2012年07月10日
装備支給
はじめに
もうすぐ7月14日です。7月14日はフランスの革命記念日で、アメリカでいう7月4日のような大祝日です。パリのシャンゼリゼ通りで軍事パレードが開催され、騎馬隊、外人部隊、歩兵、工兵、警察、消防、装甲車、戦車など、あらゆる兵科が行進します。しかも上空を航空機が「パレード」します。
私の中隊は2009年にパレードし、私自身も参加しました。シャンゼリゼのド真ん中を威風堂々と歩くことは貴重な経験で、楽しかったです。
何よりも楽しかったのは、課業時間外にパリ市内を観光したりできたことです。スロバキア人やネパール人の後輩たちを「日本人街」の和食レストランへ案内し、一緒にチキンカツ定食を食べました。スロバキア人が私に言った感想は、「美味しかった。あなたが日本人だからそう言ってるのではなく、本当に美味しかったです」でした。
それではアフガンシリーズの続きに参りましょう。
――――――――――
弾薬・弾倉の次は、各種個人装備を支給された。小型バックパック、ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)、ゴーグル、ニーパッドなど。
我々は米国キャメルバック社製の中型バッグ「BMF」、もしくは「マザーロード」というモデルのオリーブドラブ色を持参していたが、フランス軍はアフガニスタンに派遣される兵士に、ある中型バックパックを支給していた。
そのモデルは、我々が持参していたものと同じキャメルバック社のBMFだった。ただ、色が違った。「フォリエッジ」という灰色、もしくはACU迷彩だった。私はACUのBMFを渡された。我々は米軍ではないのに、不思議な色の選択だ。
色はさておき、BMFは頑丈だし、機能的で使いやすい。我々の前にいた部隊が使い古していたので、表面が擦れたり、色褪せていたが、まだまだ使える。それに、今までオリーブグリーンのBMFを使っていたので、ACUは新鮮で気分転換になる。使い慣れたオリーブグリーンがいいという者は、持参したBMFを使えばいい。
ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)は、さすがに新品が支給された。こればかりは中古を配ったりはできない。衛生上、問題になる。
ハイドレーション・リザーバーに関しては、キャメルバック社が有名だが、我々が受け取ったのは、ブラックホーク社のリザーバーだった。約3リットルの水が入る長方形の袋から、チューブが伸び、その先にゴムのバルブが付いており、噛んで吸うと水が出る仕組みになっている。
リザーバーをバックパックに入れ、チューブだけを体の前面に回して飲むという装備だ。これなら、走りながらでも飲める。さらに、装甲車運転席の天井に吊るせば、運転中、前を見ながらでも飲める。
我々の多くがキャメルバックのリザーバーを持参していたが、どちらでも好きな方を使えばいい。私はキャメルバックを使うことにした。口をつけるバルブに保護カバーがついているからだ。
アフガニスタンは土埃が多いので、バルブが埃だらけになるのは確実だ。いくら埃にまみれても、カバーさえ外せば、清潔なバルブがあるというのはありがたい。
ゴーグルは、信頼できるモデルが支給されたが、前任部隊のやつらに酷使され、レンズが傷だらけになっていて、装着すると視界が遮られた。こんなものを使うと逆に危険だ。
私はもともと自前のゴーグルを持参していた。米国ESS社製「プロファイル」のアジアン・フィット版だ。アジア人の顔にフィットするよう設計されたモデルなので、私の顔にも隙間なくフィットした。
オリジナルのプロファイルならば、鼻と額中央のあたりに隙間ができる。そこから土埃が入ってきては困る。私がゴーグルを着用する1番の目的は、爆発物の破片などから目を保護することだが、破片と埃の両方に対して効果のあるアジアン・フィットは理想的だった。
他の兵士たちも自前のゴーグルやシューティング・グラスを持っていた。米国オークリー社、米国ワイリーX社、フランスのボレー社など。誰だって目を守りたい。皮膚に破片が軽く突き刺さるくらいなら、やがては治るが、瞳をやられたら、失明してしまう。
ニーパッドも支給された。しかし、膝に固定するためのエラスティック・バンドが伸びきっていて、ヨレヨレだった。固定したい位置にうまく固定できない。こんなもの、いらない。
結局、ニーパッドは一切使わないことにした。迷彩ズボンの膝の部分が、保護パッドを入れられるように、ポケット状になっていたので、ウレタン製のスリーピング・マットを適当なサイズに切って、そこに入れることにした。
釘などが上を向いて出ていたら、貫いて膝に刺さるが、滅多にないことだ。ゴツゴツした岩肌に膝をついても痛くなければ、それでいい。立派なニーパッドがないなら、このように即席で作るしかない。
良好なエラスティック・バンドのついたニーパッドを支給された好運な兵士は、通常使用のとおり、膝に装着し、中には、エラスティック・バンドを切り取ったニーパッドを、ズボンの膝部分に挿入する者もいた。
私がスリーピング・マットからハサミでパッドを切り出していると、ルームメイトのナチェフがのぞき込んで言った。
「おい、ノダ。いいもん作ってるじゃないか。それ、余分にないか?」
つまり、“俺にも作ってくれ”という意味だ。私は即座に答えた。
「ああ。ちょっと待ってくれ。」
ナチェフはいい奴なので、作ってやりたい。
自分のために切り出していた最初のパッドをナチェフにやり、その後、自分のぶんを作ることにした。ナチェフは「Merci (メルスィ= ありがとう)」と言い、膝にあるベルクロ式開閉口をジャリジャリッと開けて、さっそくパッドを入れて試した。
「ノダ、ピッタリだ。上手に作るもんだな。」
当然だ。定規で図って切り出すという手間をかけているんだから。大事に使ってくれよ、ナチェフ。
←私のキャメルバックBMF OD
←コルシカ島での山岳行軍で、BMFやマザーロードを背負う第3中隊のメンバーたち
つづく
―――――――――――――――――――――
もうすぐ7月14日です。7月14日はフランスの革命記念日で、アメリカでいう7月4日のような大祝日です。パリのシャンゼリゼ通りで軍事パレードが開催され、騎馬隊、外人部隊、歩兵、工兵、警察、消防、装甲車、戦車など、あらゆる兵科が行進します。しかも上空を航空機が「パレード」します。
私の中隊は2009年にパレードし、私自身も参加しました。シャンゼリゼのド真ん中を威風堂々と歩くことは貴重な経験で、楽しかったです。
何よりも楽しかったのは、課業時間外にパリ市内を観光したりできたことです。スロバキア人やネパール人の後輩たちを「日本人街」の和食レストランへ案内し、一緒にチキンカツ定食を食べました。スロバキア人が私に言った感想は、「美味しかった。あなたが日本人だからそう言ってるのではなく、本当に美味しかったです」でした。
それではアフガンシリーズの続きに参りましょう。
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弾薬・弾倉の次は、各種個人装備を支給された。小型バックパック、ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)、ゴーグル、ニーパッドなど。
我々は米国キャメルバック社製の中型バッグ「BMF」、もしくは「マザーロード」というモデルのオリーブドラブ色を持参していたが、フランス軍はアフガニスタンに派遣される兵士に、ある中型バックパックを支給していた。
そのモデルは、我々が持参していたものと同じキャメルバック社のBMFだった。ただ、色が違った。「フォリエッジ」という灰色、もしくはACU迷彩だった。私はACUのBMFを渡された。我々は米軍ではないのに、不思議な色の選択だ。
色はさておき、BMFは頑丈だし、機能的で使いやすい。我々の前にいた部隊が使い古していたので、表面が擦れたり、色褪せていたが、まだまだ使える。それに、今までオリーブグリーンのBMFを使っていたので、ACUは新鮮で気分転換になる。使い慣れたオリーブグリーンがいいという者は、持参したBMFを使えばいい。
ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)は、さすがに新品が支給された。こればかりは中古を配ったりはできない。衛生上、問題になる。
ハイドレーション・リザーバーに関しては、キャメルバック社が有名だが、我々が受け取ったのは、ブラックホーク社のリザーバーだった。約3リットルの水が入る長方形の袋から、チューブが伸び、その先にゴムのバルブが付いており、噛んで吸うと水が出る仕組みになっている。
リザーバーをバックパックに入れ、チューブだけを体の前面に回して飲むという装備だ。これなら、走りながらでも飲める。さらに、装甲車運転席の天井に吊るせば、運転中、前を見ながらでも飲める。
我々の多くがキャメルバックのリザーバーを持参していたが、どちらでも好きな方を使えばいい。私はキャメルバックを使うことにした。口をつけるバルブに保護カバーがついているからだ。
アフガニスタンは土埃が多いので、バルブが埃だらけになるのは確実だ。いくら埃にまみれても、カバーさえ外せば、清潔なバルブがあるというのはありがたい。
ゴーグルは、信頼できるモデルが支給されたが、前任部隊のやつらに酷使され、レンズが傷だらけになっていて、装着すると視界が遮られた。こんなものを使うと逆に危険だ。
私はもともと自前のゴーグルを持参していた。米国ESS社製「プロファイル」のアジアン・フィット版だ。アジア人の顔にフィットするよう設計されたモデルなので、私の顔にも隙間なくフィットした。
オリジナルのプロファイルならば、鼻と額中央のあたりに隙間ができる。そこから土埃が入ってきては困る。私がゴーグルを着用する1番の目的は、爆発物の破片などから目を保護することだが、破片と埃の両方に対して効果のあるアジアン・フィットは理想的だった。
他の兵士たちも自前のゴーグルやシューティング・グラスを持っていた。米国オークリー社、米国ワイリーX社、フランスのボレー社など。誰だって目を守りたい。皮膚に破片が軽く突き刺さるくらいなら、やがては治るが、瞳をやられたら、失明してしまう。
ニーパッドも支給された。しかし、膝に固定するためのエラスティック・バンドが伸びきっていて、ヨレヨレだった。固定したい位置にうまく固定できない。こんなもの、いらない。
結局、ニーパッドは一切使わないことにした。迷彩ズボンの膝の部分が、保護パッドを入れられるように、ポケット状になっていたので、ウレタン製のスリーピング・マットを適当なサイズに切って、そこに入れることにした。
釘などが上を向いて出ていたら、貫いて膝に刺さるが、滅多にないことだ。ゴツゴツした岩肌に膝をついても痛くなければ、それでいい。立派なニーパッドがないなら、このように即席で作るしかない。
良好なエラスティック・バンドのついたニーパッドを支給された好運な兵士は、通常使用のとおり、膝に装着し、中には、エラスティック・バンドを切り取ったニーパッドを、ズボンの膝部分に挿入する者もいた。
私がスリーピング・マットからハサミでパッドを切り出していると、ルームメイトのナチェフがのぞき込んで言った。
「おい、ノダ。いいもん作ってるじゃないか。それ、余分にないか?」
つまり、“俺にも作ってくれ”という意味だ。私は即座に答えた。
「ああ。ちょっと待ってくれ。」
ナチェフはいい奴なので、作ってやりたい。
自分のために切り出していた最初のパッドをナチェフにやり、その後、自分のぶんを作ることにした。ナチェフは「Merci (メルスィ= ありがとう)」と言い、膝にあるベルクロ式開閉口をジャリジャリッと開けて、さっそくパッドを入れて試した。
「ノダ、ピッタリだ。上手に作るもんだな。」
当然だ。定規で図って切り出すという手間をかけているんだから。大事に使ってくれよ、ナチェフ。
←私のキャメルバックBMF OD
←コルシカ島での山岳行軍で、BMFやマザーロードを背負う第3中隊のメンバーたち
つづく
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スリーピングマットからニーパッドを切り出すなんてまさに現地改修ですね^^
うちにも2009年製の COMBAT FELINの上下があるので(vショーの某ブースで仕入れた新品)膝ポケットに入れてみようと思います。
仏軍は米軍に比べたら貧乏なので、その場にあるものを工夫して利用するしかないです。
FELIN上下をお持ちなんですね。レアですよ。
なお、私はFELIN上着の尻の所の大ポケット、暑いので切り取りました。あと同じ理由で、肘の補強も切り取りました。前部のジッパーも切り取りました。
ふと気になったのですが、野田さんが除隊した理由はアフガニスタン派遣と何か関係あるのでしょうか?(期間が約半年ぐらいなので)
定年退職(あるのか分かりませんが)というわけでもないと思うんですが・・
つっこんだ質問ですみません。
コメントありがとうございます。
アフガン派遣は、私の除隊とは関係ありません。私の契約延長と関係があります。
外人部隊の任期は最低5年です。正直、連隊での生活がストレスだったので、5年の契約期間が終わり次第、除隊しようと思っていたのですが、除隊の少し前に「中隊がアフガンに行く」と発表されたので、延長しました。
部隊で、歩兵技術・衛生技術・装甲車操縦など、いろいろな技術を教わったので、アフガンでそれらの技術を発揮する機会があればと思い、なるべく早く除隊することを諦め、延長しました。
野田さんのブログを拝見させて頂き、毎度とても勉強になっています。
私は現在高校生であり、高校を卒業後、海外で軍事関係の仕事に就きたいと思っており、その視野の一つとしてフランス外人部隊があります。
そこで、フランス外人部隊の入隊試験に関してお聞きしたい事がいくつかあります。
①外人部隊の入隊試験を受ける際、仏語学力はどの程度必要なのか。
②身体テストにおいて、私は視力があまり良くないのですが、以前インターネットでレーシックなどの治療を行えば大丈夫という情報を見たのですが、それは本当なのか。
③入隊前に自衛隊などの軍歴があった方が優遇されるのか。
④総合的な難易度としてはどの程度であるのか。
⑤野田さんが入隊されるまでに何回入隊試験を受けられたか。
あまり統一性のない質問で申し訳ないのですが、教えて頂ければ幸いです。
私が入隊試験を受けたのは2004年10月なので、当時の試験と今の試験は同じではないと思います。
とりあえず、私の受験内容でよければ、お答えしましょう。
①正直、仏語力は受験段階ではゼロでも構いません。日本語のテストが用意されています。
ただし、入隊してからフランス語が出来ないと苦労します。
②同僚に目の手術を受けてから受験し、入隊した者が複数人数います。
③自衛隊経験が優遇されるかは、私にはよくわかりませんが、自衛隊の経験は少しは好印象かもしれませんね。
④難易度については、私は他の軍隊を経験していないのでわかりません。自衛隊を除隊してから外人部隊に入隊した同僚たちのなかには、自衛隊のほうが厳しかったと言う者もいます。
⑤私は1発合格でした。
とても参考になりました。やはり年代毎に試験内容も変化していますよね・・・
それにしても、一発合格とは凄いですね。実際に受けるかはまで分かりませんが、本格的に決定した際は私も合格できるように頑張ります。