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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年07月29日

戦傷者Part2

はじめに

アフガン記、いつもは朝7時に更新するのですが、本日の夕方まで忙しかったため、夜の更新となりました。お待たせしました。

あと、お知らせがあります。

今度のブラックホールに個人出店します。店名は「外人部隊みやげetc」です。アフガンやフランスから持ち帰った衣服や装備などを販売します。今後、商品を当ブログで紹介します。
個人出店ブースでお待ちしています。

それではアフガン記のつづきをどうぞ。

―――――――――― 

 私が合流するまでに起きた出来事は次のようなことだった。

 第1小隊、第4小隊がいっせいに北上を始めたあと、第4小隊も村のなかを進んでいた。やがてGCPが敵に発砲した少し後、いったん前進を止めた。このとき、2個分隊ほどが畑にいた。

 一辺が70mくらいの作物の育っていない畑で、北から南に向けて下がる3段の段々畑になっていた。そのもっとも低くなっている南端の段を遮蔽物にする形で、2個分隊の兵士たちは伏せ、北に面して横一列の隊形をつくっていた。

 畑の北側には大きなコンパウンドがあり、3つの出入り口が見えていた。3つとも扉がついておらず、中が見える。

 コンパウンドと畑の西側はザクロか何かの森になっていて、東側は通路になっている。通路を挟んだ先は別のコンパウンドがあった。

 畑の南側には、ところどころ崩れた、1.5mくらいの土塀があり、その南側に通路があり、その南側にまた別のコンパウンドがあった。

 このとき、少佐とミッサニは、第4小隊の副小隊長オラチオ上級軍曹と3人で畑の南側にある土塀とコンパウンドのあいだにいた。上級軍曹はまっすぐ立ち、畑の分隊を見わたし、ミッサニは土塀から分隊と同じ方角へFAMASを構え、少佐は壁の陰に座っていた。

 座っているだけの少佐を「臆病者」だとか「怠け者」だと思ってはいけない。彼は射撃訓練は受けているが、戦闘訓練はほとんど受けていない。彼がそこにいるのは、負傷者が発生したときのためだ。戦闘が起きて、彼が最初にやられてしまっては本末転倒なので、隠れていてくれるほうが都合がいい。

 そもそも軍医がこんな最前線まで来るというフランス軍のシステムは圧倒的だ。

 いっぽう、ミッサニや私のような衛生兵は戦闘中隊に所属し、戦闘訓練も受けていたので、戦う気も持っていた。負傷者が発生しないかぎり、我々は戦闘要員だ。

 そういうわけで、ミッサニは畑の北側にあるコンパウンドの一番右の出入り口を見張っていた。そのとき、出入り口の内側を、右から左に向かって、サッと黒服にAKを持った敵が横切った。

“パン!パン!”
ミッサニは即座に撃った。当たらなかった。

「コンタクト!コンタクト!(コンタクト=接敵)」
ミッサニだけでなく、分隊の兵士の多くが大声を出しあう。

「コンパウンドの中にいる!出入り口に注意しろ!」
ミッサニが叫んで皆に知らせる。

 この接敵にとき、敵の姿はミッサニにしか見えなかった。畑には2個分隊の兵士14名がいたのだが、段々畑の段差のせいで、敵を視認するには低すぎたのだ。ミッサニは土塀の後ろから立射に近い姿勢でいたので視認できた。

 コンパウンドに敵がいると判明した今、ほとんどの者が真ん中の出入り口に注目していた。予想通り、黒い影が素早く横ぎる。

“バババババン!パンパンパン!”

 皆、いっせいFAMASやMINIMIを発砲する。はずした。敵が現れて消えるまで一瞬なので、皆が反応して撃ち始めるときには、敵はもう見えない。再び静かになり、皆が一番左の出入り口に注目している。

 このとき、ミッサニの位置から1人の敵が、コンパウンド左側の壁を乗り越え、森のなかへ消えていくのが見えた。敵は知らないうちに3つ目の出入り口を通り越していた。

「森のなかに1人逃げたぞ!」
ミッサニが叫んだ。

 その情報が皆に届くが速いか、森のなかから7.62mm弾の連射が響いた。
“パパパパパパパパ・・・”

 兵士たちも応戦する。
“ババババババン!パンパンパンパン!”
森のなかへと5.56mm弾が何発も撃ち込まれる。

 敵もどんどん撃ってくる。ある兵士が弾倉交換のために、畑の段差に隠れたとき、自分の体に土の粉が降ってくるのに気づいた。どこから来るのか探すと、畑の南側にある土塀に敵弾が撃ち込まれ、固められた土を粉砕していたという。

 やがて静かになった。

 このとき、1人の兵士が3~4mとなりで伏射姿勢をとる兵士が、銃を構えたまま、顔面を地面にふせていることに気づいた。

「おい!起きろ!」
反応はない。

「おい、起きろと言うのに!」
やはり無反応だ。状況がやっと読めた兵士は叫んだ。

「ブレッセ!ブレッセ!(負傷者!負傷者!)」

 となりの兵士は寝ているのではなく、被弾したのだ。

 負傷者を知らせる大声を聞いた少佐とミッサニは「どこだ?!」と叫んだが、銃声で耳がキーンとなっている分隊の兵士たちには聞こえなかった。

 撃たれた兵士のそばに、近くの兵士2人が転がりこんだ。そのことで、少佐とミッサニは自分たちが行くべき場所を悟り、土塀が崩れて低くなったところを乗り越え、走りだした。




つづく

次回更新は8月5日です。ご意見・ご感想お待ちしております。  


Posted by 野田力  at 21:11Comments(0)アフガニスタン

2013年07月22日

戦傷者Part1

はじめに

この度は長いお暇をいただき、ありがとうございました。いろいろとあり、忙しい日々を過ごしておりました。
アフガン体験記、再開させていただきます。
ただ、今後も忙しくなりますので、8月いっぱいでこのブログも続けられなくなるでしょう。今のうちからお知らせさせてください。

前回、中途半端なところでお暇をいただきましたが、つづきをどうぞ。

――――――――――

デルトロ軍曹は、ヘッドセットに何か連絡が入ると、私に言った。
「第4小隊のほうで負傷者が出た。衛生班の増援が要請されてる。ノダ、出番だ。行くぞ。」
「どんなケガですか?」

「わからん。とにかく行くぞ。」
 無線の連絡内容と地図から、2つの小隊の位置関係を把握している軍曹は6名の戦闘員と私を率いて走りだした。

 どんな負傷だろうか?腕か脚を撃たれたのだろうか?第4小隊には軍医プルキエ少佐と衛生兵ミッサニ伍長が派遣され、一緒に行動している。すでに何か処置を始めているだろう。しかし、その2人では人手が足りないなんて、重傷に違いない。

 そう考えながら、もと来た道を走って少し戻った後、深緑の麦畑をガサガサと抜け、幅2mほどの通路に、土塀が崩れた部分を通り、真横から入った。入るとすぐ左手に、第4小隊の副小隊長であるチリ人のオラチオ上級軍曹がいた。

「ノダ、軍医を手伝え。」
 上級軍曹は落ち着いた声で言うと、上半身をひねり、20mくらい後方を指さした。

 曹長の口調があまりに静かだったので、軽傷なのかと思ったが、曹長の指の先には、ひざまずいて両手を忙しく動かしているプルキエ少佐とミッサニ伍長の姿があった。不思議なことに、想定演習をしているような感覚を私は感じた。

 2人の間には、1人の白人兵士が頭部をこっちに向けた状態で、仰向けに横たわっていた。すでにヘルメットもアーマーも脱がされ、仏軍迷彩服だけを着ていた。どんな傷なんだろう?近づかないと見えない。誰なのかすら、ここからはわからない。

 デルトロ軍曹は、新たな命令を受けたらしく、負傷者がいるのとは逆の方向に通路を走り出した。私はここに残らないといけない。
「軍曹!軍曹!」

私はダッシュして軍曹に追いついた。そして伝える。
「私はここに残って軍医を補佐します。いいですね、軍曹!」
「もちろんだ。行け。」

班から私が離脱することを確認した軍曹は、そのまま6人の戦闘員を率いて駆けだした。
 私は少佐たちのところへ急いだ。着ているアーマーやバックパックの重さは気にならなかった。負傷者の苦しみに比べれば大したことはない。彼を助けなければ・・・。

「少佐殿、今行きます!!」
私に気付いたプルキエ少佐が叫び返した。
「気管切開キットをくれ!」

 私は20mほど先にいるプルキエ少佐とミッサニ伍長、そして負傷者のもとへ走りながら、A3メディカルパックの右肩側のショルダーストラップを、右腕をくぐらせ、はずした。それにつづいて、首から掛けているFAMASのストラップに右腕をくぐらせ、FAMASを背中側に回した。

 仰向けの負傷者の左側にプルキエ少佐が、右側にミッサニ伍長がひざまずいている。負傷者の足の方向3~4mのところには、第4小隊の戦闘要員が2人立っていて、不安そうな顔で治療を見守っている。ここまで負傷者を運ぶのに携わったのだろう。

 ミッサニが立ちあがり、私に向かって走りはじめる。私は走るのをやめ、地面にメディカルパックを置き、ひざまずいて、ジッパーを開けた。ミッサニが私のところに到達するのと同時くらいに気管切開キットを取り出し、ミッサニに手渡した。ミッサニは負傷者のもとへ戻り、少佐にキットを手渡した。

 私はメディカルパックのジッパーを閉めることはせず、ただ中身がこぼれないように持ち、治療現場に近づいた。

「何が起きたんですか?」
私が聞くと、気管切開キットを軍医に渡したばかりのミッサニが答えた。
「頭を撃たれました。」

負傷者の顔を見る。
 両方のまぶたが大きくはれあがり、紫色に変色している。最終ラウンドのボクサーのようだ。首をゆっくりと左右にふり、肘をゆっくりと曲げたり伸ばしたりしている。さらに、息を吐くのに合わせ、鼻の穴、口、喉に開けられた小さな穴から、ブクブクと血が小さく泡立っている。彼の本能が苦しみから逃れたいと感じているように思えた。

 左まゆ毛中央の1㎝ほど上に、2針縫合されたばかりの長さ1㎝くらいの傷がある。敵の7.62mm弾がここに撃ち込まれたのだ。額に射入口があるということは、後頭部に射出口があるだろう。だが、わざわざ確認する余裕はない。気管切開キットを少佐にわたさなければならない。

 しかし、なぜ私の気管切開キットが必要なのか?ミッサニか少佐のどちらかが1つ携行していたはずだ。いったい何があったのか?




つづく

来週月曜日、更新予定です。ご意見ご感想、お待ちいたしております。

なお、8月3日、4日のブラックホール、参加予定です。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年06月10日

多忙のため、アフガン連載のほう、お休みをいただきます。
「徒歩パトロール」のつづきの途中で申し訳ありません。
次回更新は7月15日もしくは22日を予定しております。

お詫びに写真を何枚か・・・。

  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(4)

2013年05月27日

徒歩パトロールPart5

 私がデルトロ軍曹の班に、そして、オアロ上級軍曹が別の班に組み込まれると、徒歩パトロールは再開された。



 つい先ほど、GCPが村の東端で敵に発砲したが、取り逃がしたところなので、敵が少なくとも1人、そのあたりにいる。油断をしてしまわないように、複数いると仮定したほうがいい。

 お互いに3mくらいの間隔を保ちながら、我々は通路を進んだ。私は班の最後尾で、シグという痩せているオーストリア人一等兵が私の前を行く。私はときどき後ろを振り向き、最後の班がついてきているかを確認する。大丈夫だ。ちゃんとついてきている。

 何度か通路の角を曲がると、左側が土壁、右側が林という幅5~6mの通路に出た。林との境には別の戦闘班の兵士たちが配置についており、しゃがんだ姿勢で林の方向に目を光らせている。

 ふと、我々の足元を1羽の鶏がひよこをたくさん率いて横ぎった。「コケコケ、ピヨピヨ」とにぎやかだ。ほんの一瞬だけ和やかな気分にひたったあと、すぐ「戦闘」に気持ちを戻した。

 通路を引きつづき進むと、“バン!バン!”と2発の銃声が響いた。我々第1小隊の区域での発砲ではない。東側の第4小隊のほうからだ。セミオートの2連射なので、仏軍の誰かがFAMASを撃ったに違いない。敵はフルオートの連射が大好きだ。

 私は「あ、始まった」と思った。我々はその銃声を聞いて、特に歩みを止めることなく、北に向かって通路を進む。ほどなくして縦横50mほどの広場につきあたった。

 広場の手前に高さ1.5mほどの土塀があり、我々は横一列となり、土塀越しにFAMASやMINIMIを北側や北西側に向け、かまえた。今の私は衛生兵ではなく、完全に歩兵のモードとなっている。もし敵が視界に入り、それが射程範囲なら、撃つ。

 広場の東側にも土塀があり、そこには別の戦闘班が配置されている。そして、広場の北側と東側にはコンパウンドがいくつか立ち並び、それらのあいだが通路を形成している。

“ババババババン!バンバン!バババババン!”

 いくつもの銃が同時に発砲した。第4小隊のほうだ。我々からそんなに離れていない。広場の東側のコンパウンドのすぐ向こうだろう。そのコンパウンドのほうに目をやると、アフガン国軍の兵士たちが、コンパウンドの壁沿いに一列で歩いているのが見えた。

 ディジタル模様の最新アフガン迷彩を着用し、M16A2小銃やPKM機関銃、RPG-7ロケットを携行している。最新アフガン迷彩は米海兵隊の森林ディジタル迷彩よりも緑色の配分を多くし、茶色を濃くしたような感じだ。



「おい、ANA(アナ=Afghan National Army=アフガン国軍)は俺たちを追い越しちゃいけないんだぞ。」
 デルトロ軍曹がつぶやく。そして、ヘッドセットのマイクに向かって、アフガン国軍が第1小隊を追い越そうとしていることをボーボニス曹長に報告した。

 すみやかに連絡が届いたらしく、コンパウンドの壁沿いにいる15名くらいのアフガン兵たちは前進をやめ、しゃがんだ。デルトロ軍曹の報告はボーボニス曹長、中隊長、連隊指揮通信部を経由して、アフガン国軍に届いたのだろう。

“ババババババン!バンバン!バババババン!”
 再びいくつもの銃声が重なり合った。さきほどと同じ、第4小隊の方角かだ。その銃撃に関して、我々は何もすることはない。我々の担当する区域や方向を警戒することが今やるべきことだ。

 銃声がやむと、しゃがんでいたアフガン兵たちが、何の遮蔽物もない広場を、いっせいに我々の方向へと走りだした。

“ババババババババン!”

 銃声が激しくなる。“ヒュン”とか“ピュン”という、弾丸が空気を切り裂く音が聞こえないし、地面などに弾丸が撃ち込まれたりしていないので、我々のほうに銃弾は飛んできていないらしい。それでも、こんな近くで銃撃音を聞き、少し興奮した。

 アフガン兵たちの装備の金具やPKM機関銃のベルト式弾薬が“カチャンカチャン”と金属音をたてる。「急げ!速く逃げてこい」と、私は心の中でアフガン兵たちに叫んだ。



 最初に走り出したアフガン兵が私の前を横切る。私はFAMASを上に向け、銃口がアフガン兵に向かないようにする。銃口の安全管理は大切だし、撃たないとわかっていても銃口が向いているのは気分がいいものではないだろう。

 1人、また1人と、次々にアフガン兵たちが広場を駆け抜け、我々のいる土塀の裏に滑りこんでくる。私は気づかなかったのだが、シグ一等兵とイタリア人のディオニシ一等兵は、RPG-7で1発ロケットを撃ちこんでから悠然と避難してきたアフガン兵を目撃した。どこを狙って撃ったのか不明だが、爆発音は聞こえなかった。

 アフガン兵たち約15名全員が土塀に隠れる頃には銃声はやみ、アフガン国軍部隊の司令官が、地面に置いた無線機から伸びた受話器を横顔に押し付け、交信していた。落ち着いた口調だが、ダリ語なので何を言っているのか全然わからない。



つづく

来週はお休みをいただきます。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(4)アフガニスタン

2013年05月20日

徒歩パトロールPart4

 我々が歩きつづけていると、ふと通路両側の土塀が途切れ、大きな麦畑が現れた。その麦畑はコンパウンドの土壁や土塀に囲まれている。

「休憩だ。」
ボーボニス曹長が言う。第1小隊と第4小隊の進み具合を調節するために我々の前進を中断するのだろう。我々は北に向いて麦畑を眺める感じで、コンパウンドの壁沿いに作られたあぜ道に座り、壁にもたれた。

 バックパックやアーマーの肩への負担がやわらぐ。私は深呼吸をし、バックパックから伸びるハイドレーション・リザーバーのチューブから水を飲む。目のまえの麦畑の向こうには、また土塀があり、樹木が塀より遥かに高く突き出ている。その上には澄みきった青空が広がっている。

 そのとき青空に“ババババン!”と、短い連射音が響いた。

 条件反射が働き、私は飛びこむように麦畑に伏せる。ボーボニス曹長や通信兵、バラシュやオアロ上級軍曹も全く同じことを、ほぼ同時にやった。伏せるさいに、彼らがきれいに同じ動きをしたのを目にし、滑稽だったので、不謹慎だが私は微笑んだ。

 銃声はそれだけだったが、どこで誰が発砲したのかわからなかった。私の耳には村の東側、つまり我々第1小隊の担当区域で起きたように聞こえた。確実に言えるのは、私のいるところに向かって発砲されてはいないということだ。

 我々が立ちあがると、通信兵の背負う無線機に連絡が入り、その内容をボーボニス曹長が我々に説明をした。

「村の東端でGCPが敵に向け発砲した。敵は逃げたから我々のほうに来るかもしれない。」

 GCP(Groupement des Commandos Parachutistes)とは連隊の優秀な隊員で構成されるコマンド小隊だ。私はGCPが我々より東で活動しているとは知らなかった。曹長は知っていたようだ。

 曹長が言う。
「なあ、指揮班に衛生要員が3人いるのは無駄じゃないか?オアロとノダは戦闘班と一緒に行動したほうがいい。そうしたほうが、どこで負傷者が発生しても、なるべく速く対処できるだろう。」

 オアロ上級軍曹が答える。
「賛成です。私が前の戦闘班に行き、ノダが後ろの戦闘班に行くということでどうでしょう?」

「ああ、それでいい。」
 曹長はそう答えると、ヘルメットの下に被っているヘッドセットから伸びるマイクに言った。
「2班、3班、そっちに衛生要員を1名ずつ送る。」

 そのヘッドセットのコードは曹長のアーマーのポーチに入った小型無線機ER328につながっていて、この無線は小隊の分隊長のあいだでの交信に使われる。いっぽう、通信兵の背負う大型無線機ER314は中隊長、副中隊長と小隊長らのあいだでの交信に使われる。

 オアロ上級軍曹は前から2つ目の第2班に向かい、私は最後尾から2つ目の第3班に合流した。そこの班長でアルゼンチン人のデルトロ軍曹に私は言った。
「一緒に行動します。」

「よし、班の最後尾を務めてくれ。」
 鋭い目つきの軍曹が笑顔を見せながら、ドスの効いた声で言った。私は、よく知っている第3班の伍長たちや一等兵たちに「元気か?」と声をかけながら、班の最後尾についた。

 やがて小隊は前進を再開した。デルトロ軍曹が班の先頭を歩き、6名の伍長・一等兵がつづき、そのあとを私が歩く。接敵はあるのだろうか?負傷者は発生してしまうのか?

(休憩写真)





つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年05月13日

徒歩パトロールPart3

 IEDの発見されたコンパウンドを出た我々は、村と荒野の境にある深緑の麦畑やケシ畑のあぜ道を通り、第1小隊の戦闘班につづいて村を目指した。

 なお、我々が活動していた地域では、ヘロインやアヘンになるケシが多く栽培されており、行く先々で目にした。アフガニスタンの法律でもケシ栽培は違法らしいが、我々フランス軍がケシを取り締まることは一切ない。

 ケシにより生計を立てている村人たちもいるので、もし我々がケシの伐採などしたら現地住民を敵にまわしてしまう。村人に混ざって潜伏する敵の情報を得るには村人の協力が必要だ。だから、村人を敵にまわすような取締りはできない。

 我々の標準規定で言われているのだが、アフガン国軍やアフガン警察がケシ畑の伐採や焼却を始めた場合、我々フランス軍部隊は早急に撤収し、村人から姿を隠す。そうすることで、ケシ取締りとフランス軍部隊は関係がないと村人に思い込ませ、敵視されないようにするのだ。

 ケシについては、敵が麻薬ビジネスで儲けた金で武器を買ったりしているうえに、そのケシからできたヘロインなどが世界中に流出しているので、フランス軍も取り締まるべきではあるが、話はそう単純ではない。村人との関係のほうが優先だ。



 やがて畑を通り過ぎ、我々は1.5mほどの高さの、横に長い土塀につきあたった。土塀の向こう側には、また麦畑が広がっているが、高い土壁に囲まれたコンパウンドがところどころにある。コンパウンドのひとつひとつが村人たちの“家”なのだが、まるで砦のように見える。

 土塀越しに麦畑を眺める。ここを通って第4小隊は村の西側へ向かったのだろう。私から見て麦畑の右側、つまり麦畑以北からコンパウンドの数が増えており、我々が今、この村のほぼ南端にいることがわかる。



 コンパウンドの内側は必ずしも住居とは限らない。内側がザクロなどの果樹園になっているコンパウンドもある。住居のコンパウンドは土塀が3m~5mくらいあり、果樹園や植林の場合は1.5m~2mなど、低めのことが多い。

 第4小隊は配置についているだろうから、我々第1小隊も急いで配置につきたい。我々は土塀に沿って少し進んだあと、両側が土塀に挟まれた幅約2m通路へと入って行った。通路沿いに連なる高さ2~3mの土塀は、コンパウンドの土塀であり、我々はコンパウンドとコンパウンドの間を歩いていることになる。まるで屋根のない土の廊下みたいだ。



 道はまっすぐな箇所もあるが、グネグネしたり、直角に曲がったり、交差点があったり、さまざまな形になっていた。幅が2mくらいある深い用水路までもが村のなかに来ており、村人の文明に感動したが、敵がこの地形をおおいに利用し攻撃してくるかもしれないと思い、気を引き締めた。



 塀の向こう側から手榴弾を投げ込まれるかもしれないし、塀より上にAK47小銃だけ出して乱射してくるかもしれない。先頭の隊員は敵と鉢合わせするかもしれない。先頭を行く隊員は、役割なので仕方ないとは言え、すごく勇敢だと私は思う。

 通路に第1小隊が入ったとき、ボーボニス曹長率いる我々指揮班は、戦闘班を2つ追い越して、最後尾ではなくなった。原則として指揮班は前後を戦闘班に守られる形で村のなかに展開する。

 ここから第1小隊は村の西側半分の区域内にある通路をグネグネとパトロールし、第4小隊は同じように東側半分を行く。中隊長班は第4小隊とともに行動し、アフガン軍小隊は第1小隊のあとにつづく。工兵小隊がどこにいるのか私にはわからないが、ついに敵捜索が本格的に始まった。

 2個戦闘班につづく指揮班における歩く順番は、まずボーボニス曹長とブラジル人通信兵がくっついて歩き、そのあと、第1小隊付き衛生兵のバラシュ一等兵、オアロ上級軍曹、そして私がつづく。班のなかでは間隔をだいたい2~3m開ける。

 後ろを振り向くと、6~8mの間隔をあけて、後方の戦闘班のセルビア人隊員がMINIMIを持って歩いている。そいつは長身なのでMINIMIがサブマシンガンのように見える。



 前後を戦闘班に固められているが、指揮班が安全であるわけでは全くない。敵はどこから攻撃してくるのか明確ではない。私は足元や土塀の上部などに警戒しながら進んだ。土塀を越える高さの樹木があれば、茂る枝や葉に隠れた敵がいないかなども注意する。少しは起こりうることだ。

 恐怖感はない。「さあ、仕事をやってしまおう。敵が視界に入れば撃てばいい。負傷者が出たら処置すればいい。ただそれだけのことだ」と自分の心に言い聞かせていた。そういう気持ちが恐怖感を排除していたのかもしれないし、負傷や戦死の可能性が実感できないくらい鈍感だったのかもしれない。

つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(4)アフガニスタン

2013年05月06日

徒歩パトロールPart2

まずは、第1小隊の援護のもと、第4小隊が村へ入って行った。そして、第1小隊が出発するときが来た。まずは戦闘班が入っていく。

村の手前に大きな遺跡のような大きなコンパウンド(現地の建物をこう呼ぶ)があった。上から見れば四角形に見えるように土塀が建てられており、一辺が100mくらいありそうだ。部分的に崩れている廃墟だが、エジプト文明の遺跡のようで美しい。

←そのコンパウンド

第4小隊はこのコンパウンドからやや遠くの道をたどって村に入ったが、我々第1小隊はこのコンパウンドを調べることにした。3つの戦闘班のうち、1班が塀が崩れたところから中へ入り、別の2つの班がそれぞれ左右の塀の外側に沿って歩いた。

彼らが異常を発見することなくコンパウンドを通り過ぎたので、我々指揮班はコンパウンドの中へ入った。中は雑草が少し生えた広場になっており、はるか昔に見放された廃墟のようだった。戦闘班が中をチェックしたので、ほぼ確実に敵は潜んでいないと思われるが、我々は慎重に広場の中央を進んでいく。我々が入った入口の真向かいに出口はあった。

そこも塀が崩れたところだ。かつてはここに扉があったが、古くなって扉が外れ、隙間ができたため、強度が低くなり、この部分が崩れたのだろう。遺跡と呼ぶより廃墟と呼ぶほうが正しいが、塀の色がエジプトのピラミッドのような色をしているので、映画「スターゲイト」の米兵になった気分がした。

すると突然、ボーボニス曹長がつぶやいた。
「なんだこれは?」

曹長のほうを向くと、曹長と通信兵が足元の地面を見つめている。もっとよく見えるように曹長がしゃがんだ。そこから5mほど離れた私の位置からは、地面から5㎝ほど伸びた白い細いコードが見える。電気コードっぽく見える。IEDでなければいいが。

曹長が静かに言った。
「全員、離れろ。電気コードの切れ端が地面から出ている。念のために工兵を呼ぶ。」
我々は歩いて遠ざかる。曹長は無線で中隊長に報告するとともに、工兵を要請した。

我々はコンパウンドの内壁に寄り掛かり座る。

←コンパウンド内のすみに座るオアロ上級軍曹とバラシュ一等兵

白いコードからは50mくらい離れている。少しすると工兵小隊の2名がコンパウンドに入ってきた。2人とも40歳くらいに見えるので、ベテラン工兵と思われる。実際の爆発物処理経験もあるかもしれない。

曹長は彼らに歩み寄り、コードの位置に案内したあと、我々の座っているところに戻ってきた。工兵2人の手元は見えなかったが、スコップで地面を少し掘ったりするのを眺めていると、1人が我々のほうへ歩いてきた。

「爆薬が見つかった。爆薬の量が多いから、もっと離れないとダメだ。このコンパウンドから出たほうがいい。」

工兵はニヤニヤした顔でそう言った。こんなときにニヤつくのは異常に思われるかもしれないが、私はなんとなく理解できる。自分の本領を発揮できる喜びかもしれないし、実はストレスを緩和するための自然な心理的反応かもしれない。

ボーボニス曹長が工兵に後の処理を頼むと、我々はコンパウンドの外へと歩いていった。曹長が言う。
「地面からヒモが出ていて、よく見たら電気コードだったから変だと思ったんだ、ハッハッハ。」
危機を回避すると人間は笑ってしまうものだ。

後になって聞いたのだが、そこには25㎏もの爆薬があり、携帯電話の遠隔操作で起爆する仕組みのIEDだった。もし爆発していれば、我々はあの世行きだったはずだが、なぜ爆破されなかったのか?工兵がいくつかの仮説を話してくれた。

最初の仮説としては、爆破の失敗が挙げられる。IEDの製造に不備があったり、携帯電話の遠隔操作に不備があったのかもしれない。つまり、不良品だったという説だ。

次の仮説は、起爆装置である携帯電話を持つ敵が、爆破するタイミングが来るまえに逃げたというもの。コンパウンドに近づくことなく、まず第4小隊が村に入って行ったので、村からコンパウンドを見張っていた敵は起爆することなく逃げるしかなかった。

村に入る前にコンパウンドに入っていたら、危なかったかもしれない。

次の仮説はIEDの放棄だ。敵はこの日より前の別の日に、待ち伏せのためにIEDを仕掛けたが、全然フランス軍がコンパウンドに入らないので諦めてしまった。

他にも仮説はあるだろうが、私が聞いたのは以上だ。とにかく自分たちが無事でよかった。このIEDは回収され、FOBトラ近くの荒野で爆破処理されたらしい。

コンパウンドを出た我々は村を目指した。

←コンパウンドを出たところ

←地雷やIEDを探す工兵(今回の記事とは別の日)
←別の任務で回収された爆発物の爆破処理
←その爆発物

つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 09:56Comments(4)アフガニスタン

2013年04月29日

徒歩パトロール

2010年4月8日、朝。
2日前に第2中隊の一等兵がヘルメットに被弾するという事態があったが、我々の士気は落ちてはいなかった。第3中隊のほとんどの兵士が、その一等兵を知らなかったからかもしれない。知り合いである同僚が被弾した場合、どうなるだろう。

我々は車列を成して、COP46からCOP51まで北上した。COP51の外側に駐車し、徒歩で村に入る準備にかかる。COP46を出る前にバックパックの中身などはすべて用意していたので、VABから降りて、ともに行動する予定の小隊のところに行けばいいだけだ。

私は運転席から降り、FAMASのスリングを首にかけた。VABの後部にまわると、観音開きの後部扉が開いており、オアロ上級軍曹とミッサニ伍長は出発準備を完了していた。

私のイーグル社製A3メディカルパックと、プルキエ少佐のキャメルバック社製BMFバックパックが、車両の奥から後部扉のそばまで引き出されていた。後部にいた2人がやってくれたのだ。少佐と私はバックパックを背負った。

「ノダ、行くぞ。少佐殿、ミッサニ、またあとで!」
オアロ上級軍曹が笑顔で言い、私は上級軍曹とともに第1小隊へと歩きだした。

今回の任務は、タガブ谷のある村に入り、敵がいないかパトロールをするという「テロリスト捜索」だ。しかし、我々フランス軍には住居に入って敵を捜す権限はなかった。

そこでアフガン国軍の出番だ。彼らにはその権限があるので、もし疑わしい住居があれば彼らが家宅捜索をする。我々はあくまでアフガン国軍とアフガン国家警察に軍事支援をするためにいるという建前だ。現地人のプライバシーに踏み込んだ活動はアフガン当局がやる。我々が他の国々の部隊と構成する国際部隊「ISAF」の「A」は「ASSISTANCE=支援」を意味する。

そういうわけで今回の任務は、アフガン国軍と我々第3中隊の合同作戦だ。参加するアフガン国軍の規模はわからないが、我々の近くで見かけたアフガン兵の人数を見るかぎり、一個小隊だ。

いっぽう第3中隊からは2個戦闘小隊と中隊長班、そして我々医療班が参加する。医療班は2人ずつのバディシステムに分けられ、それぞれの戦闘小隊に編入される。プルキエ少佐とミッサニの2人は第4小隊に、オアロ上級軍曹と私は第1小隊に配置される。

さらに、IED(即席爆発性装置)や地雷に対処する必要が生じた場合のために、工兵小隊が一個、我々のあとにつづく。第17工兵パラシュート連隊の小隊で、アフガン派遣前の演習をともに積んできた仲間だ。

なお、VABの運転手は通常では車内待機になるのだが、今回私は例外とされた。衛生要員の必要が認められたうえ、村の中の道は狭いので車両は入れない。村の端までなら来ることができるが、もしその必要が生じた場合、車両整備班の運転手と車長が医療班のVABに乗りこんで来てくれることになっている。

上級軍曹と私は第1小隊の小隊長でリトアニア人のボーボニス曹長に合流した。彼は筋肉の塊で、身体が太短く見える。FOBトラの鉄棒で、彼がアーマーを着たまま懸垂を軽くこなすのを見たことがある。腰を痛めてしまいそうなので、私にはできない。

「きみら2人は我々指揮班に同行してくれ。」
ボーボニス曹長が言った。指揮班とは小隊長の班だ。我々はその班について行き、どこかで負傷者が発生したら、急行すればいい。

指揮班には小隊長、通信兵、衛生兵、副小隊長、2名の狙撃兵がいるが、副小隊長と狙撃兵たちは、同じ第1小隊の4つある戦闘班のどれかと行動する。そのため、この日の指揮班は小隊長、通信兵、衛生兵、オアロ上級軍曹、私の5名だった。

第1小隊の衛生兵はハンガリー人のバラシュという一等兵だ。衛生兵としては新人だが、ハンガリーでは陸軍士官学校にいたエリートなので、なにも心配はいらない。

「ブラック1、出発せよ。」
無線から中隊長の命令が聞こえた。

「ブラック1、了解。」
ボーボニス曹長が答える。

私はFAMASの装弾レバーを少し引き、排莢口のボルトが少し後退した隙間に弾薬の一部が見えることを確認し、レバーを放した。弾は入っている。いつでも撃てる。

第1小隊はCOP51と村のあいだの荒野を縦一列で歩き始めた。しかし、村へは直行せず、村の端から200~300mくらいのところで、村に面して横一列隊形になったところで止まり、銃を構えた。



我々を追い越して、第4小隊が縦列を成して村へと向かっていくのが見えた。ひとりひとり5mくらいの間隔をあけている。班と班の間はもっとあいている。プルキエ少佐とミッサニ伍長の姿も見える。

計画では、まず第4小隊が村へ入り、その後、第1小隊が入ることになっている。第4小隊が村の西側半分を、第1小隊が東側半分をパトロールしながら北上する。中隊長班は2つの小隊のあいだを行き来し、状況に合わせて指揮をする。そして、第3中隊のバックに工兵小隊とアフガン国軍部隊がつく。



つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 08:42Comments(0)アフガニスタン

2013年04月22日

狙撃Part2

翌日もCOPから出ていったが、まる一日何も起きなかった。夕方前、まだ明るいうちに帰投を始めたのだが、COP46には戻らなかった。土埃を立てながら荒野を走行し、COP46よりも5kmほど北に建設されたCOP51に向かった。

COP51は、村の端から数百メートル離れたところに孤立した、100m弱の丘の麓にあった。COP46よりも村に近いが、村とは逆の側の麓にあるので、丘が頼もしい遮蔽物となっているうえ、見通しのよい見張り台の役目を果たしている。

COP51もバスチョン・ウォールに囲まれており、中にはテントやコンテナが並び、アフガン国軍が駐屯している。丘の上までT55 戦車が登っており、村の方向を向いている。

我々の車列はCOP51に入らず、COP横に駐車したものの、しばらくすると、COP51から村の方向とは逆の山地の方向へと進み、荒野から山地に入った。大きなタガブ谷から山地のほうに細く短く伸びる小さな谷を進むと、山地の中に盆地のような地形が広がった。

我々はVABを盆地に駐車した。盆地にはすでに第2中隊のVABが何台かいた。その中に、第2中隊医療班のVABもあった。我々がVABを駐車した位置から近い。ヘルメットを撃たれた兵士について聞くことができるだろう。

我々医療班4人は第2中隊の医療班のもとへ、あいさつに行った。彼らから10mくらい離れた地面には戦闘ズボンにTシャツ姿のリトアニア人一等兵が座っていて、ぼんやり遠くを眺めている。額の右上部分に大きな絆創膏を貼っているので、ヘルメットを撃たれたのはこいつだと確信した。

第2中隊の看護官がそのヘルメットを見せてくれた。前面のやや右下寄りにポツンと弾痕があった。弾痕や弾痕の周りは緑の塗装がはがれ、白くなっている。あと数センチ下に着弾していたら死んでいただろう。

ヘルメットの被弾した部分の内壁は少し隆起し、破れた表面からスペクトラ素材の白色が見える。その周りに少し血がついていた。3針縫う傷を負ったという。その程度で済んで良かったと言うべきだろうか。

第2中隊の医療班へのあいさつが済むと、私はミッサニ伍長とその一等兵のもとへ歩み寄った。プルキエ少佐やオアロ上級軍曹は、第2中隊の軍医や看護官と話し続けている。

私とミッサニは一等兵のそばにしゃがみ、あいさつした。
「どんな具合だ?」
私が尋ねると彼は答えた。
「まだ痛いです。吐き気はないですが、めまいがします。」

「撃たれたときの状況を話してくれないか?もし嫌だったら別にいいんだけど・・・。」
撃たれた体験を話すのは本人にとって苦しいことかもしれないと思ったが、私は尋ねた。

彼が言うには、荒野の小高くなった場所から周辺を見張っていたところ、下のほうに多くのヤギとヤギ使いの男性が現れた。その男性を見張っていると、突然男性は踵を返し、もと来た方向へ走り出した。

「どうしたんだ?」と彼は思ったが、再び視線を前方に戻した。そのとき、ガツンと頭に強い衝撃を感じ、地面に倒れこみ、周りの同僚たちが「大丈夫か ?!大丈夫か?!」と駆け寄ってきたという。

ヘルメットのアゴひもは締めていたが、アゴひもを固定するマジックテープが一瞬ではがれ、ヘルメットは飛んでいった。アゴひもの固定がバックル式だったら首を痛めていたかもしれない。

発砲は1発だけだったというので、狙撃らしかった。この一等兵から話を聞いたときは、どこから撃たれたのかわからなかったが、後で「600m離れた場所から」だと聞いた。けっきょく敵は見つけられなかった。

興味深いのはヤギ使いの行動だ。狙撃直前に踵を返し、走り去っている。この男性が狙撃したのではないだろうが、走り去るタイミングからして、彼には敵の狙撃手の存在がわかったのだろう。目がよかったのか、我々にはわからない合図があったのか?

とにかく、幸いなことに一等兵は、内側に割れ込んだヘルメット内壁で額を少し切っただけで済んだ。ヘルメット着用の大切さを痛感した私とミッサニは、話してくれたことに感謝し、VABに戻った。

2時間ほどその盆地に留まったあと、我々第3中隊は車列を成して、COP46へと帰った。そして、夜の医療班のブリーフィングで、「明日、徒歩で村のなかへ入ることが決まった」とプルキエ少佐が言った。



←ヘルメットから摘出された弾丸。撃たれたリトアニア人が後に首かざりにした。

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(10)アフガニスタン

2013年04月15日

狙撃

はじめに

実は4月1日から13日まで、所用で英仏へ行っていました。なかなか日本語が打てるパソコンにありつけず、いただいたコメントへの返信が遅れてしましました。コメントをくださった皆さま、週末に返信を書きましたので、ご覧ください。

それでは、連載のつづきにまいりましょう。

――――――――――

アフガン兵が手首に被弾し、米陸軍のブラックホークに搬出された翌日、我々の車列はCOP46を出た。第1小隊4台、第4小隊4台、指揮小隊5台だ。

第1、第4小隊は戦闘班で構成されているが、指揮小隊は中隊長班、副中隊長班、ADU(中隊の最先任下士官)班、車両整備班、そして私の所属する医療班で構成されている。

第1、第4小隊のVABが列を成してCOP46を後にした。中隊長班や副中隊長班のVABはその列のどこかに混ざる。最後にADU班、医療班、車両整備班のVABがつづく。これら3つの班はいつも一組となって動く。

タガブ谷東側にひろがる荒野に、第3中隊の車両群が散らばった。しかし、どんな配置になっているのかは私にはわからない。我々の位置は谷の西側にある村の端から1kmくらい離れている。一番接近しているVABでも500~600mくらいではないかと思う。

第1小隊所属の狙撃班やミラン(対戦車ミサイル)班は小高くなった地形のところに陣取っているだろう。我々の荒野への展開に対する敵の反応を観測するのだ。

エンジンを切り、ヘルメットをハンドルの上に置いた。退屈な時間が始まった。何時間たっても、敵の反応はない。戦場の時間の多くはこのように暇だ。日光の暑さがVABの車体を通して体に伝わる。

脱水症状にならないように、運転席のわきに置いてある500mlのペットボトルからミネラルウォーターを飲んだ。そして再び、遠くに見える村に目をやる。

目では村を見ているが、心はもの思いにふけっていた。「1年後除隊したら何をしよう」とか、「日本の親友たちは今どうしているのだろう」とか、「アフガン派遣後の長期休暇はどこに行くか」など考えていた。

すると、中隊長から無線が入った。
「全コールサイン、レッドのほうで1人、ヘルメットを撃たれた。緊急搬送の必要はない。」

「レッド」とは第2中隊のコールサインだ。つまり、第2中隊の誰かがヘルメットに被弾したのだ。被弾すること自体は不運だが、ヘルメットに救われるのは好運と言えるだろう。

しかし、7.62mm弾をヘルメットに被弾すると、衝撃で首の骨を折ってしまうと聞いたことがある。無線で「搬出の必要はない」と言っていたので、折れてはいないのだろう。

ヘルメットに撃ち込まれた弾丸は遠距離から放たれたものだったかもしれないし、アゴひもを外していたから、ヘルメットだけが飛んでいき助かったのかもしれない。さまざまな条件で負傷の程度も変わる。

第2中隊がどこで何をしているのかについては、私は全然知るよしもなかった。ヘルメットに被弾したのは、激しい戦闘のときなのか、狙撃を受けたからなのか、それすらわからない。まあ、私の立場では、知る必要性がないから情報が届かないのだ。どのみち後で、現場にいた奴らから聞く。

←どこから狙撃されるかわからない。

我々第3中隊のほうでは何もなかった。朝から夕方まで荒野に停まったVABのなかで、丸一日太陽に蒸されたあと、暗くなると、車列を成してCOP46に戻った。

COP46に常駐している衛生兵が我々のVABのところにやってきた。外人部隊ではないフランス正規軍の、第1機甲パラシュート連隊に所属するフォエという名の黒人兵だ。40歳過ぎで中年太りをしている。

フォエは1990年に陸軍に入隊した古参兵で、初陣はなんと湾岸戦争だった。その後、アフリカ諸国や旧ユーゴスラビアの紛争など、いろいろな地域へ派遣され、アフガニスタンは2回目の派遣だという。

フォエとは、アフガニスタンに派遣される4ヶ月前の演習で一緒に行動し、知り合った。私より10歳以上年上だが、階級は私と同じ上級伍長なので仲良く話すことができた。

そんなフォエが、VABの後ろにいる我々のもとへやってきて、「村から敵がロケットを撃ってくるとしたら18時から22時のあいだだ」と言った。毎晩ではないが、毎週1回は必ず飛んでくるという。しかし、1発もCOP敷地内に落ちたことはない。

←これがよく飛んでくるロケット、中国製の「シコム」。のちに何度かCOP46の中心部に着弾し、車両やトイレを破損し、1名の死者と数名の負傷者を出すこととなる。

フォエは我々とともに缶ジュースを飲み、少し雑談をした後、自分の寝泊りする天幕へ戻って行った。天幕の半分が診療所で、残り半分が生活スペースとなっている。折り畳みベッドに寝る生活だ。

←COP46の診療所
←診察室/治療室。垂れ幕の向こう側が生活スペース

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(6)アフガニスタン

2013年04月08日

アフガン国軍兵士

 再び、タガブ谷へと新たな任務に出た。我々第3中隊の指揮小隊、第1小隊、第3小隊が参加する。他にも第2中隊やアフガン国軍も参加する大掛かりな任務だ。

 夕方、VABでCOP46に行った。バスチョンウォールに囲まれた敷地内には天幕が立ち並び、多くの兵士が駐屯していることを実感させる。我々はVABを駐車し、そこで一夜を明かした。基地は駐屯部隊により警備されているので、我々が歩哨に立つ必要はなく、途中で起きなくていい。

 春が来たとはいえ、夜は冷える。真昼は灼熱なのに、夜はダウンジャケットを着て眠る。私はVABの屋根の上で眠るのが好きだった。スリーピングマットを敷いて、アーマーを枕にし、ポンチョライナー(化学繊維の毛布のようなもの)にくるまって眠る。

 プルキエ少佐とミッサニ伍長はVABの真横に担架を置いて、それをベッドのようにして寝る。少佐がVABの右側、ミッサニが左側に寝る。オアロ上級軍曹はVAB後部内に設置された担架に寝る。医療用VABなので担架がいくつもあり、ほんの少し、他の班より快眠できたかもしれない。

 翌日は出動せず、COP46にずっといた。第2中隊やアフガン国軍、第1機甲パラシュート連隊の1個小隊が何らかの任務を遂行しているようだった。昼ごろには遠くから銃撃音や爆発音が聞こえたりした。

 どこで、どの部隊が、どんな状況になっているのか、よくわからなかったが、しばらくするとCOP46上空にアメリカ陸軍のブラックホークヘリが2機現れた。そのうち1機のサイドドアには赤十字マークがペイントされている。

 どうやら負傷者が出たらしい。ケガしたのは知り合いか?

 いつのまにか負傷者は車両でCOP46 に搬入され、米軍ブラックホークが病院へ搬送するために飛んできたのだ。赤十字のついたブラックホークだけが、COP46のすぐ外にある広場に着陸し、もう1機は上空を旋回し、周囲を警戒した。



 私はVABの屋根に立ち、様子をうかがった。ここからなら広場が見える。キャノンのデジカメのスイッチも入れた。周りを見渡すと、ほんの5、6名しか見物していない。100人近くいるのに、それだけだ。将校や下士官は作戦会議などで忙しく、下っ端の多くは昼寝で忙しい。

 屋根に立つことで気づいたのだが、広場の隅に、担架に乗せられた負傷者と搬送するフランス兵4名が見えた。他にも3名のフランス兵が見える。赤十字付きのブラックホークから1人の米軍クルーが降りてきて、フランス兵たちのもとへ歩いて行った。

 少し話をするとすぐに、米兵が仏兵たちを先導する形で、全員ブラックホークに向け歩きだした。私はデジカメのシャッターを切った。戦場救護装備の企業が宣伝写真に使いそうな光景だった。



 担架を運ぶ4名のフランス兵の周りを3名のフランス兵がうろちょろしながら写真を撮ったり、映像を撮ったりしている。写真映像の部隊から派遣されている要員だ。戦闘職ではないが、彼らも最前線まで行くことがある。いわば軍所属の戦場カメラマンだ。

 やがて負傷者はブラックホークに載せられ、治療は米陸軍にゆだねられた。フランス兵たちが広場の隅へ小走りしていくと、ブラックホークは離陸し、2機そろって飛んでいった。

 後で、負傷者の治療に携わった衛生兵に聞いたところ、負傷したのはアフガン兵だった。銃撃戦で手首を撃たれたが、弾丸は骨も動脈も損傷しておらず、AK47の7.62mm弾が貫通したらしいが、射入口も射出口も小さかった。

 以前、書籍で「7.62mm弾が当たると肉が大きく吹き飛ぶ」というようなことを読んだことがあるが、そのアフガン兵の銃創は小さな穴が開いただけで、原型をしっかりと留めていた。本に書いてあることがいつも正しいとは限らないと実感した。

 ただし、内部はどうなっていたのかわからない。神経が損傷されていたかもしれない。しかし、少なくともそのアフガン兵は生き残った。「メダルをもらうには最適な負傷の仕方だ」と同僚の衛生兵が言った。私はメダルは一切いらないので、軽傷すらなく無事に生き残りたいと思う。

 ブラックホークが去ると、再び暇になった。ちょうど、アフガン国軍の車両(ハンヴィーやM113)がCOPにやってきて、我々のVABの近くに駐車したので、私は携帯糧食のビスケットやキャンディなどをかき集めて、ミッサニとともにアフガン兵たちのもとへと遊びに行った。

 以前、一緒に食事をしたアフガン兵ラゼックはおらず、英語を話す者が1人もいなかった。しかも、ミッサニの母国語であるアラビア語も通じなかった。そのため、あまり話ができなかったが、身振り手振りで交流した結果、ビスケットなどは受け入れてもらうことができ、そのお礼にビニール袋に入ったナン(平たいパン)をもらった。



 彼らはカッコをつけるのが好きで、ロケットが先端に装着されたRPG-7ロケットランチャーや、ベルト式弾薬の垂れ下がったPKM機関銃をどんどん見せてきた。私がデジカメをジャケットの胸ポケットから取り出すと、RPGやPKMをかまえてポーズをとった。撮影してやった。





 彼らはとても友好的で、言葉も通じないながらも異文化交流が成立していることが私は嬉しかった。一緒に戦う同盟軍どうしなんだから、仲良くしたほうが得だ。こちらが敬意を持てば、向こうも敬意を持って接してくれる。

 それに、私が日本人だということは理解してくれた。それもそのはずで、英語で自分のことを「ジャパニーズ」と伝えたのだが、彼らの言語で「日本人」は「ジャパニー」という。以降、私は彼らから「ジャパニー」と呼ばれるようになった。

 この日、COP46でアフガン兵と和気あいあいと過ごしていたが、やがて我々の中隊に試練が訪れ、戦場というものを痛感することになる。


つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年04月01日

アフガンの春

 タガブ谷の東に前哨砦「COP46」の原型ができたのが2010年3月初めだった。それから一か月が経ち、COP46は拡張工事で広くなり、FOBトラから一部の部隊が派遣され、100人を超えるフランス兵が駐屯するようになった。

 COP46に駐屯する部隊のメインは第1機甲パラシュート連隊の部隊で、AMX10RCという装輪戦車も配備された。他にも、第35砲兵パラシュート連隊の迫撃砲も配備され、我々第2外人パラシュート連隊からもいくつかの分隊が派遣された。

←COP46

 私はFOBトラに駐屯したままだ。COPの食事は美味しくないので、それでよかった。それにFOBトラにいれば、米軍特殊部隊に会える。

 私が非常に驚いたのは、COP46が建設されて1ヶ月しか経っていないのに、私の知らないうちに、COP46よりも何キロか北にCOP51が建設されていたことだ。ここはアフガン国軍の駐屯地だった。仏軍の部隊は常駐していないと思う。

 この1ヶ月のあいだに、我々はいくつかの任務に出たが、あまり大きな出来事はなかった。あるとき、夜中に山を登り、朝、敵の訓練キャンプではないかという疑惑のある村を監視したが、怪しい動きはなかった。




 車両でタガブ谷の村に再度近づいたりもした。敵の大きな抵抗はなく、中隊長の班と第3小隊が徒歩で村に入っていった。軍医プルキエ少佐と衛生兵ミッサニ伍長も同行したが、私と看護官オアロ上級軍曹は装甲車VABで留守番だった。



 私も村のなかが見たかったが、VABの出動が必要になったとき、運転手がいなければ本末転倒なので、我慢するしかなかった。そもそも命令なのだから、どうしようもない。私がここにいる理由は観光ではなく仕事なのだ。

 村のなかを徒歩で行けば、敵が攻撃してくる可能性は高いのではないかと思ったが、なんの動きもなく、全員無事にVABへ帰ってきた。1ヶ月前までは、侵入すると必ず銃撃を受ける地域だったが・・・。
 ミッサニが言うには、「村のなかは緑が豊かで美しかった。住民もたくさんいて、我々を見てくるが、笑顔は見せなかった。我々はきっと敵視されている」という。

 4月に入り、荒野のそこらじゅうで雑草が芽を出し、茶色と砂色に支配されていた荒野に緑色が加わった。全体として乾燥した大地には変わりなく、雑草が茂っているのは一部で、砂色や茶色の部分のほうが多い。



 しかしタガブ谷の川沿い一帯は草木が生い茂り、畑一面が緑色になっている。アフガニスタンに派遣されている軍隊の多くが砂漠迷彩を着用しているが、ここでは森林迷彩のほうが効果的だ。フランス軍がアフガニスタンで森林迷彩を採用しているわけが理解できた。

 フランス軍は迷彩パターンの更新を計画していたが、アフガニスタンで現用迷彩パターンが意外と効果的だったので、更新しないことにしたという噂を聞いたことがある。その噂に納得がいくくらい、現用迷彩はいい色合いだった。



 春の到来は兵士の健康面にも変化をもたらした。暖かくなり、下痢の症状を訴える兵士が激増した。気温の上昇で細菌が活発になったのだろう。私は手洗いに注意していたおかげか、下痢にならなかった。

 さらに暖かくなれば、マラリア対策の錠剤を毎日一回飲むことが義務付けられる。ほんとうに意外なのだが、暑い夏が来ればアフガニスタンにもマラリアが発生する。ただし、それは一部の地域であり、我々のいる地域もその可能性があるだけで、必ずしもマラリア原虫を運ぶ蚊が発生するとは限らない。ただ念のために錠剤を飲む。


つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(8)アフガニスタン

2013年03月11日

新COP建設Part5

 夜中になり、交替で見張りをし、3日目の朝がきた。3日目は特に何もなく、4日目になった。第3中隊と第2中隊の援護のもと建設が始まった新COP(前哨砦)に第3中隊のVABすべてが一時的に集結することになった。

 我が中隊のVABは列を成して、COPが建設された地点をめざし、荒野を進んだ。遠くを眺めると、防御のために土が盛られているのが見えた。上空から見て正方形状に盛り土の防壁ができているとわかる。一辺が100mくらいだろう。一角に隙間があいており、そこが出入り口だ。

 敵の攻撃の脅威があるなか、たった数日間で、よくこんな立派な陣地を作ったものだ。工兵隊や輸送隊の兵士たちに尊敬の念を抱いた。そして、工兵、輸送、戦闘などの異種部隊の協力の成果に感動した。

 COPの前に列を成して駐車した。私はVABの屋根に立ち、COPを眺めた。COPのなかにはブルドーザーやショベルカー、トラックなどが駐車してある。防壁の土は2m~3mほど盛られ、簡易的かつ一時的な防御を担っている。やがてはバスチョンウォールを設置し、COPを拡張する。

 新COPのそばで数時間の休息をとり、昼過ぎには再び村と向かい合う元の配置に戻った。何も起きないまま、4日目の朝が来て、平和なまま、4日目の夜になった。

 この夜、疲れが溜まっていて、車内で狭い思いをして眠りたくなかった。私とミッサニ伍長はADU(中隊の最先任下士官)の許可を得て、VABの真横の地面に担架を置き、そのうえで眠ることにした。

 担架の上にスリーピングマットを敷き、脱いだアーマーを枕にする。上着は脱ぎダウンジャケットを着て、横になった。ブーツは靴ヒモを少しゆるめるだけで脱がない。そして、暖かい寝袋のサイドジッパーを完全に開け、布団のように寝袋を体にかけた。ブーツのまま、両足を寝袋の中に入れる。泥などが付着していないから問題ない。ヘルメットは車内だが、FAMASは“枕元”にある。今夜はたくさん疲れが落とせそうだ。

 看護官のオアロ上級軍曹はVABの後部内側の担架で眠り、プルキエ少佐は狭い助手席で眠る。少佐が最も階級が高いので、一番安全で一番快適な車内の担架で眠る優先権があるのだが、少佐は助手席を希望した。

 23時00分、私はアーマーを装着し、FAMASを手に、夜中の見張りに就いた。少し眠いが、1時間交替なのでそんなに負担ではない。守るものはADU(中隊の最先任下士官)のVAB、車両整備班のVAB、そして医療班のVABの3台だ。その3台が成している円陣の外側をグルグル周りながら、敵が近づいてこないかなどを警戒する。周るべき円は直径30~40mくらいなので大したことない。

 23時15分頃、1kmほど離れた村の中から、“バババババン・・・バババババン・・・バババババン・・・”と、3回にわかれた短い連射音が聞こえてきた。眠気は吹き飛び、私は自分のVABの運転席の扉を開け、助手席に座って眠るプルキエ少佐を起こした。

「少佐殿、村で発砲です。」

 その後、ADUと車両整備班の両VABへと走り、運転席側の扉を開け、運転手らを起こして発砲のことを知らせた。各車両の誰か1人を起こせば、そいつが他の乗員を起こすだろう。

 私は自分のVABに戻り、運転席側の扉を開けた。少佐が言った。
「ノダ、乗れ。中隊長が『全員、VABに入れ』と無線で言ったところだ。」
「はい、少佐殿。」

 “バババババン・・・バババババン・・・。”また発砲が始まった。
「あっ、見ろ。」

少佐が車内から前方斜め上空を指さした。私がその方向に首を向けると、淡い赤色に光る1発の曳光弾が40~50m上空を走り、我々の真上に到達する直前に消えた。線香花火のような、はかない美しさを感じた。

 次の瞬間、我々のVABから左へ5m、つまり私の立ち位置から5mくらいの地面で、“プチューン”と音がした。敵の放った弾丸がすぐ近くに着弾したのだ。私は急いで運転席に飛びこみ、いつでも発車できるようにエンジンをかけた。命のほうが惜しいので、担架や寝袋はそのままだ。発車しても、後で回収するチャンスはある。

 1時間半くらい車内に留まった。中隊長が「必要に応じ、VABから出てもよい」と無線で伝えた。私とミッサニ伍長はVABを出て、再び担架で眠った。確かに少しは危険だが、被弾する可能性は低いいっぽう、疲れを落とす重要性は高い。それらを天秤にかけた結果、少し危険を冒し、外で眠ることを選んだ。そのまま朝まで発砲はなく、私はよく眠れた。

 その後は任務終了まで何も起きなかった。最終日である6日目も無事、夜中を迎え、未明に離脱し、FOBトラに帰還した。携帯糧食を食べつづけた6日間のあとに、FOBトラの食堂で食べたスクランブルエッグとカリカリに焼いたベーコンは格別だった。

 ミランミサイルの落下など、いくつかハプニングはあったが、目的であった新COP建設は達成された。それが一番大切なことだと思う。タガブ谷から敵を追い出すという目標に向けての大きな一歩となった。敵は新COPを村から眺め、あせっているのではないだろうか。
新COPの名は「COP46」に決まった。




つづく

連載のほう、3月いっぱい、お暇をいただきます。次回更新は4月1日を予定しています。
3月31日のVショー、楽しみですね。遊びに行きたいと思います。
  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン

2013年03月04日

新COP建設Part4

 翌朝、珍しく雨が降りだした。灼熱の太陽は隠れ、気温が下がっているが、まだまだ暑い。雨あしは強くはないが、VABから外に出ればすぐに全身ずぶ濡れになるだろう。

 助手席に座る軍医のプルキエ少佐の太ももあたりに水滴がしたたりだした。雨もりだ。上部のハッチは閉めてあるが、車両が古いので隙間ができているのだ。

 プルキエ少佐はできるだけ股を開いて水滴を避けたが、座席のキャンバス生地が濡れ、雨水がしみはじめた。やがては尻が濡れる。少佐はモゾモゾし、よい対策がないようだったので、私は「どうぞ」と、小さく畳んであるポンチョを運転席の隅から取り出し手わたした。

 少佐はポンチョを広げ、両脚全体にかけた。水滴はポンチョを伝って、助手席の床に流れていくようになった。床には排水口があるので、水が溜まることはない。

「これはとても効果的だ。ありがとう。」
少佐は嬉しそうに言った。

 やがて無線から中隊長の声が流れた。
「レッドの隊員1名が山を徒歩で移動中に転落し、脚を骨折。ヘリで搬出される。」
“レッド”とは第2中隊のコールサインだ。

 我々はVABの中にいるので雨の影響は受けないが、山にいる第2中隊の一部にとっては、濡れて滑りやすくなった岩や石が大きな障害となる。少し滑っただけでも、アーマーや武器などの重装備により、バランスを取りもどすことが困難だ。

 第2中隊にも専属の医療班がいるので、我々が急行する必要はない。骨折した兵士はフランスに戻ることになるだろう。アフガニスタンに着いてから2ヶ月も経っていないのに、気の毒だ。

 昨日からずっと、第3中隊のVAB10台が横1列となり、村に面している。COP建設現場へ敵が向かうことを防ぐためだ。村の端からの距離は1kmもなく、敵が攻撃してきてもおかしくない距離だ。

 12時が過ぎた。村は静かだ。もしかしたら、雨に濡れるのが嫌で敵は屋内で休んでいるのかもしれない。そうだとしたら、のどかな連中だが、そうとも限らない。油断はできない。

 午後に入ると雨がやんで曇り空となった。それと同時に私は大きいほうの便意を催しはじめた。小便なら、運転席から出てすぐ、ズボンのジッパーを下げ、“チューブ”を出して、タイヤのあたりに放尿すればいいだけだ。

 大便となると、ズボンも下着もおろし、しゃがまなければならない。しかも、私の場合、アーマーのサイズがやや大きくて、しゃがむにはアーマーを脱がざるをえない。あまりにも無防備な態勢となる。

 それ以上に嫌なのは、まわりの同僚に大便の最中を見られることだ。写真を撮られ、後でひやかしの対象とされることがある。排便は誰もがする行為だが、それをおもしろがって白昼堂々と撮影する輩が少なからずいる。あとで写真を掲示板に張られたくない。

 私は夜の闇がくるまで我慢することにした。

 何も起きない退屈な時間が続いたが、16時頃、私の位置から1kmほど離れた村の端に小さな火の玉が一瞬見えた。実際の大きさは直径5mくらいだろう。土埃が舞う。「もしかしてロケット弾の爆発?」と思うやいなや、“ドーン”という爆発音が耳に届いた。

「ブラック3、敵をコンパウンドに確認。攻撃許可をお願いします。」
第3小隊の小隊長が無線連絡を入れ、そのコンパウンド(土壁でできた現地の家屋)の地点の地理座標を伝えた。中隊長が応答する。

「敵が今も視認できるか?」
「はい。」
平坦な荒野にいる第3小隊から見えるということは、敵は土壁の上部か、壁にある窓や穴や開いた扉から姿を現しているのだろう。中隊長が交信をつづける。

「武器を持っているのが視認できるか?」
「いいえ。」
「撃つな。」

 ああ、またこれだ。うっとうしい。私は感情的にそう思った。しかし、理性的には「誤爆・誤射を防ぐには慎重にならざるをえない」と考えた。これがフランス軍のやりかただ。民間人を巻き添えにしてでも多くの敵をやっつけたいとは思わない。私はこのやりかたに賛成する。

 結局、攻撃はされず、敵もそれ以上の動きを見せないまま、夜がきて暗くなった。私はプルキエ少佐に「VABの後方30mくらいのところでウンコしてきます」と言い残し、FAMASとスコップを手に、荒野を駆けて行った。

 ヘルメットに装着された暗視装置を眼の前に下げ、スコップで荒野を掘りはじめた。大きな石がゴロゴロ埋まっており、なかなか掘り進まない。スコップの先端が石とぶつかり合い、“カンカン・・・”と音をたてた。戦術上、こんな音をたてるのはマズい。

 なんとか1個の石を掘りだし、そこにできた穴に排便することにした。私はまずFAMASとヘルメットを地面に置き、アーマーも脱いで地面に置いた。フランス軍の携帯糧食に付いているチリ紙をズボンのポケットから取り出したあと、下半身を露出し、しゃがんだ。

 今まで、フランスやアフリカで何度も同じような野糞をした経験があるので、穴を外す心配はなかったが、敵の攻撃が心配だった。ほとんどないとは思うが、敵が気づかれないようにほふく前進をして近づいてくるかもしれないと不安になった。

 心配しても仕方がない。ビクビクすることは、敵の来る来ないに何ら影響を及ぼすことはない。私は不安感を無視し、落ち着いて排便を始めた。長いこと我慢していたので、屁がたくさん出るし、便も固めだ。

 やがて、暗闇に乗じた戦術的野糞は終わった。少量だができるかぎりの土をかぶせ、石をのせたあと、装備を装着し、FAMASとスコップをとり、VABに戻った。これが我々の戦場における用の足しかただ。敵地深くで活動する特殊部隊なんかは、存在がバレないように、ビニール袋や容器に排便し、携行することがある。恐れいってしまう。

←地面は石が多く、硬くて掘りづらい。

つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年02月25日

新COP建設Part3

 ミラン発射!50m・・・100m・・・150m・・・200m・・・。200mを越えて飛びつづける。やっと正常に作動してくれたか。今度こそいけるだろう。

“シュルシュルシュル・・・ボン、ボン、ボン・・・。”

 なんと!落下・・・。調子よく飛んでいたのに、300mくらいのところで落下した。しかも、2回地面をバウンドしたあと、第3小隊隊の狙撃兵ヴェラメユー伍長とドルニック一等兵の伏せている地点からそう遠くない地面で止まったという。2人はスリーピングマットを無造作にたたみ、急いで現場から離脱しVABに戻った。

 あっけないと言うか、面目ないと言うか、まるでアクションコメディ映画に出てきそうなギャグが現実に起きた感じだ。しかし、笑ってはいけない。

 中隊長に無線が入った。
「ブラック、こちらサファイア。20mm機関砲で標的を撃てます。射撃許可をお願いします。」

 「サファイア」とは1RHP(第1機甲パラシュート連隊)所属の20mm機関砲の搭載されたVABのコールサインだ。手動ではなく機械操作で機関砲や砲塔を動かし、射撃できる。護衛としてCOP建設隊とともに現場入りし、今度は戦闘中隊の応援に来てくれたのだろう。

「許可する。」
 中隊長が答える。

“ダダダダン・・・ダダダダン・・・。”

 M2機関銃の12.7mm弾の発射音よりもキレのある音が聞こえた。結局、ミランのかわりに20mm機関砲がコンパウンドを撃った。コンパウンドがどうなったか見えなかったが、無線で「標的処理成功」と報告がなされた。なんとか敵を撃破したらしい。

 目標が達成されたのは良いことだが、それが第3中隊によるものでなかったので、少し不愉快だった。しかも同じころ、別の地点で第2中隊のミランが別のコンパウンドに命中し、敵2名を処理したという情報が後で入ってきた。

 第2中隊のミランは命中し、第3中隊のミランは落ちた。競争ではないのだが、敗北感を感じ、くやしかった。一番くやしかったのは落下したミランの射手自身だったに違いない。

 なぜミランは3発連続で落ちたのか?

 あとで聞いたのだが、それらのミサイルは製造されてから10年以上が経過しており、古かった。そんなに古いミサイルは誤作動の可能性が高く、実弾射撃訓練に用いるのが普通だ。

 2008年2月に私が参加したエリックスの実弾射撃訓練では、アフリカの紛争地に数年間配備されていたミサイルをフランスに戻したものを使用したのだが、射手6人のうち4人に誤作動が起きた。ミサイルが全く飛んでいかなかったり、すぐ目の前に落ちたり、途中まで順調に飛んでいたのに急に落ちたり・・・。

 実際のところ、第3中隊の備品管理責任者の上級軍曹がFOBトラの弾薬支給担当者に「ミランが古い」とクレームをつけて、新しいものと交換を申し出ていたが拒否されていた。そしてこの有り様だ。そもそも古くなったミサイルがアフガニスタンに搬入されていること自体おかしい。

 もしかして新しいミサイルが足りないのだろうか。外人部隊においても、正規軍においても、「装備が足りない」「装備が古い」「装備がボロい」と誰かが言うと、どこからともなく次のような答えが返ってくるのを聞くことがある。

「あたりまえだ。フランス軍なんだから。」
物資の豊かな米軍がうらやましい。

 なお、私はミサイルに問題があったと思っているが、別のミラン射手のなかには射手のミスだという者もいた。「自分なら当てられた」と言う者もいたが、私はミランの教育を受けていないので何とも言えない。少なくとも、落下したミランの射手個人を非難するべきではない。彼は不真面目に撃っていたのではない。

 その日の夕方、FOBトラから後方支援部隊のVABが来て、新しいミランミサイルを届けてくれた。次回は命中してほしい。

 それにしても、実際の戦闘というものは思いのほか、うまくいかないものだ。今回はそのことをつくづく思い知らされた。

 ミランの一件が落ち着いたあと、我々は帰還することなく、そのまま荒野のVABの中で一夜を過ごした。車内とは言え、夜は寒かった。昼は暑いくせに。VABには暖房機能があるが、ほとんど効き目がない。

 私はヘルメットを脱ぎ、ニットキャップをかぶった。アーマーは暖かいので着たままだ。そのうえにダウンジャケットを布団のように、前面からかぶり、袖に腕を通した。上半身は大丈夫だったが、脚が寒く、膝とつま先は痛いほどだった。我慢するしかない。

 あくまで敵性地域にいるため、ADU(中隊最先任下士官)のVAB、車両整備班のVAB、そして我々医療班のVABの乗員9名のうち、ADUを除いた8名で交替しながら、それら3台のVABの周りを警戒した。警戒以外のときは座ったまま眠った。ADUであるウィルソン上級曹長は車内の無線のそばで休んでいた。

 こんな夜が6夜つづく。この任務では、まるまる6日間をVABで過ごすことになる。負傷したりして後送されなければの話だが。


↑陽が沈む前に同僚を記念撮影する。


つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(9)アフガニスタン

2013年02月18日

新COP建設Part2

 銃撃戦がやみ、ミラン班を指揮する軍曹が無線で中隊長に言った。
「敵グループの潜むコンパウンドを視認。ミサイル発射の許可をください。」

中隊長が言う。
「敵が武器を持っているのが視認できるか?」
「ネガティフ(いいえ)。」

「撃つな。」
 敵が数名、そのコンパウンドに隠れているのは確実なのだが、武器までは見えないのだ。敵が武器を持って入るのが視認されたとしても、ミサイルを発射する時点で、武器の有無が確認できなければ、発射許可がおりないようだ。

 もしかしたら敵はすでに銃をどこかに隠し、今は非武装かもしれない。そうなると、民間人と区別がつかない。別の言いかたをすれば、非武装なら民間人と見なさなければならない。この原則を無視すれば、民間人誤射を招き、タガブ谷の住民たちを敵に回してしまうかもしれない。非常に難しいところだ。

 少しして、ふたたびミラン班の軍曹が無線で言った。
「敵の武器を視認。発射許可をください。」

 よし!今度こそ撃て!私は心のなかでそう叫んだが、中隊長は慎重だった。
「周囲に一般人はいないか?」

中隊長の質問に、ミラン班ではなく、35RAPの観測班が答えた。
「3人の子供が見える。」
「撃つな。」 

 またしても撃つことができない。しかし当然だ。子供を巻き添えにすることは絶対にできない。敵はそういう事情を知ったうえで、子供たちをコンパウンドの周辺に立たせているにちがいない。そうでなければ、村人は老若男女、戦闘中に屋外にいるはずがない。「人間の盾」だ。

 無線を聞いて私がくやしがっていると、上空に米空軍のF15が現れた。まさか空爆はしないだろう。私は実のところ、航空機の火力についてよく知らないが、この村みたいに家屋が集中している環境で、空から投下するような爆弾は威力があり過ぎるのではないかと思う。民間人が巻き添えになってしまう。

 やがて、F15は300mほど上空を、谷の西から東へと飛行した。そして村の上空にさしかかったとき、“ポポポ・・・”とフレアを何発か発射した。明るい火の玉が白い煙の尾をひいて降下し、やがて空中で消滅した。
フレアに殺傷力はないが、敵は恐怖を感じたはずだ。
 
ミラン班から無線が入る。
「コンパウンド周辺から子供たちが立ち去りました。発射許可をください。」

子供たちもフレアに驚いたようで、うまい具合にコンパウンドの敵は「人間の盾」を失った。さて、中隊長はなんと言う?

 しばらく間があいたあと、中隊長の指示が無線から聞こえた。
「発射を許可する。」

 ついに中隊長がミランミサイルの発射を許可した。村の端から約1km離れた地点から、ミラン射手はコンパウンドに狙いを定める。ミランの有効射程距離は500~1800mだ。地面に伏せて撃つのか、VABの上から撃つのか、私からは見えない

 この瞬間のために、彼は苦しい訓練に耐えてきた。ミラン班の仲間たちと、重いミサイルや発射機をかついで山野を駆け巡った演習もこの瞬間のためだった。ついに実戦で成果を発揮するときがきた。

 射手は発射ボタンを押した。
“シュルシュルシュル・・・。”

 ミサイルが標的めがけて飛び出す。100mくらい飛ぶと、突然ミサイルが地面に落ちた。爆発はしない。無線でミラン落下が報告される。「よりによってこんなときに!」といらだちを覚えた。

 射手たちの現場には「なぜ落ちたか」を考えている暇はない。失敗したなら再度挑戦するだけだ。装填手が次のミランを発射機に設置する。射手は発射ボタンを押した。
“シュルシュルシュル・・・。”

 2発目は100m地点に落ちているミランを越えて飛びつづける。その調子でこのままコンパウンドに命中しろ!150m・・・180m・・・200m。落下!200mくらい飛んだが、また落ちた。あっけない・・・。

 落下の報告が無線で流れたとき、中隊全体で落胆の声があがっただろう。VABの助手席に座る軍医までもが「ちくしょー」と漏らした。

 私は実弾射撃訓練において、ミランとは別の「ERYX(エリックス)」という、射程が50~600mの対戦車ミサイルを撃ったことがあるが、私の前後に撃った射手たちの何人かにミサイルの不調による落下や不発が起きた。そのため、今回のミラン落下もミサイルが不良品なのではないかと私は思った。しかし、射手の技能を疑いだす者もいたことだろう。

 ミラン班は発射機に問題がある可能性を考慮し、発射機を替え3発目を設置した。射手は交替しない。三度目の正直だ。

つづく

←フランスの演習場にて、エリックス発射器を持つ著者とミサイルを持つ後輩
←実弾射撃訓練のまえに記念撮影する射手たち


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Posted by 野田力  at 07:00Comments(6)アフガニスタン

2013年02月11日

新COP建設

はじめに

このたび、お暇をいただいているあいだに、我が連隊2REPがアフリカのマリに実任務でパラシュート降下を決行したというニュースが入ってきました。
実任務でのパラシュート降下は私はやったことがなく、大変うらやましく思いました。


さて、ブログ記事に参りましょう。
今回のエピソードで「COP」や「FOB」や「ADU」など、略語がでてきます。ここで少し用語説明を加えます。
COP=Combat Outpost≒前哨砦
FOB=Forward Operating Base=前方作戦基地
ADU=Adjudant d’Unite≒中隊曹長≒最先任下士官
VAB=Vehicule de l’Avant Blinde≒前面装甲車(フランス軍の主力兵員輸送車)
それではどうぞ。

―――――――――― 

 村に車両で近づき敵の反応を見る作戦から1週間が過ぎたころ、再び同じ形で村に近づく作戦に出動することとなった。今回は、我々第3中隊の後方を工兵部隊や輸送部隊の装甲車、トラック、ブルドーザーなどの車両が横切る。

 作戦の目的はタガブ谷の東端に新たなCOPを建設することだ。工兵・輸送部隊が攻撃を受けることなく、谷を北上し、建設工事を実施できるように、第3中隊が盾となるのだ。COPロコから第2中隊も参加する。

 前回の作戦と同じように、未明に我々の車列はFOBトラを出た。途中から暗視装置を使い、無灯火で車両を操縦し、配置についた。配置は前回とほぼ同じで、戦闘小隊や中隊長、副中隊長のVABが谷の西側にある村に横一列で面して、潜む敵と対峙し、我々衛生班はADU班や車両整備班と少し後ろで待機だ。

 明るくなるころには配置につき、次の動きを待った。敵が撃ってくるのが先か、COP建設隊が通るのが先か。今は、とにかく待つことしかできない。実戦というのは、何もしない待ち時間が本当に多い。

 数時間後、動きがあった。建設隊の通過だ。私の後方、つまり東側数百メートルの道路上を、トラックや装甲車が走っているのが見える。オリーブグリーン色のブルドーザーも走っている。


 建設隊の車列が走っている道路はタガブ谷の南東から北へ向かって延び、途中で西へと曲がり、谷の真ん中あたりで再び北へ向かって延びている。そのまま、ずっと北上すれば、別のフランス軍部隊「タスクフォース・ブラックロック」のいるFOBタガブにたどり着く。

 私の位置からは見えなかったが、建設隊はその道路が西へと曲がるところで道路から外れ、荒野を北東方向へ数百メートル進み、東端の山のふもとまで移動した。どうやら、その辺りには第2中隊がいるようで、彼らが建設現場の警護を担うらしい。


「ブラック3、コンタクト!」
 敵が撃ってきた。遠くで乾いた連射音が響き、第3小隊小隊長の声が無線から流れた。ブラック3は第3小隊を表す。ブラック1なら第1小隊だ。

 第3小隊の連中が応戦する銃声が聞こえる。そんななか、私は彼らの後ろのVABのなかでじっとしている。もどかしい。どんな戦闘になっているのだろうか?

 後で第3小隊の仲間に聞いたところ、興味深いエピソードを話してくれた。

 土壁に囲まれたアフガンの伝統的な家屋を「コンパウンド」と国際部隊は呼んでいるのだが、村の端に位置するコンパウンドから敵は発砲していた。第3小隊のVAB群は村から約600mまで距離を縮めている。

 何人かがコンパウンドに向けて発砲した。敵を狙い撃つというより、敵をコンパウンドのなかに封じ込め、撃ってこられなくするための牽制だ。FAMASやMINIMIの5.56mm弾からブローニングM2の12.7mm弾まで、派手に撃ち込まれた。

 第3小隊の狙撃兵、ベラルーシ人のヴェラメユー伍長とスロバキア人のドルニック一等兵はFRF2狙撃銃とともにVABを降り、少し離れたところの、荒野がやや隆起した地点にスリーピングマットを敷いて、伏せた状態でFRF2に装着された8倍スコープで敵を捜した。
←FRF2

 ドルニックが村の端の低い土壁越しに銃を構える敵を見つけ、ヴェラメユーに伝え、発砲した。
外れた。ヴェラメユーが続いて発砲する。外れた。再びドルニックが撃つ。外れた。

 やがてその敵は2人に気づき、2人に向けてセミオートで発砲を始めた。フルオートではない。敵はAKを連射する傾向にある。ドラグノフ狙撃銃を使用していたのだろうか。

 敵弾も2人に当たらなかった。引き続き2対1での撃ちあいが続いた。ドルニックたちは2人で合計30発ほど撃ったが、結局互いに1発も当たらないまま、敵は壁の陰に入り、姿をくらました。

狙撃手というと「One Shot, One Kill」とか「One Round, One Kill」という一発必中のイメージがあるが、今回はイメージダウンとなってしまった。そういうときもある。2人は引きつづき、村の監視をつづけた。


つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年01月28日

コンタクトPart2

「ブラック、こちらサンダー。RPGを持つ敵1名を確認。座標は・・・。」
無線から音声が聞こえた。「サンダー」というコールサインを持つ35RAPの観測班が、敵のいる地点の地理座標を中隊長に報告している。離れた観測地点から高性能監視機器で村のなかの敵を捉えたのだ。

「ブラック、こちらソード。敵を視認している。発砲許可を要請する。」
今度は「ソード」、つまりTE(精鋭射手)班から無線が入った。その敵を狙撃する準備ができたようだ。あとは中隊長が発砲許可を下せばいい。

中隊長が応答する。
「待て・・・。」

「えっ、なんで?」と思った。明らかに敵である人間をたおすチャンスなんだから、「よし撃て」と言えばいいじゃないか。

少しして、ふたたび無線に中隊長の声が入った。
「撃つな。」
「了解。」

TE班は撃たないことを了解した。命令は命令だ。仕方ない。「待て」から「撃つな」の命令の間の時間、中隊長は連隊長などの連隊上層部に許可を申請していたのだろう。しかし却下された。
やがて、観測班が無線で言った。

「RPGを持った敵は建物に入り、現在は目視不可能。」
しばらくして、アメリカ軍のF15戦闘機が上空を飛び始めた。ときどき村の真上を低空飛行し、敵を威嚇した。これにより、敵も村人も皆、屋内に隠れてしまったにちがいない。とりあえず脅威は去った。

ADU(中隊の最先任下士官)、我々医療班、車両整備班、工兵小隊のVABは移動を始めた。我々はADU、車両整備班とともに戦闘小隊の後方数百mくらいの荒野に陣取った。ワディ(涸れ谷)から開けた荒野に出たので、村を眺めることができるようになった。工兵小隊はどこか別の場所へ行った。

午後になり、F15がバグラム航空基地へと飛び去り、静かな時間がやってきた。ますます暇になった。すると、観測班から無線が入った。
「村のなかを約40名の非武装の人々が北に向かい歩いている。さらに約20名が南に向かい歩いている。」

すごい人数だ。戦闘が始まり、どこかに隠れていた現地民が動きだしたのだ。彼らにだって、今日中にやらなければならない農作業などがあるはずだ。足止めをくらって、今ごろ文句を言っているにちがいない。

我々と敵との戦闘は、彼らにとっては、台風や洪水のような災害みたいな感覚なのかもしれない。戦闘が台風のように過ぎ去れば、普段の農作業を始める。この村に天気予報が存在するなら、「今日の天気は、晴れのち戦闘、そののち晴れ」のような予報が報道されるのだろう。

静かな時間が長くつづき、退屈の度合いがピークに達してきた。運転席に座りっぱなしで尻が痛い。VAB後部のオアロ上級軍曹とミッサニ伍長は、後部扉を開け、外に出て、立ち小便をしたり、携帯コンロで湯を沸かし、コーヒーを入れ始めた。

とうとう私も運転席上部のハッチを開け、座席に立ち、胸から上を外に出した。背伸びをし、上体を左右にひねり、コリをほぐす。広がる荒野や遠くに見える雪山の山脈を眺めた。自然は美しい。

“パパパパパパン!”
“ドドドドドドン!”
突如、村から銃声が響き、OMLTやアフガン軍が応戦した。5.56mm、7.62mm、12.7mmの発射音が混ざる。

我々の位置からは遠かったので、当たらないだろうと、私は隠れなかった。すると、近くの空中で“ヒュン”と音がした。流れ弾が1発、そこを通ったのだ。自分から約20mくらいの距離に感じた。

若干、離れているうえに、私を狙って撃った弾ではなかったので、恐怖は感じなかった。しかし、次に来る弾丸が当たると嫌なので、私は素直に運転席に入った。後部の2人も車内後部に入り、そこでコーヒーを飲んだ。緊張感のかけらもない。

銃声はすぐにやんだ。無線で観測班の報告が聞こえる。
「負傷した敵が4名見える。」

やった!戦果が出た。負傷した敵は他の敵たちによって、どこかへと運ばれていった。無線では、負傷の種類や箇所など、詳しいことはわからなかった。しかし、少なくとも敵にダメージを与えることができた。私の手によるものではないが、嬉しかった。

その後は何も起きないまま、夜になった。OMLTとアフガン軍はCOPフォンチーに帰還した。我々は、ADU班、医療班、車両整備班の乗員で、交替で見張りにつき、夜を過ごした。

見張りは、小さな円陣を組んだ3台のVABの周囲をグルグルと巡回するだけだった。暗視装置で時々周囲を見渡し、近づいてくる者がいないか、見張った。

結局、なにも起きず、翌朝4時半ころ、暗闇のなかを暗視装置を使い、我々は皆、離脱した。グリーンゾーンからじゅうぶん離れると、暗視装置からヘッドライトに切り替え、FOBトラに帰還した。全員無事で、第3中隊の車両には弾痕は一切なかった。OMLTやアフガン軍の車両についてはわからない。

今回の任務は、戦闘があったにもかかわらず、全体としては退屈だった。しかし、本当の戦争ではそういう時間のほうがはるかに多いのではないだろうか。アクション映画ではいつも派手だ。イメージと現実は違う。

とりあえず、敵が本当に潜んでいるということを実感することができた。しかも惜しみなく撃ってくる。これからの任務において、何とか民間人に被害を出さずに敵を排除できるといい。


←アフガン軍
←バグラムを離陸するF15と見物する仏兵
←コーヒーを入れるとすぐにハエがたかる

つづく

来週・再来週はお暇をいただきます。次回更新は2月11日です。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(2)アフガニスタン

2013年01月21日

コンタクト(接敵)

10時50分ころ、35RAPの観測班からの無線交信が聞こえた。
「村のモスク(イスラム寺院)にAK、PKM、RPGで武装した男たち13名が入って行った。」

その10分後、さらに報告が無線で伝えられる。
「モスクから13名が出た。武装している。」
「了解」
中隊長が応答する。

モスクの周りは広場になっており、監視所からよく見えるが、そこから通路に敵が入ると見失ってしまう。通路の両脇に沿って、高さ2mほどの土壁が連なっているからだ。ヘリやドローンが敵の真上から観測すれば見つけられることもあるが、意外と難しいらしい。農具を持った非戦闘員の村人たちもいる。

新たに無線交信が入った。今度は、アフガン陸軍と行動をともにしている仏軍OMLT部隊の小隊長から、われわれ第3中隊の中隊長への交信だ。
「ブラック(中隊長コールサイン)、こちらオリオン(OMLTコールサイン)。これよりANA(アフガン国軍)とともにそちらへ向かう。」
OMLTとアフガン陸軍部隊も作戦に参加するようだ。

OMLTのVAB数台とアフガン陸軍のハンヴィーやトヨタ・ピックアップトラック数台は、南側から戦闘小隊のVAB群にむけて、荒野を北上していた。我々の待機しているワディの下流域を横切るのが遠くに見え、すぐに見えなくなった。もうすぐ第3中隊のVAB群に合流するだろう。

突然、無線からOMLT隊長の大声が聞こえた。
「オリオン、コンタクト(接敵)!」

ついに始まった。私はVABの座席に深く座りなおした。
パパパパン・・・。敵のAK小銃の連射音が離れた我々のもとに聞こえてきた。「あぁ、本当に撃ってくるもんなんだなぁ」「本当に敵って存在するんだなぁ」「本当にここは戦争してるんだなぁ」と思った。

OMLT隊長がその敵の位置を無線で皆に知らせようと、あらかじめ部隊で決められている村内区画のコールサインを、興奮で声を荒げて言った。
「エコー8地点より敵の攻撃あり!現在、応戦中!“バンバンバンバンバンバン・・・”」

交信の最後に、OMLTのVABに搭載されたブローニングM2重機関銃が12.7mm弾を連射する爆音がまぎれこんだ。その1~2秒後、遠くから「バンバンバンバンバンバン・・・」という連射音が私の耳に届いた。

それは、無線で聞いたM2重機関銃の連射音と同一のもので、音が空気を伝わる速度より、無線電波の速度のほうが速いため、ズレが発生したのだ。あたりまえの現象ではあるが、理科の実験を成功させる小学生のように感動した。

ついに交戦となった今、我が中隊はどう動くのか?負傷者が発生し、我々医療班の出番は来るのか?気が引き締まった。

銃撃戦はつづく。しかし、私の位置からは何も見えない。発砲音を聞き、無線で交信される会話内容から状況を読みとることしかできない。OMLT、アフガン軍、戦闘小隊、中隊長班は敵弾の脅威にさらされているのに、私自身は銃弾の飛んでこないワディのなかでじっとしている。

命の危険を冒している彼らに対し、申し訳ないという思いが込みあげ、安全を享受している自分に少しイライラしてきた。冷静になるべきだ。そこで、「今はここで待機するのが自分の役割だ」と自分に言い聞かせ、落ち着きを取りもどした。もし重傷者が発生したら、我々医療班は彼らが同情するくらい忙しくなる。

それに、今、最前線にいる仲間のほとんどが、自分たちの置かれた状況に満足しているだろう。敵と直接対峙する経験は貴重だ。もし私が、「きみらの立場と私の立場を交換しよう」と提案しても、彼らは断るだろう。だから彼らに申し訳ないという思いを抱く必要もない。ひとつ大口を叩かせてもらえるなら、逆に彼らこそ、陰で暇をしている私に申し訳ないと思うべきだ。

“ドゥゥゥン!”
大きな爆発音が聞こえた。

“ドゥゥゥン!”
また聞こえた。

2個戦闘小隊のうちの1つ、第3小隊の小隊長が無線で中隊長に報告するところによると、敵がRPG-7を発射したらしい。放たれたロケット弾は2発とも外れ、地面に当たり爆発した。

戦闘小隊の同僚にあとで聞いたのだが、ロケット弾が炸裂した地面には、直径約1.5m、深さ約1mのクレーターができていた。その同僚曰く、「ここの地中は石だらけで固いのに、こんなに大きな穴があいた。あんなのがVABに命中したら絶対に助からない。」

“ドゥゥゥン!”
ふたたびRPGの爆発が聞こえた。無線によると、アフガン兵が発射したものらしい。残念ながら成果はなかった。少しして銃撃もやんだ。

あとで聞いたのだが、この銃撃戦ではOMLTとアフガン軍だけが応戦していた。戦闘小隊は撃たなかった。小隊長たちが発砲許可を出さなかったという。実際に直接攻撃を受けたのはOMLTとアフガン軍だけで、彼らは戦闘小隊よりも村に近づいたため、攻撃を受けたらしい。




↑タガブ谷の荒野

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(6)アフガニスタン

2013年01月14日

潜入Part2

エンジンを切ったら、とても静かになった。我々の前にいるADUのVABもエンジンを切っている。となりの助手席を見たが、プルキエ少佐は座席の上に立ち、上半身を回転式砲塔に出しているため、顔は見えない。
車窓から左側を見ると、道路のすぐ向こうには丘があった。あの丘のからは敵の潜む村が見えるはずだ。つまりこの坂を登りきれば、その村が見えてくるだろう。

車列の前方にいた戦闘中隊のVABや中隊長班のVABは、きっと村に対して横一列の車両編隊を組み、車間距離を50mくらいとり、だだっ広い荒野を進む準備を整えているのだろう。

そして、長距離の火力支援や観測を行なう班は、村とは反対方向へ進み、山を少し登り、村を見渡せる地点に向かっているのだろう。対戦車ミサイル「ミラン」を扱うミラン班、「PGMエカットⅡ」という12.7mm口径の狙撃銃を使用するTE(Tireur d’Elite=精鋭射手)班、そして35RAP(第35砲兵パラシュート連隊)の観測班がそれだ。

やがて明るくなった。暗視装置をヘルメットから外し、クッション代わりのネックウォーマーに包んでポーチにしまった。上り坂の我々の前方には、ADUのVABがあり、その前には2台のVABが見える。17RGP(第17工兵パラシュート連隊)所属の工兵小隊のVABだ。それより先は坂を登りきった地点より向こう側なので見えない。

「クリーク、ガーネット、予定通りの配置につけ。」
無線から中隊長の命令が聞こえた。「クリーク」はADU、「ガーネット」は工兵小隊のコールサインだ。この場合、我々医療班と車両整備班のVABはADUのVABについて行く。私はVABのエンジンをかけた。
「クリーク、ルスュ(クリーク、了解)。」
「ガーネット、ルスュ(ガーネット、了解)。」

ADUと工兵小隊の小隊長が無線で応答し、前方に見える工兵車列とADUのVABが前進を始めた。私はそれにつづいた。サイドミラーに目をやると、後方にいる車両整備班のVABが発車したのが見える。

こうやって後方を確認することは絶対に忘れてはいけない。特に一旦停止したあとに、再び前進するときはなおさらだ。もし、運転手も助手席の者も睡魔にやられるなどして、前進する車列について来なかったら、部隊が離ればなれになってしまう。

VABの後部のハッチから周囲を警戒する兵士がいたりするので、そのような事態は起こりにくいが、1度、フランス南部の演習で起きたことがある。疲れがピークとなる演習最後の夜中、一旦停止したあと、最後尾のVABの乗員が眠りに落ちてしまい、1台だけ置き去りにされてしまった。あのときは私も運転手を務めていたが、私自身もときどき居眠り運転をしてしまった。

今はまだ任務開始から間もないので、疲れておらず、その心配はなかった。そのまま我々は進み、坂を登りきった。広い荒野が目の前に広がる。その景色をじっくり眺めたかったが、すぐに下り坂となった。

坂を下ると、先ほど見えた広い荒野より低い場所に来た。再び道路は登り坂になっているが、工兵小隊の車列は右方向へと道路から外れた。ADU、我々、車両整備班のVABもそれにつづく。

周辺より少し低くなった地形の場所を我々は進んだ。ここはワディ(涸れ谷)だろう。やがて工兵小隊のVAB 4台が半円形の編隊を成して停車した。我々3台は彼らの反対方向に向かって半円形の編隊を成し、全体で円形の360度警戒の拠点が完成した。

「クリーク、配置についた。」
「ガーネット、配置についた。」
それらの無線報告に中隊長が答える。
「了解。全隊、グリーンゾーンに対し引きつづき警戒せよ。」

「グリーンゾーン」とは、イラクのグリーンゾーンのように、国際部隊が統制する安全地帯のことではない。アフガニスタンにおいては、それとは真逆に、危険地帯のことをいう。肥沃な農村地帯で緑が多いことから、そういう名称がつけられたらしいが、ここではほとんど緑は見られず、枯れた木々や、乾いた荒野しか見えない。

我々はグリーンゾーンを眺めることのできないワディで待機だ。医療班は負傷者が発生するのを待つ。正直、つまらない。戦闘小隊みたいに最前線に立ちたいと思った。しかたがない。これが私の役割だ。

その頃、戦闘小隊と中隊長、副中隊長のVABはグリーンゾーンに面して横一列となっていた。村の端の家々から800mほどの位置にいたらしい。

ミラン班、TE班、観測班はもう少し後方の小高くなった位置に陣取り、村を監視していた。ミランやPGM狙撃銃の射程を考えると、2kmを越えて離れることはないが、私には正確な位置を知るすべがない。

我々はエンジンを切り、待機した。これからどんどん陽が昇り、暑くなっていく。

何も起きないまま、時間だけが過ぎていく。30分・・・1時間・・・。上空からは、「パタパタパタ・・・」や「ブゥゥゥゥゥン」という音が聞こえてくる。米軍ヘリ「カイオワ」と仏軍のドローン(無人偵察機)だ。ドローンは、音はするが、機体を見つけることができなかった。

カイオワやドローンの音を聞きながら、じっと待った。結局何も起きないのだろうか?まあ、そういうこともある。グリーンゾーンにもっと近づかないのか?RPGでやられる。




←ミラン
←PGM

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(10)アフガニスタン