2013年04月15日
狙撃
はじめに
実は4月1日から13日まで、所用で英仏へ行っていました。なかなか日本語が打てるパソコンにありつけず、いただいたコメントへの返信が遅れてしましました。コメントをくださった皆さま、週末に返信を書きましたので、ご覧ください。
それでは、連載のつづきにまいりましょう。
――――――――――
アフガン兵が手首に被弾し、米陸軍のブラックホークに搬出された翌日、我々の車列はCOP46を出た。第1小隊4台、第4小隊4台、指揮小隊5台だ。
第1、第4小隊は戦闘班で構成されているが、指揮小隊は中隊長班、副中隊長班、ADU(中隊の最先任下士官)班、車両整備班、そして私の所属する医療班で構成されている。
第1、第4小隊のVABが列を成してCOP46を後にした。中隊長班や副中隊長班のVABはその列のどこかに混ざる。最後にADU班、医療班、車両整備班のVABがつづく。これら3つの班はいつも一組となって動く。
タガブ谷東側にひろがる荒野に、第3中隊の車両群が散らばった。しかし、どんな配置になっているのかは私にはわからない。我々の位置は谷の西側にある村の端から1kmくらい離れている。一番接近しているVABでも500~600mくらいではないかと思う。
第1小隊所属の狙撃班やミラン(対戦車ミサイル)班は小高くなった地形のところに陣取っているだろう。我々の荒野への展開に対する敵の反応を観測するのだ。
エンジンを切り、ヘルメットをハンドルの上に置いた。退屈な時間が始まった。何時間たっても、敵の反応はない。戦場の時間の多くはこのように暇だ。日光の暑さがVABの車体を通して体に伝わる。
脱水症状にならないように、運転席のわきに置いてある500mlのペットボトルからミネラルウォーターを飲んだ。そして再び、遠くに見える村に目をやる。
目では村を見ているが、心はもの思いにふけっていた。「1年後除隊したら何をしよう」とか、「日本の親友たちは今どうしているのだろう」とか、「アフガン派遣後の長期休暇はどこに行くか」など考えていた。
すると、中隊長から無線が入った。
「全コールサイン、レッドのほうで1人、ヘルメットを撃たれた。緊急搬送の必要はない。」
「レッド」とは第2中隊のコールサインだ。つまり、第2中隊の誰かがヘルメットに被弾したのだ。被弾すること自体は不運だが、ヘルメットに救われるのは好運と言えるだろう。
しかし、7.62mm弾をヘルメットに被弾すると、衝撃で首の骨を折ってしまうと聞いたことがある。無線で「搬出の必要はない」と言っていたので、折れてはいないのだろう。
ヘルメットに撃ち込まれた弾丸は遠距離から放たれたものだったかもしれないし、アゴひもを外していたから、ヘルメットだけが飛んでいき助かったのかもしれない。さまざまな条件で負傷の程度も変わる。
第2中隊がどこで何をしているのかについては、私は全然知るよしもなかった。ヘルメットに被弾したのは、激しい戦闘のときなのか、狙撃を受けたからなのか、それすらわからない。まあ、私の立場では、知る必要性がないから情報が届かないのだ。どのみち後で、現場にいた奴らから聞く。
←どこから狙撃されるかわからない。
我々第3中隊のほうでは何もなかった。朝から夕方まで荒野に停まったVABのなかで、丸一日太陽に蒸されたあと、暗くなると、車列を成してCOP46に戻った。
COP46に常駐している衛生兵が我々のVABのところにやってきた。外人部隊ではないフランス正規軍の、第1機甲パラシュート連隊に所属するフォエという名の黒人兵だ。40歳過ぎで中年太りをしている。
フォエは1990年に陸軍に入隊した古参兵で、初陣はなんと湾岸戦争だった。その後、アフリカ諸国や旧ユーゴスラビアの紛争など、いろいろな地域へ派遣され、アフガニスタンは2回目の派遣だという。
フォエとは、アフガニスタンに派遣される4ヶ月前の演習で一緒に行動し、知り合った。私より10歳以上年上だが、階級は私と同じ上級伍長なので仲良く話すことができた。
そんなフォエが、VABの後ろにいる我々のもとへやってきて、「村から敵がロケットを撃ってくるとしたら18時から22時のあいだだ」と言った。毎晩ではないが、毎週1回は必ず飛んでくるという。しかし、1発もCOP敷地内に落ちたことはない。
←これがよく飛んでくるロケット、中国製の「シコム」。のちに何度かCOP46の中心部に着弾し、車両やトイレを破損し、1名の死者と数名の負傷者を出すこととなる。
フォエは我々とともに缶ジュースを飲み、少し雑談をした後、自分の寝泊りする天幕へ戻って行った。天幕の半分が診療所で、残り半分が生活スペースとなっている。折り畳みベッドに寝る生活だ。
←COP46の診療所
←診察室/治療室。垂れ幕の向こう側が生活スペース
つづく
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実は4月1日から13日まで、所用で英仏へ行っていました。なかなか日本語が打てるパソコンにありつけず、いただいたコメントへの返信が遅れてしましました。コメントをくださった皆さま、週末に返信を書きましたので、ご覧ください。
それでは、連載のつづきにまいりましょう。
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アフガン兵が手首に被弾し、米陸軍のブラックホークに搬出された翌日、我々の車列はCOP46を出た。第1小隊4台、第4小隊4台、指揮小隊5台だ。
第1、第4小隊は戦闘班で構成されているが、指揮小隊は中隊長班、副中隊長班、ADU(中隊の最先任下士官)班、車両整備班、そして私の所属する医療班で構成されている。
第1、第4小隊のVABが列を成してCOP46を後にした。中隊長班や副中隊長班のVABはその列のどこかに混ざる。最後にADU班、医療班、車両整備班のVABがつづく。これら3つの班はいつも一組となって動く。
タガブ谷東側にひろがる荒野に、第3中隊の車両群が散らばった。しかし、どんな配置になっているのかは私にはわからない。我々の位置は谷の西側にある村の端から1kmくらい離れている。一番接近しているVABでも500~600mくらいではないかと思う。
第1小隊所属の狙撃班やミラン(対戦車ミサイル)班は小高くなった地形のところに陣取っているだろう。我々の荒野への展開に対する敵の反応を観測するのだ。
エンジンを切り、ヘルメットをハンドルの上に置いた。退屈な時間が始まった。何時間たっても、敵の反応はない。戦場の時間の多くはこのように暇だ。日光の暑さがVABの車体を通して体に伝わる。
脱水症状にならないように、運転席のわきに置いてある500mlのペットボトルからミネラルウォーターを飲んだ。そして再び、遠くに見える村に目をやる。
目では村を見ているが、心はもの思いにふけっていた。「1年後除隊したら何をしよう」とか、「日本の親友たちは今どうしているのだろう」とか、「アフガン派遣後の長期休暇はどこに行くか」など考えていた。
すると、中隊長から無線が入った。
「全コールサイン、レッドのほうで1人、ヘルメットを撃たれた。緊急搬送の必要はない。」
「レッド」とは第2中隊のコールサインだ。つまり、第2中隊の誰かがヘルメットに被弾したのだ。被弾すること自体は不運だが、ヘルメットに救われるのは好運と言えるだろう。
しかし、7.62mm弾をヘルメットに被弾すると、衝撃で首の骨を折ってしまうと聞いたことがある。無線で「搬出の必要はない」と言っていたので、折れてはいないのだろう。
ヘルメットに撃ち込まれた弾丸は遠距離から放たれたものだったかもしれないし、アゴひもを外していたから、ヘルメットだけが飛んでいき助かったのかもしれない。さまざまな条件で負傷の程度も変わる。
第2中隊がどこで何をしているのかについては、私は全然知るよしもなかった。ヘルメットに被弾したのは、激しい戦闘のときなのか、狙撃を受けたからなのか、それすらわからない。まあ、私の立場では、知る必要性がないから情報が届かないのだ。どのみち後で、現場にいた奴らから聞く。
我々第3中隊のほうでは何もなかった。朝から夕方まで荒野に停まったVABのなかで、丸一日太陽に蒸されたあと、暗くなると、車列を成してCOP46に戻った。
COP46に常駐している衛生兵が我々のVABのところにやってきた。外人部隊ではないフランス正規軍の、第1機甲パラシュート連隊に所属するフォエという名の黒人兵だ。40歳過ぎで中年太りをしている。
フォエは1990年に陸軍に入隊した古参兵で、初陣はなんと湾岸戦争だった。その後、アフリカ諸国や旧ユーゴスラビアの紛争など、いろいろな地域へ派遣され、アフガニスタンは2回目の派遣だという。
フォエとは、アフガニスタンに派遣される4ヶ月前の演習で一緒に行動し、知り合った。私より10歳以上年上だが、階級は私と同じ上級伍長なので仲良く話すことができた。
そんなフォエが、VABの後ろにいる我々のもとへやってきて、「村から敵がロケットを撃ってくるとしたら18時から22時のあいだだ」と言った。毎晩ではないが、毎週1回は必ず飛んでくるという。しかし、1発もCOP敷地内に落ちたことはない。
フォエは我々とともに缶ジュースを飲み、少し雑談をした後、自分の寝泊りする天幕へ戻って行った。天幕の半分が診療所で、残り半分が生活スペースとなっている。折り畳みベッドに寝る生活だ。
つづく
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※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
演習終わったらドコに飲みに行こうか女の子誰誘おうか、長期休暇は何して遊ぼうか何てことばかり考えてメモ帳にコッソリ計画書まで作ってます(笑)
ちなみにフランスでは日本人男性だとあんまりモテませんよね?
日本アニメなどの新しい文化や一般的な文化、格闘技にある程度詳しかったり有段者だったりするのですがそれらの話題はウケますか?
あと日本人でフランス人の美人な嫁さんゲットした方とか居たりしましたか?
フランスでは日本のアニメや漫画が大人気なので、そういったファンの女性から日本人男性はモテると、現地在住の日本人の友人が言っていました。その本人もモテているようです。
武道や茶道などの古来の文化より、アニメ・漫画や日本車・バイク、ゲーム機器などのほうが私の周りでは関心を持たれていました。
美人かどうか私は判断しませんが、仏人女性を嫁にもらった日本人はいます。
やはり、国籍や人種以上に、個人個人がいい男かどうかではないでしょうか。
ガキの頃から外人部隊に憧れてもう何年もたちます。
野田さんの写っている本も読ませていただきました。所英男さんと同じジム?だったんですね。うらやましい笑 私も総合やっていてブラジリアンにはいつも苦戦させられます。笑
さて、部隊への憧れはいまでも変わりません。ですが単純に憧れだけではやっていけない現実も知ってきました。オペレーションの死亡や訓練の事故は除いて、私が一番悩んでいるのは再就職に関してです。いままで二人の元隊員から直接話す機会がありましたが、どちらもかなり苦労されていました。
目下、フランスは大きな戦争をしていません。ほとんどの兵士は生きて除隊すると思います。長く居ても40?が定年ではその先くっていけません。
いまはヨーロッパ自体ガタガタですし外国人である日本人を雇う余裕があるとも思えません。
野田さんは 空挺、衛生兵 英語 フランス語話せて オペレーション歴あり、と兵士として履歴的にも申し分ないと思います。
それでもやはり就職は厳しいのでしょうか?
入隊前から除隊後の心配するのもおかしいですが、戦争や事故で死ぬ覚悟はあっても、その先、現実的に職をさがして生きていかないといけないわけですし。
その辺りぜひアドバイスお願いします。
自分の理想の仕事に就きたいと思えば、再就職は大変かもしれませんね。
年齢の問題もあるかもしれません。
ただ、仕事がないわけではないです。
私の知り合いたちも除隊後、立派に就職して働いています。
もし今、良いと思える仕事に就いているのなら、わざわざ退職してまで志願しなくてもいいと思います。
なるほど。少し自分は考えが贅沢だったかもしれません。
参考になりました。
ありがとうございます。
あくまで私の意見ですので、最終的には自分の納得のゆく道を選んでください。