2013年02月11日

新COP建設

はじめに

このたび、我が連隊2REPがアフリカのマリに実任務でパラシュート降下を決行したというニュースが入ってきました。
実任務でのパラシュート降下は私はやったことがなく、大変うらやましく思いました。

さて、ブログ記事に参りましょう。
今回のエピソードで「COP」や「FOB」や「ADU」など、略語がでてきます。ここで少し用語説明を加えます。
COP=Combat Outpost≒前哨砦
FOB=Forward Operating Base=前方作戦基地
ADU=Adjudant d’Unite≒中隊曹長≒最先任下士官
VAB=Vehicule de l’Avant Blinde≒前面装甲車(フランス軍の主力兵員輸送車)
それではどうぞ。

―――――――――― 

 村に車両で近づき敵の反応を見る作戦から1週間が過ぎたころ、再び同じ形で村に近づく作戦に出動することとなった。今回は、我々第3中隊の後方を工兵部隊や輸送部隊の装甲車、トラック、ブルドーザーなどの車両が横切る。

 作戦の目的はタガブ谷の東端に新たなCOPを建設することだ。工兵・輸送部隊が攻撃を受けることなく、谷を北上し、建設工事を実施できるように、第3中隊が盾となるのだ。COPロコから第2中隊も参加する。

 前回の作戦と同じように、未明に我々の車列はFOBトラを出た。途中から暗視装置を使い、無灯火で車両を操縦し、配置についた。配置は前回とほぼ同じで、戦闘小隊や中隊長、副中隊長のVABが谷の西側にある村に横一列で面して、潜む敵と対峙し、我々衛生班はADU班や車両整備班と少し後ろで待機だ。

 明るくなるころには配置につき、次の動きを待った。敵が撃ってくるのが先か、COP建設隊が通るのが先か。今は、とにかく待つことしかできない。実戦というのは、何もしない待ち時間が本当に多い。

 数時間後、動きがあった。建設隊の通過だ。私の後方、つまり東側数百メートルの道路上を、トラックや装甲車が走っているのが見える。オリーブグリーン色のブルドーザーも走っている。
新COP建設

 建設隊の車列が走っている道路はタガブ谷の南東から北へ向かって延び、途中で西へと曲がり、谷の真ん中あたりで再び北へ向かって延びている。そのまま、ずっと北上すれば、別のフランス軍部隊「タスクフォース・ブラックロック」のいるFOBタガブにたどり着く。

 私の位置からは見えなかったが、建設隊はその道路が西へと曲がるところで道路から外れ、荒野を北東方向へ数百メートル進み、東端の山のふもとまで移動した。どうやら、その辺りには第2中隊がいるようで、彼らが建設現場の警護を担うらしい。
新COP建設

「ブラック3、コンタクト!」
 敵が撃ってきた。遠くで乾いた連射音が響き、第3小隊小隊長の声が無線から流れた。ブラック3は第3小隊を表す。ブラック1なら第1小隊だ。

 第3小隊の連中が応戦する銃声が聞こえる。そんななか、私は彼らの後ろのVABのなかでじっとしている。もどかしい。どんな戦闘になっているのだろうか?

 後で第3小隊の仲間に聞いたところ、興味深いエピソードを話してくれた。

 土壁に囲まれたアフガンの伝統的な家屋を「コンパウンド」と国際部隊は呼んでいるのだが、村の端に位置するコンパウンドから敵は発砲していた。第3小隊のVAB群は村から約600mまで距離を縮めている。
新COP建設新COP建設新COP建設新COP建設
 何人かがコンパウンドに向けて発砲した。敵を狙い撃つというより、敵をコンパウンドのなかに封じ込め、撃ってこられなくするための牽制だ。FAMASやMINIMIの5.56mm弾からブローニングM2の12.7mm弾まで、派手に撃ち込まれた。

 第3小隊の狙撃兵、ベラルーシ人のヴェラメユー伍長とスロバキア人のドルニック一等兵はFRF2狙撃銃とともにVABを降り、少し離れたところの、荒野がやや隆起した地点にスリーピングマットを敷いて、伏せた状態でFRF2に装着された8倍スコープで敵を捜した。
新COP建設←FRF2

 ドルニックが村の端の低い土壁越しに銃を構える敵を見つけ、ヴェラメユーに伝え、発砲した。
外れた。ヴェラメユーが続いて発砲する。外れた。再びドルニックが撃つ。外れた。

 やがてその敵は2人に気づき、2人に向けてセミオートで発砲を始めた。フルオートではない。敵はAKを連射する傾向にある。ドラグノフ狙撃銃を使用していたのだろうか。

 敵弾も2人に当たらなかった。引き続き2対1での撃ちあいが続いた。ドルニックたちは2人で合計30発ほど撃ったが、結局互いに1発も当たらないまま、敵は壁の陰に入り、姿をくらました。

狙撃手というと「One Shot, One Kill」とか「One Round, One Kill」という一発必中のイメージがあるが、今回はイメージダウンとなってしまった。そういうときもある。2人は引きつづき、村の監視をつづけた。


つづく







同じカテゴリー(アフガニスタン)の記事画像
戦傷者Part6
戦傷者Part5
戦傷者Part4
戦傷者Part3
戦傷者Part2
戦傷者Part1
同じカテゴリー(アフガニスタン)の記事
 戦傷者Part6 (2013-08-26 07:00)
 戦傷者Part5 (2013-08-19 07:00)
 戦傷者Part4 (2013-08-12 17:16)
 戦傷者Part3 (2013-08-05 07:00)
 戦傷者Part2 (2013-07-29 21:11)
 戦傷者Part1 (2013-07-22 07:00)

Posted by 野田力  at 07:00 │Comments(2)アフガニスタン

この記事へのコメント
初めまして。


野田さんが使われていた装備は日本に持ち帰られているのでしょうか。

それとも野戦服等の支給された装備は、除隊時に返却するのでしょうか。

お答え願えますと幸いです。
Posted by 箱 at 2013年02月15日 20:28
箱さん
はじめまして。
除隊時に返納する装備もあれば、もらえる装備もあります。
アフガンで使っていた戦闘服は返納義務はありませんでした。4着、支給を受け、1着だけ持ち帰りました。
他の3着は、米兵やドイツ兵、ルーマニア兵との戦闘服交換に使いました。
Posted by 野田力野田力 at 2013年02月16日 17:52
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。