2012年03月20日

プロローグ

アフガニスタン タガブ谷の村 
2010年4月8日 現地時間14時頃


“バババババン !!”
AK小銃の掃射が聞こえた。それに呼応して、友軍のFAMAS小銃とMINIMI軽機関銃の単射音や連射音が加わった。交戦だ。

銃声が鳴り響いているのは村の西側で、そこは第4小隊が受け持っている。村の東側を担当している我々第1小隊から直線距離で100mも離れていないが、アフガニスタン特有の家屋や、路地沿いに構築された高さ2m程の土塀で、銃撃戦現場は視認できない。敵どころか味方の姿も見えない。

この日、私は第1小隊の第3分隊に衛生兵として派遣され、行動を共にしていた。我々は高さ1.5m程の土塀越しに、前方(我々の北側)に広がる空き地や、銃声のする左前方向にある土塀や家屋を見張っていた。

弾丸が近くを飛ぶと、“ヒュン”とか“ピュン”という、空気を切り裂く音がするが、そんな音はしない。どうやら我々の方には弾丸は撃ち込まれていないらしい。

西側では銃撃が全然止まずに続いている。銃声のする方向(我々の左側)50mくらいの所にある土塀の陰にしゃがんでいた我々の同盟であるアフガン兵たちが、激しい銃声の中、我々の方向に向かって、いっせいに走り出した。

M16A2小銃やPKM機関銃を持つアフガン兵たちが我々の方へ走ってくる。PKMのベルト式弾薬や装備の金具が“カチャンカチャン”と音を立てる。彼らは空き地を駆け抜けると、我々の正面を横切った。私はFAMASを上に向けて、銃口がアフガン兵に向かないよう努めた。

1人、また1人と、次々にアフガン兵が遮蔽物のない空き地から土塀の裏に滑り込んできた。中には、ロケットを1発撃ち込んでから悠然と避難してきたRPG射手もいた。

アフガン兵約15名全員が土塀に隠れる頃には銃声はやみ、アフガン軍司令官が、地面に置いた無線機から伸びた受話器を横顔に押し付け、交信していた。落ち着いた口調だが、ダリ語なので何を言っているのか全然わからない。

我々の分隊長であるアルゼンチン出身のデルトロ軍曹のヘッドセットにも、腰に付けた小型無線機ER328を通して、何か連絡が入ったようだ。デルトロ軍曹がいつものドスの効いた声で言った。

「第4小隊で負傷者が出た。衛生班の増援が要請されてる。ノダ、出番だ。行くぞ。」

無線を聞き、2つの小隊の位置関係を把握している軍曹は6名の戦闘員と私を率いて駆け出した。
どんな負傷だろうか?腕か脚を撃たれたのだろうか?第4小隊には軍医1名と衛生兵1名が派遣され、一緒に行動している。すでに何か処置を始めているだろう。しかし、その2人では人手が足りないなんて、重傷に違いない。

そう考えながら、家屋の塀に沿って走った後、深緑の若い麦畑をガサガサと抜け、幅2m程の路地に真横から入った。入ると左方向約20m先で、フランス人軍医プルキエ少佐とアルジェリア人衛生兵ミッサニ伍長がひざまずいて両手を忙しく動かしていた。

2人の間には、1人の白人兵士が頭をこっちに向けた状態で、仰向けに横たわっていた。すでにヘルメットもアーマーも脱がされ、仏軍森林迷彩服だけを着ていた。どんな傷なんだろう?近づかないと見えない。誰なのかすら、ここからはわからない。

私は分隊から離脱し、軍医らのところへ急いだ。着ているアーマーや医療用バックパックの重さは気にならなかった。負傷者の苦しみに比べれば大したことない。彼を助けなければ・・・。
「少佐殿、今行きます!!」
私に気付いたプルキエ少佐が叫び返した。
「気管切開キットをくれ!」

プロローグプロローグ

プロローグ 終








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Posted by 野田力  at 07:00 │Comments(0)アフガニスタン

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