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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年04月22日

狙撃Part2

翌日もCOPから出ていったが、まる一日何も起きなかった。夕方前、まだ明るいうちに帰投を始めたのだが、COP46には戻らなかった。土埃を立てながら荒野を走行し、COP46よりも5kmほど北に建設されたCOP51に向かった。

COP51は、村の端から数百メートル離れたところに孤立した、100m弱の丘の麓にあった。COP46よりも村に近いが、村とは逆の側の麓にあるので、丘が頼もしい遮蔽物となっているうえ、見通しのよい見張り台の役目を果たしている。

COP51もバスチョン・ウォールに囲まれており、中にはテントやコンテナが並び、アフガン国軍が駐屯している。丘の上までT55 戦車が登っており、村の方向を向いている。

我々の車列はCOP51に入らず、COP横に駐車したものの、しばらくすると、COP51から村の方向とは逆の山地の方向へと進み、荒野から山地に入った。大きなタガブ谷から山地のほうに細く短く伸びる小さな谷を進むと、山地の中に盆地のような地形が広がった。

我々はVABを盆地に駐車した。盆地にはすでに第2中隊のVABが何台かいた。その中に、第2中隊医療班のVABもあった。我々がVABを駐車した位置から近い。ヘルメットを撃たれた兵士について聞くことができるだろう。

我々医療班4人は第2中隊の医療班のもとへ、あいさつに行った。彼らから10mくらい離れた地面には戦闘ズボンにTシャツ姿のリトアニア人一等兵が座っていて、ぼんやり遠くを眺めている。額の右上部分に大きな絆創膏を貼っているので、ヘルメットを撃たれたのはこいつだと確信した。

第2中隊の看護官がそのヘルメットを見せてくれた。前面のやや右下寄りにポツンと弾痕があった。弾痕や弾痕の周りは緑の塗装がはがれ、白くなっている。あと数センチ下に着弾していたら死んでいただろう。

ヘルメットの被弾した部分の内壁は少し隆起し、破れた表面からスペクトラ素材の白色が見える。その周りに少し血がついていた。3針縫う傷を負ったという。その程度で済んで良かったと言うべきだろうか。

第2中隊の医療班へのあいさつが済むと、私はミッサニ伍長とその一等兵のもとへ歩み寄った。プルキエ少佐やオアロ上級軍曹は、第2中隊の軍医や看護官と話し続けている。

私とミッサニは一等兵のそばにしゃがみ、あいさつした。
「どんな具合だ?」
私が尋ねると彼は答えた。
「まだ痛いです。吐き気はないですが、めまいがします。」

「撃たれたときの状況を話してくれないか?もし嫌だったら別にいいんだけど・・・。」
撃たれた体験を話すのは本人にとって苦しいことかもしれないと思ったが、私は尋ねた。

彼が言うには、荒野の小高くなった場所から周辺を見張っていたところ、下のほうに多くのヤギとヤギ使いの男性が現れた。その男性を見張っていると、突然男性は踵を返し、もと来た方向へ走り出した。

「どうしたんだ?」と彼は思ったが、再び視線を前方に戻した。そのとき、ガツンと頭に強い衝撃を感じ、地面に倒れこみ、周りの同僚たちが「大丈夫か ?!大丈夫か?!」と駆け寄ってきたという。

ヘルメットのアゴひもは締めていたが、アゴひもを固定するマジックテープが一瞬ではがれ、ヘルメットは飛んでいった。アゴひもの固定がバックル式だったら首を痛めていたかもしれない。

発砲は1発だけだったというので、狙撃らしかった。この一等兵から話を聞いたときは、どこから撃たれたのかわからなかったが、後で「600m離れた場所から」だと聞いた。けっきょく敵は見つけられなかった。

興味深いのはヤギ使いの行動だ。狙撃直前に踵を返し、走り去っている。この男性が狙撃したのではないだろうが、走り去るタイミングからして、彼には敵の狙撃手の存在がわかったのだろう。目がよかったのか、我々にはわからない合図があったのか?

とにかく、幸いなことに一等兵は、内側に割れ込んだヘルメット内壁で額を少し切っただけで済んだ。ヘルメット着用の大切さを痛感した私とミッサニは、話してくれたことに感謝し、VABに戻った。

2時間ほどその盆地に留まったあと、我々第3中隊は車列を成して、COP46へと帰った。そして、夜の医療班のブリーフィングで、「明日、徒歩で村のなかへ入ることが決まった」とプルキエ少佐が言った。



←ヘルメットから摘出された弾丸。撃たれたリトアニア人が後に首かざりにした。

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(10)アフガニスタン