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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年09月24日

最前線COP

はじめに

グアムで陸上自衛隊と米海兵隊合同の離島上陸訓練をニュースで見ました。とても重要な訓練だと思います。
ボートでビーチに上陸する日米の隊員たちを見て、私自身の水路潜入訓練を思い出し懐かしく感じました。ニュースで見た上陸技術は我々がコルシカ島で反復していた技術と同じようでした。

←コルシカ島での訓練

さて、連載にまいりましょう。
前回のエピソードでは、FOBトラを出てCOPフォンチーに到着しました。
なお、FOBは「前方作戦基地」を、COPは「前哨砦」を表します。
それではどうぞ。

――――――――――

私は運転席のわきに置いていた迷彩ハットをかぶり、上部ハッチからVABの屋根に上がった。灼熱の太陽のせいで、帽子なしではいられない。切ったばかりのエンジンの熱気が、屋根にある排熱口から舞いあがる。汗が止まらない。

屋根に立ち、辺りを見まわす。整列駐車されたVAB群の周りでは、同僚たちが雑談をしたり、タバコをすったりしている。多くの者が、無事、COPに到着できてホッとしているのだろう。ドアも上部ハッチも開け、運転席ですでに居眠りをしている運転手もいる。ホッとしすぎだろう。

VAB群のさらに向こうには貨物コンテナが5つほどある。コンテナにはドアやガラス窓がついている。改造して、部屋として使っているのだろう。周辺では、迷彩服にサンダルといういでたちのアフガン兵が数名、うろうろしている。非番だからリラックスしているらしい。

←M113のそばに立つアフガン兵
←M113にある弾痕

天幕も5つほどある。そのうちの1つの前に、我々タスクフォース・アルトーとは別のフランス兵が2人、迷彩ズボン、ブーツ、Tシャツ、サングラスという格好でこちら、VAB群の方向を向いている。そこにちょうど、中隊長と副中隊長と第3小隊の小隊長が歩みよった。

2人の「Tシャツ仏兵」は、笑顔で中隊長たちと握手を交わす。「気をつけ」の姿勢や敬礼をしないということは、中隊長と同じような階級なのだろう。我々側の3人の将校は、2人のTシャツ将校と天幕に入っていった。コーヒーを飲みながら、情報や意見を交換するのだ。

私はアーマーを脱ぎ、VABの屋根中央部に置いた。他の皆も脱いでいる。脱ぐ許可なしでも、周りの者がやっているのだから、堂々と脱げばいい。余計な汗はかきたくない。迷彩ジャケットの、アーマーがのしかかっていた胴部が汗でベッタリしていて、すでに不快だ。私は額の汗を袖で拭いながら、COPの外側を眺めた。

COPフォンチーのあるこの地域はタガブ谷という。「タガブ」とは、現地の言葉で「水の流れ」を意味するという。一帯に広がる山岳地帯の中に、南北に伸びる川があり、その両岸は広い平地で、幅がだいたい1~2kmの細長い谷となっている。

COPフォンチーは、タガブ谷の南西部に位置し、COPのすぐ裏、つまり西側には山が連なっている。COPより数百メートル北から以北には、川の両岸にいくつもの集落がある。土でできた家屋や、まだ作物が芽を出していない畑がたくさん見える。樹木も多く見られるが、葉がついていない。地域一帯が砂色だ。

「ノダ。」
VABの左に立つオアロ上級軍曹が私を呼んだ。私は上から見おろした。
「ノダ、中隊長が第3小隊と裏山の歩哨所まで登ることになった。そのあいだ、我々はここで待機だ。何か食べてもいいし、COP内を見てまわってもいいぞ。遠くには行くな。」
「わかりました。」

私は、運転席からFAMASを取り出し、スリングに右腕と頭を通し、背負った。そして、単独でCOP内の散歩に出かけた。

COPの外郭にはバスチョン・ウォールがなかった。居住区内に部分的にあるだけで、外郭の防御は盛り土と土嚢で間に合わされている。屋根つきの小さな歩哨所があり、集落のある北東に面している。私は中に入った。そこには、タヒチ人のような黒人フランス兵がいて、タバコを吸っている。Tシャツ姿なので、階級章がついておらず、自分より階級が上なのか下なのか判断できない。

「ボンジュール(こんにちは)。」
私は敬礼もせずにあいさつした。階級がわからないし、フランス正規軍の多くの軍人は、外人部隊とはちがい、そんなことでガミガミ言わない。

「ボンジュール。サヴァ?(こんにちは。元気か?)」
笑顔で返事をしてくれた。フレンドリーな人でよかった。
「元気だ。ありがとう。このあたりの村には敵はいるの?」

私が、歩哨所から数百メートル先に見える集落を指さして尋ねると、彼は語り始めた。
「たくさんいるよ。ときどき夜にあの村からロケットが飛んでくる。村のモスク(イスラム礼拝堂)のそばから撃ってくるから、あの中に武器を隠しているんだと思う。周辺には民間人も住んでいるから、反撃するわけにもいかないんだ。まあ、ロケットがCOP内に落ちたことはないから気にしないよ。」

「村に入ってモスクから武器を押収できないの?」
「それは簡単じゃないな。このCOPの位置する北緯よりも北に行けば、必ず銃撃を受けるんだ。」
すごくナマナマしいことを淡々と語るのを聞いて、自分が今、最前線にいることを実感した。川が流れ、畑があり、アフガン独特の家々がある、のどかで美しい村に見えるが、この中に敵が潜んでいる。



つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2012年09月17日

COP

はじめに

最近、尖閣諸島問題が大きくなっており、中国で日本国旗が燃やされる映像も目にします。
国旗を燃やすという行為、私の経験から言わせていただくと、世界を敵にまわす行為です。

私が現役時代、反日デモで中国人群衆が日本国旗を燃やしているのをフランスのニュース番組が放映しました。そのことで私は中国人同僚と関係が悪くなることはなく、割り切って考え、仲良くしてましたが、周りのスロバキア人やポルトガル人などが、「国旗を燃やすのは最低の行為だ。中国人を殴ってやれ」と私に言ってきました。

当然、殴ったりなんかしませんでしたが、このとき、国旗を燃やす行為は、その国旗がどの国のものであれ、関係のない他の国々の人々をも敵に回すことになる、と気づきました。

さて、連載にまいりましょう。

――――――――――

開いた金属製ゲートのわきに立つ歩哨を横目に、すべての車両がFOBを出た。凸凹の多い土道で、舗装されておらず、土と石の混じり合った地面がむき出しだ。車間距離を50mくらいとる。前のVABが舞い上げる土埃が、少佐たちに降りかかるのをなるべく少なくするためと、ひとつのIEDで2台の車両が一度にやられないためだ。



周辺の荒野や、遠くの山々を眺めつつ、FOBの高台から緩やかに下っている土道を進み始めること約5分、舗装された道に合流した。首都カブールから東部の都市ジャララバードへとつづく幹線道路だ。ここを右折する。民間車の交通量も多い。

FOBを出たときに車列の先頭だったVABが、幹線道路を出てすぐ、我々の車線上で停車し、民間車の交通を一時的に止めていた。部外の車両が我々の車列にまぎれ込むのを防ぐためだ。後続のVABがすべて通り過ぎると、そのVABは車列の最後尾についた。

滑らかな舗装道路を、車列は速度を上げ、COPフォンチーに向かう。ここからがIEDや自爆テロの危険性が高まる。FOBと幹線道路のあいだの土道は、関係車両しか通らないので取締りが簡単だが、幹線道路はあらゆるタイプの乗り物が往来する。民間軍事会社の装甲車も通れば、現地農夫のトラクターも通る。



幹線道路の周りは広大な荒野で、遠くにヤギの群と1人のヤギ飼いが見える。道路沿いには古いガソリンスタンドや、パーキングエリアの機能を持つ小さな飲食店があった。どんな料理が出てくるのか想像がつかないが、店の前にはいくつかの大型トラックが駐車されているので、どうやら繁盛しているらしい。

トラックには赤や朱色、セルリアンブルーなどの明るい色をふんだんに使った、インドの寺院によくありそうな美術デザインが塗装されている。蓮の花が咲く庭園の風景画などが小さく描かれていたりするが、ほとんどの部分はカラフルな模様で、ところどころに目が描かれている。目は不気味だが、他の部分はエキゾチックで美しい。昼間に眺めるなら、日本の「デコトラ」よりも派手だ。



やがて、幹線道路から左折して、ところどころにひび割れや陥没のある道路に入った。左折してすぐ右手に、アフガン警察の基地があった。有刺鉄線が上部に張られた塀の中に、いくつかのコンクリート製の建造物がある。ダークグレーの制服を着た警察官らが、AK47を持ち、塀の前を歩いている。

そのうちの1人と目が合った。右手を挙げてあいさつをした。装甲車のフロントグラスに日光が反射して、その警察官から車中は見えないかと思ったが、笑顔になり右手を高く挙げてくれた。こちらが敬意を示せば、あちらも敬意を示してくれる。友好関係をつくる鉄則だ。

←アフガン国家警察(ANP=Afghan National Police)

さらに進むと道路の右側に沿って、大きな川が現れた。幅は30mくらいだ。荒野は乾いているように見えるが、水は大量にあるらしい。前方、遠くを見ると、我々はダムを見あげる感じに走行していることがわかった。右手の川の水はダムからの放水だ。大きなダムだし、発電所も併設されている。立派な橋もあるし、快適に走行できる道路もある。アフガニスタンのインフラ整備は意外と進んでいて驚いた。

橋を渡り、登り坂となった道路を登り、ダムの横を通過した。美しい水色の大きなダム湖が広がる。ここなら我々第3中隊の特技「水路潜入」が活かせる。湖畔に敵が潜むとは思えないので、現実的ではないが。



ダムのそばのアフガン国軍の詰所を過ぎると、道路と荒野だけの地域になった。敵にとっては、待ち伏せするのにちょうどよい場所ではないだろうか。近くに警察や同盟軍はいそうにない。民間車とときどきすれ違うくらいだ。

私は引き続き、IEDを警戒し、運転しながら、周辺の地面に不審物がないか、目を凝らす。さらに、自爆テロを心配し、すれ違う民間車の乗員をジロジロ見る。すると、車体におもしろいものを見つけた。白のセダンに「小仲製パン」と書いてあった。日本の中古車がアフガンで活躍しているのだ。

他にも、「佐久間玩具店」と書かれた白のワゴン車や、「荒田病院」と書いてあるクリーム色のマイクロバスなどがあった。電話番号が書かれているものもあり、日本へ帰ったら電話したいと思った。そんな日本の店名などが書かれた車にアフガン人が真面目な顔をして乗っているので、つい微笑んでしまった。しかし、ここは戦場なので、気を引き締めなければならないと思い、自分をいましめた。



FOBを出て、1時間近く経つだろうか。舗装道路から左に折れ、平坦な土道に入ると、村が見えてきた。土でできた2mから5mの壁が、中の居住空間を見えなくしている。壁は、上空から見れば四角になる形で居住空間を囲んでいる。出入り口は、金属製か木製の扉で、他の部分は土だ。ピラミッドのような色をしていて、エジプト文明の世界を旅している感じでドキドキした。

道は村の中を通っていた。アフガン民族衣装を着た村の男たちや子供たちが、我々をジロジロと見てくる。笑顔はない。憎しみの目でにらまれてもいない。村人の誰かが、AK小銃やRPG-7ロケットを構えるのを想像した。



結局、何も起こらないまま、無事に村を通過した。少し進むと、有刺鉄線に囲まれた砦が見えた。COPフォンチーだ。入口のアフガン兵がバリケードとなっている有刺鉄線をどかし、車列はCOPへ入っていった。門番のアフガン兵は、米軍のウッドランド迷彩と同じ柄の戦闘服を着て、M16A2を担いでいる。そいつとは目が合わなかったので、あいさつをしなかった。

←アフガン国軍(ANA=Afghan National Army)

土や土嚢が高く盛られたCOPの中にVABを駐車した。ここまで来たなら一安心だ。初めての任務だったので緊張してしまい疲れた。数時間、ここに留まるだろうから、気持ちを休めたい。私は、ヘルメットを脱ぎ、ハンドルの上に置いた。


つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2012年09月10日

初任務

はじめに

9月5日、アフガニスタンのフランス軍特殊部隊を題材にした映画がDVD発売されました。
ストーリーには無茶があるのですが、劇中のところどころにフランス軍のリアルな戦闘技術が盛り込まれています。私も同じ技術を習ったので、見ていて懐かしかったです。
あるレビューサイトで、それらの技術を非難しているかたがいましたが、実際そうした技術があるので、それらを描写することが実はリアルだと思います。

なお、劇中に登場するフランス海軍特殊部隊メンバーの「マリウス」は本名で、実際に海軍特殊部隊のOBです。本人が本人を演じています。そのことを知っている日本人は少ないと思いますので、ここでお知らせします。
[DVD] スペシャル・フォース

[DVD] スペシャル・フォース
価格:2,953円(税込、送料別)



それでは連載にまいりましょう。

――――――――――

翌朝、朝食抜きでミッサニ伍長と出発準備にとりかかり、7時前に自分たちの装甲車を、FOBの出口に向けて編成された車列に組み入れた。参加するのは指揮小隊・第3小隊・1個工兵小隊だ。
ミッサニは後部座席で待機し、私は助手席のわきに設置されている無線機の受話器をとり、交信をチェックする。

「ブラック・オペラトゥール、イスィ・タンゴ・ブラック、コントロール・ラディオ、パルレー(ブラック通信士、こちらタンゴ・ブラック、交信チェック、どうぞ)」

ブラックとは中隊長のコールサインで、出発前は全車両の無線から、通信チェックの連絡が、中隊長付き通信兵に入る。ブラック(黒)は我々第3中隊の識別色だ。中隊のスポーツ用Tシャツやトレーナーも黒だ。そして、タンゴ・ブラックは第3中隊の医療班を意味する。

「イスィ、ブラック・オペラトゥール、フォール・エ・クレール、テルミネー(こちらブラック通信士、音量よく明瞭、通信終了)」

通信兵ナチェフから返事が来た。無線は異常なしだ。あとは軍医のプルキエ少佐と看護官のオアロ上級軍曹が我々の車両に乗り込めば、救急装甲車「VAB SAN」はいつでも発車できる。私は運転席上部のハッチを開け、屋根に立った。VABが2列縦隊で出発を待っている。何台かはアイドリングをしている。VAB SANのエンジンはじゅうぶん温まっているので切ってある。



ふと、VAB車列の合間を、1人の見慣れない格好の兵士が通りがかった。マルチカモの戦闘服とタン色のアーマーを身にまとい、M4小銃を右手に持ち、銃口を真上に向けている。茶色い民間モデルのトレッキングシューズを履き、頭にはグレーのキャップをかぶっている。タン色の塗装を施した、布カバーなしのヘルメットは左手でつかんでいる。

米軍特殊部隊だ。

我々フランス兵は憧れの眼差しを送った。すべてがカッコよかった。一般的にイメージされている特殊部隊員は、筋肉ムキムキでヒゲがモジャモジャだが、その隊員は細身で鼻ヒゲしかなかった。その控えめな感じに好感が持てる。タン色のスプレーを無造作に吹きかけたようなM4は、光学照準器やレーザー照射装置などのアクセサリーがついていて、時代の先端を行っている雰囲気があった。私のFAMASと交換して欲しい。

その隊員は車列を通り越し、FOBの片隅にある施設のドアの暗証番号を押し、入って行った。FOBの中の隔離された施設だ。黒い生地を張ったフェンスでできたゲートと、その端にあるドアが、我々と米軍特殊部隊を隔てている。近いうちに入らせてもらおう。

やがて、軍医と看護官が中隊長や副中隊長らとともに現れた。皆、それぞれの装甲車に乗り込む。私のとなりの助手席には、軍医が乗り、AANF1機関銃の砲塔から助手席に向かって垂れている布製の砲塔用座席に座る。ちょうど狙いやすい高さに上半身が位置する。看護官はミッサニとともに後部ハッチから、周囲を警戒する役だ。

←AANF1機関銃砲塔

軍医のプルキエ少佐は、フランス北西部ブルターニュ地方出身で、フランス軍の医大を卒業し、軍医歴は約10年だが、まだ34歳だ。身長は約170㎝くらいで細く、見た目は華奢だが、持久走はそこそこ速い。穏やかな性格で優しく、教育的で医療のことをいろいろ教えてくれる。アフガニスタンへは、実は2度目で、前回は南部のカンダハルにいたらしい。

看護官のオアロ上級軍曹は、少佐と同じくブルターニュ地方出身で、身長も170㎝くらいだ。もともとはフランス空軍で看護官をやっていた。空軍除隊後、30代半ばで外人部隊に入り、再び下っ端から軍隊生活をやり直し、下士官となったあと、看護師資格があるため、看護官の役職に就いた。現在45歳と高齢だが、足が速いし、実際よりも5、6年若く見える。プルキエ少佐とともにカンダハルに派遣されていたそうで、アフガニスタンは2回目だ。

←オアロ上級軍曹(奥)とミッサニ伍長(手前)

「全隊、出発。」

無線から中隊長の声が流れた。

私はエンジンをかけた。前にいる、ウィルソン上級曹長のVABが進みだした。砲塔に上級曹長の後ろ姿が見える。私は10mくらいの間隔をあけ、発車した。運転席裏に位置するエンジンルームで、ウォンウォンとエンジンがうなる。いよいよだ。

FAMASは運転席左はしの専用スペースに立て掛けてある。弾倉は入れてあるが、薬室に弾は込めていない。「緊急時以外、装填するな」という命令だ。危険度の低い任務だということでもあるが、その確信が私は持てない。

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン