2012年09月17日

COP

はじめに

最近、尖閣諸島問題が大きくなっており、中国で日本国旗が燃やされる映像も目にします。
国旗を燃やすという行為、私の経験から言わせていただくと、世界を敵にまわす行為です。

私が現役時代、反日デモで中国人群衆が日本国旗を燃やしているのをフランスのニュース番組が放映しました。そのことで私は中国人同僚と関係が悪くなることはなく、割り切って考え、仲良くしてましたが、周りのスロバキア人やポルトガル人などが、「国旗を燃やすのは最低の行為だ。中国人を殴ってやれ」と私に言ってきました。

当然、殴ったりなんかしませんでしたが、このとき、国旗を燃やす行為は、その国旗がどの国のものであれ、関係のない他の国々の人々をも敵に回すことになる、と気づきました。

さて、連載にまいりましょう。

――――――――――

開いた金属製ゲートのわきに立つ歩哨を横目に、すべての車両がFOBを出た。凸凹の多い土道で、舗装されておらず、土と石の混じり合った地面がむき出しだ。車間距離を50mくらいとる。前のVABが舞い上げる土埃が、少佐たちに降りかかるのをなるべく少なくするためと、ひとつのIEDで2台の車両が一度にやられないためだ。

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周辺の荒野や、遠くの山々を眺めつつ、FOBの高台から緩やかに下っている土道を進み始めること約5分、舗装された道に合流した。首都カブールから東部の都市ジャララバードへとつづく幹線道路だ。ここを右折する。民間車の交通量も多い。

FOBを出たときに車列の先頭だったVABが、幹線道路を出てすぐ、我々の車線上で停車し、民間車の交通を一時的に止めていた。部外の車両が我々の車列にまぎれ込むのを防ぐためだ。後続のVABがすべて通り過ぎると、そのVABは車列の最後尾についた。

滑らかな舗装道路を、車列は速度を上げ、COPフォンチーに向かう。ここからがIEDや自爆テロの危険性が高まる。FOBと幹線道路のあいだの土道は、関係車両しか通らないので取締りが簡単だが、幹線道路はあらゆるタイプの乗り物が往来する。民間軍事会社の装甲車も通れば、現地農夫のトラクターも通る。

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幹線道路の周りは広大な荒野で、遠くにヤギの群と1人のヤギ飼いが見える。道路沿いには古いガソリンスタンドや、パーキングエリアの機能を持つ小さな飲食店があった。どんな料理が出てくるのか想像がつかないが、店の前にはいくつかの大型トラックが駐車されているので、どうやら繁盛しているらしい。

トラックには赤や朱色、セルリアンブルーなどの明るい色をふんだんに使った、インドの寺院によくありそうな美術デザインが塗装されている。蓮の花が咲く庭園の風景画などが小さく描かれていたりするが、ほとんどの部分はカラフルな模様で、ところどころに目が描かれている。目は不気味だが、他の部分はエキゾチックで美しい。昼間に眺めるなら、日本の「デコトラ」よりも派手だ。

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やがて、幹線道路から左折して、ところどころにひび割れや陥没のある道路に入った。左折してすぐ右手に、アフガン警察の基地があった。有刺鉄線が上部に張られた塀の中に、いくつかのコンクリート製の建造物がある。ダークグレーの制服を着た警察官らが、AK47を持ち、塀の前を歩いている。

そのうちの1人と目が合った。右手を挙げてあいさつをした。装甲車のフロントグラスに日光が反射して、その警察官から車中は見えないかと思ったが、笑顔になり右手を高く挙げてくれた。こちらが敬意を示せば、あちらも敬意を示してくれる。友好関係をつくる鉄則だ。

COP←アフガン国家警察(ANP=Afghan National Police)

さらに進むと道路の右側に沿って、大きな川が現れた。幅は30mくらいだ。荒野は乾いているように見えるが、水は大量にあるらしい。前方、遠くを見ると、我々はダムを見あげる感じに走行していることがわかった。右手の川の水はダムからの放水だ。大きなダムだし、発電所も併設されている。立派な橋もあるし、快適に走行できる道路もある。アフガニスタンのインフラ整備は意外と進んでいて驚いた。

橋を渡り、登り坂となった道路を登り、ダムの横を通過した。美しい水色の大きなダム湖が広がる。ここなら我々第3中隊の特技「水路潜入」が活かせる。湖畔に敵が潜むとは思えないので、現実的ではないが。

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ダムのそばのアフガン国軍の詰所を過ぎると、道路と荒野だけの地域になった。敵にとっては、待ち伏せするのにちょうどよい場所ではないだろうか。近くに警察や同盟軍はいそうにない。民間車とときどきすれ違うくらいだ。

私は引き続き、IEDを警戒し、運転しながら、周辺の地面に不審物がないか、目を凝らす。さらに、自爆テロを心配し、すれ違う民間車の乗員をジロジロ見る。すると、車体におもしろいものを見つけた。白のセダンに「小仲製パン」と書いてあった。日本の中古車がアフガンで活躍しているのだ。

他にも、「佐久間玩具店」と書かれた白のワゴン車や、「荒田病院」と書いてあるクリーム色のマイクロバスなどがあった。電話番号が書かれているものもあり、日本へ帰ったら電話したいと思った。そんな日本の店名などが書かれた車にアフガン人が真面目な顔をして乗っているので、つい微笑んでしまった。しかし、ここは戦場なので、気を引き締めなければならないと思い、自分をいましめた。

COP

FOBを出て、1時間近く経つだろうか。舗装道路から左に折れ、平坦な土道に入ると、村が見えてきた。土でできた2mから5mの壁が、中の居住空間を見えなくしている。壁は、上空から見れば四角になる形で居住空間を囲んでいる。出入り口は、金属製か木製の扉で、他の部分は土だ。ピラミッドのような色をしていて、エジプト文明の世界を旅している感じでドキドキした。

道は村の中を通っていた。アフガン民族衣装を着た村の男たちや子供たちが、我々をジロジロと見てくる。笑顔はない。憎しみの目でにらまれてもいない。村人の誰かが、AK小銃やRPG-7ロケットを構えるのを想像した。

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結局、何も起こらないまま、無事に村を通過した。少し進むと、有刺鉄線に囲まれた砦が見えた。COPフォンチーだ。入口のアフガン兵がバリケードとなっている有刺鉄線をどかし、車列はCOPへ入っていった。門番のアフガン兵は、米軍のウッドランド迷彩と同じ柄の戦闘服を着て、M16A2を担いでいる。そいつとは目が合わなかったので、あいさつをしなかった。

COP←アフガン国軍(ANA=Afghan National Army)

土や土嚢が高く盛られたCOPの中にVABを駐車した。ここまで来たなら一安心だ。初めての任務だったので緊張してしまい疲れた。数時間、ここに留まるだろうから、気持ちを休めたい。私は、ヘルメットを脱ぎ、ハンドルの上に置いた。


つづく

アフガン体験記は毎週月曜日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。





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Posted by 野田力  at 07:00 │Comments(0)アフガニスタン

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