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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年05月27日

徒歩パトロールPart5

 私がデルトロ軍曹の班に、そして、オアロ上級軍曹が別の班に組み込まれると、徒歩パトロールは再開された。



 つい先ほど、GCPが村の東端で敵に発砲したが、取り逃がしたところなので、敵が少なくとも1人、そのあたりにいる。油断をしてしまわないように、複数いると仮定したほうがいい。

 お互いに3mくらいの間隔を保ちながら、我々は通路を進んだ。私は班の最後尾で、シグという痩せているオーストリア人一等兵が私の前を行く。私はときどき後ろを振り向き、最後の班がついてきているかを確認する。大丈夫だ。ちゃんとついてきている。

 何度か通路の角を曲がると、左側が土壁、右側が林という幅5~6mの通路に出た。林との境には別の戦闘班の兵士たちが配置についており、しゃがんだ姿勢で林の方向に目を光らせている。

 ふと、我々の足元を1羽の鶏がひよこをたくさん率いて横ぎった。「コケコケ、ピヨピヨ」とにぎやかだ。ほんの一瞬だけ和やかな気分にひたったあと、すぐ「戦闘」に気持ちを戻した。

 通路を引きつづき進むと、“バン!バン!”と2発の銃声が響いた。我々第1小隊の区域での発砲ではない。東側の第4小隊のほうからだ。セミオートの2連射なので、仏軍の誰かがFAMASを撃ったに違いない。敵はフルオートの連射が大好きだ。

 私は「あ、始まった」と思った。我々はその銃声を聞いて、特に歩みを止めることなく、北に向かって通路を進む。ほどなくして縦横50mほどの広場につきあたった。

 広場の手前に高さ1.5mほどの土塀があり、我々は横一列となり、土塀越しにFAMASやMINIMIを北側や北西側に向け、かまえた。今の私は衛生兵ではなく、完全に歩兵のモードとなっている。もし敵が視界に入り、それが射程範囲なら、撃つ。

 広場の東側にも土塀があり、そこには別の戦闘班が配置されている。そして、広場の北側と東側にはコンパウンドがいくつか立ち並び、それらのあいだが通路を形成している。

“ババババババン!バンバン!バババババン!”

 いくつもの銃が同時に発砲した。第4小隊のほうだ。我々からそんなに離れていない。広場の東側のコンパウンドのすぐ向こうだろう。そのコンパウンドのほうに目をやると、アフガン国軍の兵士たちが、コンパウンドの壁沿いに一列で歩いているのが見えた。

 ディジタル模様の最新アフガン迷彩を着用し、M16A2小銃やPKM機関銃、RPG-7ロケットを携行している。最新アフガン迷彩は米海兵隊の森林ディジタル迷彩よりも緑色の配分を多くし、茶色を濃くしたような感じだ。



「おい、ANA(アナ=Afghan National Army=アフガン国軍)は俺たちを追い越しちゃいけないんだぞ。」
 デルトロ軍曹がつぶやく。そして、ヘッドセットのマイクに向かって、アフガン国軍が第1小隊を追い越そうとしていることをボーボニス曹長に報告した。

 すみやかに連絡が届いたらしく、コンパウンドの壁沿いにいる15名くらいのアフガン兵たちは前進をやめ、しゃがんだ。デルトロ軍曹の報告はボーボニス曹長、中隊長、連隊指揮通信部を経由して、アフガン国軍に届いたのだろう。

“ババババババン!バンバン!バババババン!”
 再びいくつもの銃声が重なり合った。さきほどと同じ、第4小隊の方角かだ。その銃撃に関して、我々は何もすることはない。我々の担当する区域や方向を警戒することが今やるべきことだ。

 銃声がやむと、しゃがんでいたアフガン兵たちが、何の遮蔽物もない広場を、いっせいに我々の方向へと走りだした。

“ババババババババン!”

 銃声が激しくなる。“ヒュン”とか“ピュン”という、弾丸が空気を切り裂く音が聞こえないし、地面などに弾丸が撃ち込まれたりしていないので、我々のほうに銃弾は飛んできていないらしい。それでも、こんな近くで銃撃音を聞き、少し興奮した。

 アフガン兵たちの装備の金具やPKM機関銃のベルト式弾薬が“カチャンカチャン”と金属音をたてる。「急げ!速く逃げてこい」と、私は心の中でアフガン兵たちに叫んだ。



 最初に走り出したアフガン兵が私の前を横切る。私はFAMASを上に向け、銃口がアフガン兵に向かないようにする。銃口の安全管理は大切だし、撃たないとわかっていても銃口が向いているのは気分がいいものではないだろう。

 1人、また1人と、次々にアフガン兵たちが広場を駆け抜け、我々のいる土塀の裏に滑りこんでくる。私は気づかなかったのだが、シグ一等兵とイタリア人のディオニシ一等兵は、RPG-7で1発ロケットを撃ちこんでから悠然と避難してきたアフガン兵を目撃した。どこを狙って撃ったのか不明だが、爆発音は聞こえなかった。

 アフガン兵たち約15名全員が土塀に隠れる頃には銃声はやみ、アフガン国軍部隊の司令官が、地面に置いた無線機から伸びた受話器を横顔に押し付け、交信していた。落ち着いた口調だが、ダリ語なので何を言っているのか全然わからない。



つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(4)アフガニスタン

2013年05月20日

徒歩パトロールPart4

 我々が歩きつづけていると、ふと通路両側の土塀が途切れ、大きな麦畑が現れた。その麦畑はコンパウンドの土壁や土塀に囲まれている。

「休憩だ。」
ボーボニス曹長が言う。第1小隊と第4小隊の進み具合を調節するために我々の前進を中断するのだろう。我々は北に向いて麦畑を眺める感じで、コンパウンドの壁沿いに作られたあぜ道に座り、壁にもたれた。

 バックパックやアーマーの肩への負担がやわらぐ。私は深呼吸をし、バックパックから伸びるハイドレーション・リザーバーのチューブから水を飲む。目のまえの麦畑の向こうには、また土塀があり、樹木が塀より遥かに高く突き出ている。その上には澄みきった青空が広がっている。

 そのとき青空に“ババババン!”と、短い連射音が響いた。

 条件反射が働き、私は飛びこむように麦畑に伏せる。ボーボニス曹長や通信兵、バラシュやオアロ上級軍曹も全く同じことを、ほぼ同時にやった。伏せるさいに、彼らがきれいに同じ動きをしたのを目にし、滑稽だったので、不謹慎だが私は微笑んだ。

 銃声はそれだけだったが、どこで誰が発砲したのかわからなかった。私の耳には村の東側、つまり我々第1小隊の担当区域で起きたように聞こえた。確実に言えるのは、私のいるところに向かって発砲されてはいないということだ。

 我々が立ちあがると、通信兵の背負う無線機に連絡が入り、その内容をボーボニス曹長が我々に説明をした。

「村の東端でGCPが敵に向け発砲した。敵は逃げたから我々のほうに来るかもしれない。」

 GCP(Groupement des Commandos Parachutistes)とは連隊の優秀な隊員で構成されるコマンド小隊だ。私はGCPが我々より東で活動しているとは知らなかった。曹長は知っていたようだ。

 曹長が言う。
「なあ、指揮班に衛生要員が3人いるのは無駄じゃないか?オアロとノダは戦闘班と一緒に行動したほうがいい。そうしたほうが、どこで負傷者が発生しても、なるべく速く対処できるだろう。」

 オアロ上級軍曹が答える。
「賛成です。私が前の戦闘班に行き、ノダが後ろの戦闘班に行くということでどうでしょう?」

「ああ、それでいい。」
 曹長はそう答えると、ヘルメットの下に被っているヘッドセットから伸びるマイクに言った。
「2班、3班、そっちに衛生要員を1名ずつ送る。」

 そのヘッドセットのコードは曹長のアーマーのポーチに入った小型無線機ER328につながっていて、この無線は小隊の分隊長のあいだでの交信に使われる。いっぽう、通信兵の背負う大型無線機ER314は中隊長、副中隊長と小隊長らのあいだでの交信に使われる。

 オアロ上級軍曹は前から2つ目の第2班に向かい、私は最後尾から2つ目の第3班に合流した。そこの班長でアルゼンチン人のデルトロ軍曹に私は言った。
「一緒に行動します。」

「よし、班の最後尾を務めてくれ。」
 鋭い目つきの軍曹が笑顔を見せながら、ドスの効いた声で言った。私は、よく知っている第3班の伍長たちや一等兵たちに「元気か?」と声をかけながら、班の最後尾についた。

 やがて小隊は前進を再開した。デルトロ軍曹が班の先頭を歩き、6名の伍長・一等兵がつづき、そのあとを私が歩く。接敵はあるのだろうか?負傷者は発生してしまうのか?

(休憩写真)





つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年05月13日

徒歩パトロールPart3

 IEDの発見されたコンパウンドを出た我々は、村と荒野の境にある深緑の麦畑やケシ畑のあぜ道を通り、第1小隊の戦闘班につづいて村を目指した。

 なお、我々が活動していた地域では、ヘロインやアヘンになるケシが多く栽培されており、行く先々で目にした。アフガニスタンの法律でもケシ栽培は違法らしいが、我々フランス軍がケシを取り締まることは一切ない。

 ケシにより生計を立てている村人たちもいるので、もし我々がケシの伐採などしたら現地住民を敵にまわしてしまう。村人に混ざって潜伏する敵の情報を得るには村人の協力が必要だ。だから、村人を敵にまわすような取締りはできない。

 我々の標準規定で言われているのだが、アフガン国軍やアフガン警察がケシ畑の伐採や焼却を始めた場合、我々フランス軍部隊は早急に撤収し、村人から姿を隠す。そうすることで、ケシ取締りとフランス軍部隊は関係がないと村人に思い込ませ、敵視されないようにするのだ。

 ケシについては、敵が麻薬ビジネスで儲けた金で武器を買ったりしているうえに、そのケシからできたヘロインなどが世界中に流出しているので、フランス軍も取り締まるべきではあるが、話はそう単純ではない。村人との関係のほうが優先だ。



 やがて畑を通り過ぎ、我々は1.5mほどの高さの、横に長い土塀につきあたった。土塀の向こう側には、また麦畑が広がっているが、高い土壁に囲まれたコンパウンドがところどころにある。コンパウンドのひとつひとつが村人たちの“家”なのだが、まるで砦のように見える。

 土塀越しに麦畑を眺める。ここを通って第4小隊は村の西側へ向かったのだろう。私から見て麦畑の右側、つまり麦畑以北からコンパウンドの数が増えており、我々が今、この村のほぼ南端にいることがわかる。



 コンパウンドの内側は必ずしも住居とは限らない。内側がザクロなどの果樹園になっているコンパウンドもある。住居のコンパウンドは土塀が3m~5mくらいあり、果樹園や植林の場合は1.5m~2mなど、低めのことが多い。

 第4小隊は配置についているだろうから、我々第1小隊も急いで配置につきたい。我々は土塀に沿って少し進んだあと、両側が土塀に挟まれた幅約2m通路へと入って行った。通路沿いに連なる高さ2~3mの土塀は、コンパウンドの土塀であり、我々はコンパウンドとコンパウンドの間を歩いていることになる。まるで屋根のない土の廊下みたいだ。



 道はまっすぐな箇所もあるが、グネグネしたり、直角に曲がったり、交差点があったり、さまざまな形になっていた。幅が2mくらいある深い用水路までもが村のなかに来ており、村人の文明に感動したが、敵がこの地形をおおいに利用し攻撃してくるかもしれないと思い、気を引き締めた。



 塀の向こう側から手榴弾を投げ込まれるかもしれないし、塀より上にAK47小銃だけ出して乱射してくるかもしれない。先頭の隊員は敵と鉢合わせするかもしれない。先頭を行く隊員は、役割なので仕方ないとは言え、すごく勇敢だと私は思う。

 通路に第1小隊が入ったとき、ボーボニス曹長率いる我々指揮班は、戦闘班を2つ追い越して、最後尾ではなくなった。原則として指揮班は前後を戦闘班に守られる形で村のなかに展開する。

 ここから第1小隊は村の西側半分の区域内にある通路をグネグネとパトロールし、第4小隊は同じように東側半分を行く。中隊長班は第4小隊とともに行動し、アフガン軍小隊は第1小隊のあとにつづく。工兵小隊がどこにいるのか私にはわからないが、ついに敵捜索が本格的に始まった。

 2個戦闘班につづく指揮班における歩く順番は、まずボーボニス曹長とブラジル人通信兵がくっついて歩き、そのあと、第1小隊付き衛生兵のバラシュ一等兵、オアロ上級軍曹、そして私がつづく。班のなかでは間隔をだいたい2~3m開ける。

 後ろを振り向くと、6~8mの間隔をあけて、後方の戦闘班のセルビア人隊員がMINIMIを持って歩いている。そいつは長身なのでMINIMIがサブマシンガンのように見える。



 前後を戦闘班に固められているが、指揮班が安全であるわけでは全くない。敵はどこから攻撃してくるのか明確ではない。私は足元や土塀の上部などに警戒しながら進んだ。土塀を越える高さの樹木があれば、茂る枝や葉に隠れた敵がいないかなども注意する。少しは起こりうることだ。

 恐怖感はない。「さあ、仕事をやってしまおう。敵が視界に入れば撃てばいい。負傷者が出たら処置すればいい。ただそれだけのことだ」と自分の心に言い聞かせていた。そういう気持ちが恐怖感を排除していたのかもしれないし、負傷や戦死の可能性が実感できないくらい鈍感だったのかもしれない。

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(4)アフガニスタン

2013年05月06日

徒歩パトロールPart2

まずは、第1小隊の援護のもと、第4小隊が村へ入って行った。そして、第1小隊が出発するときが来た。まずは戦闘班が入っていく。

村の手前に大きな遺跡のような大きなコンパウンド(現地の建物をこう呼ぶ)があった。上から見れば四角形に見えるように土塀が建てられており、一辺が100mくらいありそうだ。部分的に崩れている廃墟だが、エジプト文明の遺跡のようで美しい。

←そのコンパウンド

第4小隊はこのコンパウンドからやや遠くの道をたどって村に入ったが、我々第1小隊はこのコンパウンドを調べることにした。3つの戦闘班のうち、1班が塀が崩れたところから中へ入り、別の2つの班がそれぞれ左右の塀の外側に沿って歩いた。

彼らが異常を発見することなくコンパウンドを通り過ぎたので、我々指揮班はコンパウンドの中へ入った。中は雑草が少し生えた広場になっており、はるか昔に見放された廃墟のようだった。戦闘班が中をチェックしたので、ほぼ確実に敵は潜んでいないと思われるが、我々は慎重に広場の中央を進んでいく。我々が入った入口の真向かいに出口はあった。

そこも塀が崩れたところだ。かつてはここに扉があったが、古くなって扉が外れ、隙間ができたため、強度が低くなり、この部分が崩れたのだろう。遺跡と呼ぶより廃墟と呼ぶほうが正しいが、塀の色がエジプトのピラミッドのような色をしているので、映画「スターゲイト」の米兵になった気分がした。

すると突然、ボーボニス曹長がつぶやいた。
「なんだこれは?」

曹長のほうを向くと、曹長と通信兵が足元の地面を見つめている。もっとよく見えるように曹長がしゃがんだ。そこから5mほど離れた私の位置からは、地面から5㎝ほど伸びた白い細いコードが見える。電気コードっぽく見える。IEDでなければいいが。

曹長が静かに言った。
「全員、離れろ。電気コードの切れ端が地面から出ている。念のために工兵を呼ぶ。」
我々は歩いて遠ざかる。曹長は無線で中隊長に報告するとともに、工兵を要請した。

我々はコンパウンドの内壁に寄り掛かり座る。

←コンパウンド内のすみに座るオアロ上級軍曹とバラシュ一等兵

白いコードからは50mくらい離れている。少しすると工兵小隊の2名がコンパウンドに入ってきた。2人とも40歳くらいに見えるので、ベテラン工兵と思われる。実際の爆発物処理経験もあるかもしれない。

曹長は彼らに歩み寄り、コードの位置に案内したあと、我々の座っているところに戻ってきた。工兵2人の手元は見えなかったが、スコップで地面を少し掘ったりするのを眺めていると、1人が我々のほうへ歩いてきた。

「爆薬が見つかった。爆薬の量が多いから、もっと離れないとダメだ。このコンパウンドから出たほうがいい。」

工兵はニヤニヤした顔でそう言った。こんなときにニヤつくのは異常に思われるかもしれないが、私はなんとなく理解できる。自分の本領を発揮できる喜びかもしれないし、実はストレスを緩和するための自然な心理的反応かもしれない。

ボーボニス曹長が工兵に後の処理を頼むと、我々はコンパウンドの外へと歩いていった。曹長が言う。
「地面からヒモが出ていて、よく見たら電気コードだったから変だと思ったんだ、ハッハッハ。」
危機を回避すると人間は笑ってしまうものだ。

後になって聞いたのだが、そこには25㎏もの爆薬があり、携帯電話の遠隔操作で起爆する仕組みのIEDだった。もし爆発していれば、我々はあの世行きだったはずだが、なぜ爆破されなかったのか?工兵がいくつかの仮説を話してくれた。

最初の仮説としては、爆破の失敗が挙げられる。IEDの製造に不備があったり、携帯電話の遠隔操作に不備があったのかもしれない。つまり、不良品だったという説だ。

次の仮説は、起爆装置である携帯電話を持つ敵が、爆破するタイミングが来るまえに逃げたというもの。コンパウンドに近づくことなく、まず第4小隊が村に入って行ったので、村からコンパウンドを見張っていた敵は起爆することなく逃げるしかなかった。

村に入る前にコンパウンドに入っていたら、危なかったかもしれない。

次の仮説はIEDの放棄だ。敵はこの日より前の別の日に、待ち伏せのためにIEDを仕掛けたが、全然フランス軍がコンパウンドに入らないので諦めてしまった。

他にも仮説はあるだろうが、私が聞いたのは以上だ。とにかく自分たちが無事でよかった。このIEDは回収され、FOBトラ近くの荒野で爆破処理されたらしい。

コンパウンドを出た我々は村を目指した。

←コンパウンドを出たところ

←地雷やIEDを探す工兵(今回の記事とは別の日)
←別の任務で回収された爆発物の爆破処理
←その爆発物

つづく
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Posted by 野田力  at 09:56Comments(4)アフガニスタン