2012年05月10日

FOB到着

はじめに

ビン・ラディンが殺されてから、1年が経ちました。
当時、そのニュースを聞いたときは、驚きましたが、喜びとか達成感などは感じませんでした。なぜかわかりませんが、ある戦死した同僚の顔が思い出されました。被弾して苦しんでいたときの顔がです。
テレビをつけると、ニューヨークなど、アメリカ各地で、多くの人々がお祭りかのように、歓喜の声をあげていました。「アメリカ万歳!!!」と・・・。
私はアメリカという国は、正直、好きです。しかし、これらの歓喜に満ちた人々には強い違和感を感じました。
アメリカ万歳?
この戦争に、アメリカの同盟として戦っている国は数多く、死傷者を出しているのもアメリカだけではありません。アフガニスタンの民間人も多数の死者を出しています。
この戦争の死傷者のことを考えたら、あのお祭り騒ぎはやめて欲しかったです。

一般大衆に、「戦争の犠牲者のことを考えろ」というのは無理なことだとは思います。そこのところは理解しているつもりです。私も、もし兵士でなかったら、アフガニスタンに関心すらなかったかもしれません。ですから、あまり強くは私も言えません。
ただただ私は上記のように感じました。

さて、前回は、バグラム航空基地からチヌークで飛びたち、FOBへ向かうところまで書きました。FOBとはどのような場所なのでしょうか。
つづきをどうぞ。

――――――――――

30分ほどするとチヌークは高度を下げ始めた。いよいよFOB に到着する。依然として下界は、文明のおもかげのない、起伏のはげしい荒野だ。高度だけでなく、速度も落ちてきた。

着陸が近づくと、チヌークの後部扉は閉じられた。少し暗くなったが、コクピットや左右の窓から光が入るので、じゅうぶん明るい。そんな中、機体が前進する感覚がなくなり、着陸する感覚が伝わってきた。
着陸すると、後部扉はゆっくりと下がり、外へのスロープとなった。日差しが強く、機内にいるのに照り返しが目に刺さる。

米軍乗組員が地面に降り立ち、我々に手招きをする。後ろ側の者から次々と立ち上がり、荷物をかついだり、つかんだりして、チヌークから砂利の敷き詰められたヘリポートに足を付けた。砂利を敷くことで、ローターで舞い上がる砂埃を軽減させているのだ。

チヌークから出ると、左方向50mくらいにFOBが見えた。内部は見えないが、連なる薄茶色の防壁とゲートが見える。とても簡素な造りで、“基地”というより“砦”だ。内側の建物の屋根や長いアンテナ類が防壁を越えて目に入る。

右方向を向くと、ヘリポートの端に、これからチヌークに乗って帰還する兵士達が集合していた。我々の前任部隊である第2外人歩兵連隊(2REI)か第1外人工兵連隊(1REG)だろう。彼らは6ヶ月の任務を、戦死者を出すことなく終了していた。もしかしたら、我々REPも戦死者を出さずに、無事帰還できるかもしれない。

(ちなみに、私の知る限り、この時、2REIに1人、1REGに2人の日本人隊員がいた。アフガニスタン戦争には、外人部隊・米軍・PMCとして、意外と多くの日本人が参戦している。私の知る限り、私を含め、16人はいる。)

FOB到着←到着した我々

FOB到着←帰還する前任部隊

FOB到着←FOBに入ってゆく

我々は、先遣されていた下士官に案内され、FOBに入った。

まずは、装着してきたヘルメットとアーマー、そして20発の弾薬と弾倉を、需品担当者に返却した。そして、ついにアフガン作戦用のヘルメットとアーマーを支給された。アーマーは専用の大きな緑色のバッグに入っていた。

両方ともアメリカ製だ。我々の前に作戦を遂行していた幾つかのフランス部隊が、ほぼ毎日使っていた物で、使い古されていた。それでも機能に問題はない。

「このヘルメットはAKの7.62mm弾を止める」
需品担当者は言った。「心強い !」と思い、勇気が湧いた。しかし、今思えば、どの距離から撃って出たデータだったのだろう・・・。5mと500mでは心強さが大きく変わる・・・。

まあ、弾丸にしろ、爆発物の破片にしろ、装着していなければ、致死率は高まるので、ヘルメットは被っておいた方がいいに決まっている。実際のところ、このヘルメットはあるフランス正規軍兵士の命を守ったことがある。

その兵士は装甲車の上部ハッチから、胸部から上を出し、FAMASを構え、周囲を警戒していた。すると突然、敵の銃撃を受け、1発の弾丸がヘルメットを貫通した。血が吹き出し、顔面を滴る。兵士は「畜生 !頭を撃たれた !助けてくれ!」などと叫びながら、装甲車の中にうずくまった。

同僚たちはヘルメットを外し、おびただしい血に覆われた傷を見ると、額の上部から頭頂部にかけて、線状の傷があった。同僚たちは圧迫包帯で処置し、兵士は国際部隊病院に搬送され、一命を取りとめた。

結局、弾丸はヘルメットを貫いたが、軌道を変え、ヘルメット内壁をなぞるように、兵士の頭皮をえぐったのだった。軌道が変わったおかげで、頭蓋骨を貫かれることなく、脳を撃ち抜かれずに済んだ。

やはり、ヘルメットは是非とも着用したい。

さっそく、ポーチ類をアーマーに取り付けたかったが、先遣の下士官は言った。
「兵舎に荷物を置いたら、すぐ集合だ。FOB内の施設をひと通り案内する。」

FOB到着←アーマーの入ったバッグ

↓ヘルメット
FOB到着
FOB到着
FOB到着

つづく

ビンラディンを殺したシールチームの本


アフガンで戦った米空軍人内山さん


アフガンで戦った義勇兵高部さん


アフガンで戦った米陸軍人飯柴さん





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Posted by 野田力  at 07:00 │Comments(0)アフガニスタン

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