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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年08月05日

タスクフォース・アルトー

はじめに

7月31日、私が駐屯していたFOBトラからフランス軍部隊が完全に撤収しました。もうFOBトラにはフランス国旗は掲げられていません。そして、今年中に仏軍戦闘部隊は完全に撤退するそうです。時代が大きく動いている感じがします。

さて、今回から何回かにわけて、私が所属していた部隊構成を説明したいと思います。構成を知ったうえで体験談を読んでいただければ、より理解も深まると思います。
それではどうぞ。

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2001年10月、9.11のテロ攻撃を受けたアメリカ合衆国が世界に呼びかけ、それに応じた国々とともに派兵を開始し、アフガニスタン戦争が始まった。フランスも開戦のときから参戦している。

国連の取り決めのもと、ISAF(International Security Assistance Force=国際治安支援部隊)が組織され、NATO加盟国を中心とした国々が軍隊を派遣。アフガン国軍やアフガン国家警察とともに、アルカイダやタリバンなどのテロリストと戦っている。

ISAFはアフガニスタンを、東西南北と首都圏の5つの地域に分け、各地域ごとに指揮を担当する国際部隊を割り振った。東部地域で活動するフランス軍やアメリカ軍などの国際部隊はひとまとめに、「Regional Command-East(RC-Eと略される)」といい、「東部方面隊」とでも和訳すればよいだろうか。私がアフガニスタンに派遣された2010年1月の時点で、RC-Eの全体指揮をとるのは、アメリカ陸軍の第82空挺師団だった。

ちなみに北部は「RC-North」、西部は「RC-West」、南部は「RC-South」、そして首都圏は「RC-Capital」という。

RC-Eの担当する東部地方の中で、フランス軍の受け持つ地域は、「カピサ州」で、首都カブールのあるカブール州の北東に位置する。ここで活動するフランス軍部隊を、「タスクフォース・ラ・ファイエット」という。

「ラ・ファイエット」というのはフランスの苗字の1つだが、アメリカで第82空挺師団と特殊作戦部隊の基地「フォート・ブラッグ」のある町の名前が「ファイエット・ヴィル」なので、米兵たちにもなじみやすい部隊名だろう。

タスクフォース・ラ・ファイエットの指揮下に、2つのバトルグループがあり、それらの名称は、新たに部隊が派遣されてくる度に変わる。「ラ・ファイエット」はずっと変わらない。

我々の所属するバトルグループは「Altor(アルトー)」という名称で、フランス陸軍第11パラシュート旅団傘下の部隊を中心に構成されている。本来、「バトルグループ・アルトー」となるはずだが、なぜか「タスクフォース・アルトー」と呼ばれていた。

「アルトー」とはコルシカ語で「鷲」を意味する。我々の連隊長が名付けたそうだ。いいセンスをしている。カッコいいし、我々の連隊ならではの名称だ。第11パラシュート旅団の部隊章には鷲が中心に描かれているし、我々第2外人パラシュート連隊はコルシカ島に駐屯している。コルシカ語を起用するという発想がいい。

アルトーとは別の、もう1つのバトルグループは、「タスクフォース・ブラックロック」で、フランス陸軍の第13山岳猟兵大隊の部隊を中心に構成されている。フランスには、アルプスとピレネーの大山脈があるので、とても錬度の高い山岳部隊に違いない。彼らにとって、険しい山岳地帯であるアフガニスタン東部は、うってつけの戦場だ。

ブラックロックは、タガブ谷という、広くて南北に長い谷の北部にある「FOBタガブ」に駐屯している。一方、アルトーはタガブ谷の南側にあるスロビという町の外れのFOBトラに駐屯している。

タガブ谷からすると、「北には山岳部隊。南には空挺部隊」だ。なんと恐ろしい響きだろう。両方とも、危険をかえりみず攻めてくるような、攻撃的な性格の部隊だ。谷に潜む多くの敵は強いストレスを感じることだろう。もし私が敵の立場だったら、一目散にパキスタンへ逃げる。

←戦闘服の左肩についていた仏軍部隊パッチ
←右肩のISAF/NATOパッチ
←オーソドックスなISAFパッチ
←第11パラシュート旅団部隊章

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン