウンドを出た我々は、村と荒野の境にある深緑の麦畑やケシ畑のあぜ道を通り、第1小隊の戦闘班につづいて村を目指した。

 なお、我々が活動していた地域では、ヘロインやアヘンになるケシが多く栽培されており、行く先々で目にした。アフガニスタンの法律でもケシ栽培は違法らしいが、我々フランス軍がケシを取り締まることは一切ない。

 ケシにより生計を立てている村人たちもいるので、もし我々がケシの伐採などしたら現地住民を敵にまわしてしまう。村人に混ざって潜伏する敵の情報を得るには村人の協力が必要だ。だから、村人を敵にまわすような取締りはできない。

 我々の標準規定で言われているのだが、アフガン国軍やアフガン警察がケシ畑の伐採や焼却を始めた場合、我々フランス軍部隊は早急に撤収し、村人から姿を隠す。そうすることで、ケシ取締りとフランス軍部隊は関係がないと村人に思い込ませ、敵視されないようにするのだ。

 ケシについては、敵が麻薬ビジネスで儲けた金で武器を買ったりしているうえに、そのケシからできたヘロインなどが世界中に流出しているので、フランス軍も取り締まるべきではあるが、話はそう単純ではない。村人との関係のほうが優先だ。

徒歩パトロールPart3徒歩パトロールPart3

 やがて畑を通り過ぎ、我々は1.5mほどの高さの、横に長い土塀につきあたった。土塀の向こう側には、また麦畑が広がっているが、高い土壁に囲まれたコンパウンドがところどころにある。コンパウンドのひとつひとつが村人たちの“家”なのだが、まるで砦のように見える。

 土塀越しに麦畑を眺める。ここを通って第4小隊は村の西側へ向かったのだろう。私から見て麦畑の右側、つまり麦畑以北からコンパウンドの数が増えており、我々が今、この村のほぼ南端にいることがわかる。

徒歩パトロールPart3

 コンパウンドの内側は必ずしも住居とは限らない。内側がザクロなどの果樹園になっているコンパウンドもある。住居のコンパウンドは土塀が3m~5mくらいあり、果樹園や植林の場合は1.5m~2mなど、低めのことが多い。

 第4小隊は配置についているだろうから、我々第1小隊も急いで配置につきたい。我々は土塀に沿って少し進んだあと、両側が土塀に挟まれた幅約2m通路へと入って行った。通路沿いに連なる高さ2~3mの土塀は、コンパウンドの土塀であり、我々はコンパウンドとコンパウンドの間を歩いていることになる。まるで屋根のない土の廊下みたいだ。

徒歩パトロールPart3

 道はまっすぐな箇所もあるが、グネグネしたり、直角に曲がったり、交差点があったり、さまざまな形になっていた。幅が2mくらいある深い用水路までもが村のなかに来ており、村人の文明に感動したが、敵がこの地形をおおいに利用し攻撃してくるかもしれないと思い、気を引き締めた。

徒歩パトロールPart3

 塀の向こう側から手榴弾を投げ込まれるかもしれないし、塀より上にAK47小銃だけ出して乱射してくるかもしれない。先頭の隊員は敵と鉢合わせするかもしれない。先頭を行く隊員は、役割なので仕方ないとは言え、すごく勇敢だと私は思う。

 通路に第1小隊が入ったとき、ボーボニス曹長率いる我々指揮班は、戦闘班を2つ追い越して、最後尾ではなくなった。原則として指揮班は前後を戦闘班に守られる形で村のなかに展開する。

 ここから第1小隊は村の西側半分の区域内にある通路をグネグネとパトロールし、第4小隊は同じように東側半分を行く。中隊長班は第4小隊とともに行動し、アフガン軍小隊は第1小隊のあとにつづく。工兵小隊がどこにいるのか私にはわからないが、ついに敵捜索が本格的に始まった。

 2個戦闘班につづく指揮班における歩く順番は、まずボーボニス曹長とブラジル人通信兵がくっついて歩き、そのあと、第1小隊付き衛生兵のバラシュ一等兵、オアロ上級軍曹、そして私がつづく。班のなかでは間隔をだいたい2~3m開ける。

 後ろを振り向くと、6~8mの間隔をあけて、後方の戦闘班のセルビア人隊員がMINIMIを持って歩いている。そいつは長身なのでMINIMIがサブマシンガンのように見える。

徒歩パトロールPart3徒歩パトロールPart3

 前後を戦闘班に固められているが、指揮班が安全であるわけでは全くない。敵はどこから攻撃してくるのか明確ではない。私は足元や土塀の上部などに警戒しながら進んだ。土塀を越える高さの樹木があれば、茂る枝や葉に隠れた敵がいないかなども注意する。少しは起こりうることだ。

 恐怖感はない。「さあ、仕事をやってしまおう。敵が視界に入れば撃てばいい。負傷者が出たら処置すればいい。ただそれだけのことだ」と自分の心に言い聞かせていた。そういう気持ちが恐怖感を排除していたのかもしれないし、負傷や戦死の可能性が実感できないくらい鈍感だったのかもしれない。

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00 │Comments(4)アフガニスタン

この記事へのコメント
外人部隊退役後の就職なんですが、イギリスのハートセキュリティー?社やアメリカの(X’eでしたっけ?)と言った所に就職は可能でしょうか。
他にも外人部隊から行きやすい知ってる民間軍事会社が有れば教えて下さい。
Posted by たつ at 2013年05月14日 23:56
はじめまして。
陸自の者で階級は3曹、職種は後方支援の車両整備です。


野田さんは現在はなんの仕事をしていらっしゃるんですか?
Posted by 陸 at 2013年05月15日 15:32
たつさん
私は民間軍事会社への道を選びませんでしたので、何とも言えません。
Posted by 野田力野田力 at 2013年05月18日 20:46
陸さん
国防のお勤め、ありがとうございます。
この場では、現在の仕事については控えたいです。すみません。
全然、軍とは関係のないことです。
Posted by 野田力野田力 at 2013年05月18日 20:49
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