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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年07月30日

アーマー組み立てPart3

メディカルポーチのとなりには、レンジャーグリーン色のイーグル社製M60アモーポーチをつけた。米軍のM60機関銃やM240機関銃の7.62mmベルト式弾薬を収納できるよう設計されたポーチだが、ちょうどよい大きさの汎用ポーチになる。そこには、持っていると何かと便利な小物を入れた。

ペツル社製ヘッドランプ「タクティカXP」、レザーマン社製マルチツール「ウェイブ」、ガーミン社製GPS「ヴィスタHCx」、ホイッスル、小さな黒ガムテープ、3mくらいのナイロンコード、黒のバラクラバ(目出し帽)、プラスチック手錠。

GPSには、あらかじめ、FOBトラやバグラム航空基地のポジションを入力しておいた。万一、任務中に部隊からハグれ孤立しても、帰り道がわかるようにするためだ。私には地図が支給されない。分隊長以上でないと、地図がもらえない。だからGPSがあれば心強い。おおよその方角を知ることができる。

それらの小物をすべて入れても、まだスペースがあったので、ラッション(携帯糧食)の中から、ビスケットやチョコレートを何袋か取り出し、詰めた。たとえば、山岳任務で、バックパックを背中から降ろしたくないような小休止のとき、ちょうど良い行動食になる。歩きながらだって、とり出して食べられる。

アモーポーチの次は、オリーヴドラブ色のイーグル社製キャンティーンポーチをつけた。私を含め、我々のほとんどが、米軍のプラスチックのキャンティーン(水筒)を持っている。しかし、私はキャンティーンをポーチに入れず、ミネラルウォーターが入った、未開封の500mlのペットボトルを入れた。

これなら、栓が開いていない限り、中の水は清潔だと安心できる。水筒を使うと、雑菌がわくこともあるし、時々洗う必要があり、面倒くさい。通常は、ハイドレーション・リザーバーから飲み、それがカラになったら、ボトルを開けることにした。いわば、緊急用の水だ。

キャンティーンポーチのとなり、右腕側の端には、ダークグリーン色の英アークティス社製の発煙弾ポーチをつけた。発煙弾がちょうど入るようにデザインされているが、我々の多くが、バグラムで支給された個人用医療キットから圧迫包帯とモルヒネ注射器を取り出し、そこに収納していた。

ポーチのフタの外側上部にベルクロがついていて、そこに赤十字マークのパッチを貼りつけているので、例えば、自分が敵弾に倒れたとき、助けに来た戦友に、圧迫包帯とモルヒネの位置が一目瞭然だ。原則として、治療にあたるときは、負傷者本人の医療品を優先的に使用する。後で自分が負傷したら、自分のものが必要になるからだ。

アーマーの腹まわりのポーチ配列は以上だ。あとは、胸の部分にも、ポーチをつけられるスペースがある。もう少し携行品があるので、ここにもポーチが必要だ。

アーマー胸部の中央に、アドミンポーチという、小さな書類や筆記用具を入れるポーチをつけた。イーグル社製でレンジャーグリーン色だ。中には、メモ帳、4色ボールペン、油性マジックを入れた。

アドミンポーチの右腕側のとなりには、個人用医療キットに入っていたアメリカ製の止血帯「SOF-TT(ソフティー)」を、私はセロハンテープで固定した。多くの兵士が2本の輪ゴムで固定していた。止血帯は、戦場救命で非常に重要な装備品で、誰にでもすぐに見つけられる位置に携行しなければならない。

圧迫包帯やモルヒネのように、負傷者には負傷者自身の止血帯を使用する。両足をやられた場合は、負傷者の止血帯だけでは足らないので、救助に向かった者は、自分自身の止血帯を提供しなければならない。あくまで、「まずは負傷者の医療装備を使う」という、優先順序の問題だ。

止血帯を固定する位置は、胸のあたりだけでなく、人によっては、肩の部分につけたり、腹の前につけたりしていた。とにかく、目につく位置に保持することが大切だ。理想を言えば、皆が同じ位置に固定することが望ましい。しかし、人によって、扱いやすいポーチ配列が異なるので、一致しないのは仕方がない。

アドミンポーチの左腕側のとなりには、イーグル社製の手榴弾ポーチをつけた。これもまたレンジャーグリーン色だ。手榴弾の支給を私は受けなかったので、キャノンのデジカメを入れた。

アフガニスタンのような、多くの国籍が参戦している大規模な戦争に来るチャンスはあまりないので、いろいろと写真に撮りたい。ほんの少し、戦場カメラマンになった気分だった。

「余計なものを持って行くな」と思う人もいるかもしれないが、実は、部隊が現場で何かを写真におさめたいとき、個人のカメラを使うことがある。だから、堂々と携行できる。

カメラを持っていると、よく、「ノダは本物の日本人だなぁ」と、いろいろな国籍の同僚たちが言ってくる。世界の名所へカメラを持参し、写真を撮りまくる日本人観光客の強いイメージがあるので、皆がからかってくるのだ。しかし、私が外人部隊で見てきた限り、最も写真を撮っていたのは、ロシア出身の同僚たちだった。

アーマーの全ポーチ配列が終了した。背面には何もつけない。バックパックを背負うことがあるし、装甲車の運転席についたとき、せっかくの背もたれが不快になっては困る。
これで私は、歩兵としての機能を発揮できる準備が完了した。明日、医療装備の支給を受ければ、衛生兵の機能が加わる。本日の仕事は終わった。夕食を食べ、短いミーティングで明日の予定を聞いたあと、シャワーを浴びて、歯を磨き、小便をして、寝るだけだ。iPodでエルヴィス・プレスリーや鬼束ちひろを聴きながら。




←アーマーベストの内容物

つづく


  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(8)アフガニスタン

2012年07月25日

アーマー組み立てPart2

はじめに

学生のかたがたにとって、夏休みシーズンに入りました。それに合わせて、8月末日まで連載の更新を1、5、10、15、20、25、30日に行ないたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

それでは、連載にうつりましょう。ここ数回に分けて、私のアーマーのポーチ配列や、そこに収納した装備について書いてまいります。

――――――――――

弾薬の入れ方にも工夫を凝らした。支給された弾薬には、弾丸先端の数ミリが赤く塗られた弾薬が混ざっていた。曳光弾だ。私は、すべての弾倉内のトップから4~5発を曳光弾にした。そうすれば、もし私が敵を最初に発見し、発砲を始めた場合、曳光弾の放つピンクの小さな光が、他の兵士たちに敵のいる方向を伝えてくれる。

兵士の中には、各弾倉の最後の数発を曳光弾にして、弾が切れるサインとして使う者もいた。私は、自分が撃っている曳光弾を視認するのが不得意だったので、この方法はやらなかった。

最初と最後の両方に、数発の曳光弾を込める者もいるいっぽう、当然、何も考えず、曳光弾を無作為に混ぜたまま装填する者もいた。曳光弾の込め方については、何の指示もなかったのだ。

あるとき、ベラルーシ出身のヴァルダ伍長は、いきなり私に弾倉を見せてきた。トップから曳光弾が見える。彼は言った。
「へへへ。曳光弾をかき集めて、この中の25発すべてを曳光弾にしてやった。ヒヒヒ。連射したらキレイだぞ。」
花火じゃないんだぞ、と思ったが、おもしろいアイデアだとも思った。マネはしないが・・・。曳光弾をひとまとめにして興奮するヴァルダは変態だ。まあ、友軍兵士や非戦闘員を誤射しなければ、別にいい。

3つの弾倉ポーチを並べたあと、それらの左腕方向のとなりには、トゥルースペック社の「キャンティーン/ユーティリティー・ポーチ」をつけた。暗視装置に、クッション代わりとして、緑色のネックウォーマーを巻き、そこに入れた。クッションが必要なほど、暗視機能自体は脆くはないが、ヘルメット・マウントに接続するアダプターの部分などは少々脆く、割れると頭部につけられず、常に片手で暗視装置を眼の前に保持しなければならなくなり、確実に任務に支障をきたす。

トゥルースペック社ポーチのとなりには、OD色のイーグル社M4弾倉ポーチを1つ配置した。中には弾倉は入れず、発煙弾を入れた。発煙弾は、日本で売っている缶コーヒーの長い缶に近いサイズだ。

手榴弾と同じように、リング状の指掛けのついたピンを抜き、仏語で「Cuiller(スプーンの意味)」と呼ばれるレバーが外れてから数秒後、「シューッ、モクモクモク・・・」っと、煙が噴き出てくる。正確な持続時間は知らないが、5分くらいは噴きつづけると思う。私の知るかぎり、煙には、白、緑、赤、黄色がある。私のは「白」だ。

発煙弾は、ヘリコプターなど、遠くから見ている味方に位置を知らせるために使用したり、狙ってくる敵の視界を遮るための煙幕などに使用できる。洞穴とか家屋に隠れる敵を出てこさせるのにも使えるかもしれない。

以上が、アーマーの左腕側のポーチ配列だ。次に右腕側に移ろう。

まず、腹部前面の右腕側寄り、さきほど最初につけたM4弾倉ポーチのとなりに、レンジャーグリーン色のイーグル社製メディカルポーチをつけた。

中には、救急隊が患者の衣服を切るために使うハサミや、折り畳まれてコンパクトになっているエマージェンシー・ブランケット、小さく丸めた医療用の使い捨てゴム手袋2組、グルグル巻いて小さくした、バンドとクリップだけで構成された仏軍の従来型の止血帯2個、そして、バンドエイドと消毒液ガーゼの小袋を数個ずつ収納した。バンドエイドのような、小さな傷に対処する医療品も必要だ。戦場では、小さなケガをすることもある。

さらに、まだ支給されていないが、「クイッククロットACSプラス」という、出血部位を凝固させる医療品も、手に入り次第、収納する予定だ。

なお、ハサミには、日曜大工用品店「コメリ」で購入した小さなランヤードをつけた。電話の本体と受話器をつなぐスパイラル・コードと同じ形で、伸縮性がある。一端をハサミの柄につなぎ、もう片端をメディカルポーチ内部に縫いつけてあるナイロンコードの小さな輪につないだ。ハサミをつかんで腕を真上に思いきり伸ばせるくらいの長さだ。

これでハサミを紛失する心配はない。落としても、ぶらさがる。ランヤードを引いて、たぐり寄せればいい。

2007年1月、私が衛生兵になったばかりの頃、当時、我々の連隊にいた軍医が、「ハサミにランヤードをつける」というアドバイスをくれた。そのとき以降、私はそうしている。

かつて、その軍医が中央アフリカで任務についていたとき、夜間の戦闘で負傷者が発生。その処置の際、衣服を切るため、ハサミを使用した。その後、彼はハサミを落とし、それにはランヤードはついていなかった。夜の暗さと密生した草のせいで、ハサミは見つからなかった。そのときの教訓を軍医は我々に伝えた。

←アーマーに入っている防弾プレート

←エマージェンシーブランケット、医療用ハサミ、医療用グローブ(白、黒)

←フランス軍のオールドスタイルな止血帯

←クイッククロットACS+(上の大きなティーバッグのような物体が内容物本体)

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(6)アフガニスタン

2012年07月20日

アーマー組み立てPart1

はじめに

小中高校など、学生にとって夏休みシーズンに入ります。夏休みシーズンのあいだ限定で、アフガン連載の更新を5日おきにしようかと思います。ですので、次回更新は25日を予定しています。

それでは連載のつづきをどうぞ。

――――――――――

「アーマーにポーチを装着しろ。それで今日の仕事は終わりだ。」
個人装備各種を受け取ったあと、上官が言った。

我々はそれぞれの部屋へ行き、アーマーの入ったバッグをつかみ、表へ出た。狭い室内よりもスペースがあるし、太陽のおかげで明るい。フランス人のぺリシエ伍長と一緒に作業をした。

ぺリシエは南仏ニース出身で、フランス正規軍の試験に落ちたので外人部隊に入隊した。私より2年あとに入隊した後輩だが、フランス語でわからないことがあれば、私は彼を頼った。嫌な顔をまったくせず、わかりやすく教えてくれる。

当然、彼はフランス語を母国語とし、口が達者なので、新兵のころ、上官からの命令に「なぜそんなことをやる必要があるのですか?」と、頻繁に質問をぶつけた。外人部隊では禁句だ。当然、懲罰のトイレ掃除や腕立て伏せをさせられる。そのたびに、「こんな部隊、脱走してやる」と文句を言うが、結局とどまり、同じ禁句と懲罰のプロセスを繰り返していた。

やがて、いくらシゴかれても、改心も脱走もしないぺリシエの根性を上官たちは認めた。一転して所属小隊のムードメーカーとなり、笑いの中心になった。いろんなことを豪語するが、実際にはへタレなところが滑稽だった。

2007年、ジブチに派遣されたとき、近くに駐屯しているアメリカ軍について話をしていたら、「おれは英語が話せるんだぞ」とぺリシエが自慢を始めた。

「じゃあ、英語で会話しよう。Hi, what’s your name ?(やあ、名前は何 ?)」
私が言うと、ぺリシエは期待に応えた。
「Hello. Yes...yes...yes. Fly away ?(ハロー。はい・・・はい・・・はい。飛んでいくの?)」

“Fly away”に私は大笑いした。名前を聞いているのに、なぜ「飛んでいく」という言葉が出てくるのだ!
今やぺリシエは立派な伍長・衛生兵になり、アフガニスタンでは、中隊長付きの衛生兵を務める。

私はぺリシエと、パラクリート社アーマー「RAV」の組み立てを始めた。バッグのジッパーを開けると、コヨーテタン色のアーマー本体が入っており、バッグの内壁には、MOLLE(モーリー)システム対応のモジュラーポーチがズラッと並んだ状態で、取り付けてあった。ポーチ類はすべて「スモークグリーン」という灰色に近い緑色で、アーマー本体の色とは異なる。

私はぺリシエに聞いた。
「アーマーとポーチの色が違うのはなぜだろう?」
「グリーンとタンを組み合わせて、迷彩柄にしたいんだろう。」
多分そうだろう、と私も思っていた。しかし、バックパックのBMFがACU迷彩やフォリエッジ色なのは、どう説明がつく?

戦闘服は森林迷彩。アーマーはタン。ポーチは緑。リュックは灰色。制式採用装備がこんなに統一感のないカラーコーディネーションなのは、国際部隊の中でも、フランス軍だけだろう。

アーマー本体には防弾プレートとソフトアーマーが内蔵され、ズッシリと重かった。プレートは防弾レベル「NIJ レベル4」で、敵がよく使うAK47の7.62mm弾にも対応しており、ソフトアーマーは、爆発物の破片や、ピストルやサブマシンガンの9mm弾から守ってくれる。

付属ポーチ類には弾倉ポーチや汎用ポーチ、無線機ポーチ、手榴弾ポーチなど、いろいろあった。皆、自分たちの使いやすいように、各種ポーチを配置した。使い慣れた自前のポーチを装着する者もいた。

私を含め、FAMASを持つほとんどの兵士に共通している配置は、弾倉ポーチの位置だ。アーマー前面、ちょうど腹の部分から、利き腕とは逆側の側面にかけて、弾倉ポーチを3つ、4つ、装着する。

こうすれば、利き手で銃把を握りながら、もう一方の手で、無理なく、弾倉をポーチから抜き、銃に差し込むことができる。利き手を銃把から放さないほうが、弾倉交換のあと、より素早く撃つことができる。

私は右利きなので、アーマー前面から左腕方向に向けて、弾倉ポーチを3つ並べた。ただし、パラクリート社の付属ポーチではなく、3年ほど前から使っている米国イーグル社の弾倉ポーチを装着した。色は、スモークグリーンによく似た「レンジャーグリーン」という色だ。

このイーグル社のポーチには、1つにつき、3本のFAMAS弾倉が収納でき、合計9本の弾倉を私はアーマーに保持することができる。パラクリート社のポーチには、2本しか弾倉が入らず、9本の弾倉を携行したい場合、5つのポーチが必要になる。弾倉ポーチ以外にも、アーマーに装着しなければならないポーチ類はたくさんある。そのためのスペースが要るので、イーグル社のポーチは重宝した。

弾倉をポーチに入れる向きには注意を要する。弾倉は、弾薬が見えるトップの部分を下向きに、なおかつ、弾丸が前を向くかたちでポーチに差し込む。そうすれば、弾倉をつまんで引き出し、手首を少し回したとき、銃に装着するのに正しい方向を向いた弾倉を手にしている状態となる。

この方法が標準的な弾倉収納方法となっており、私も新兵の頃に教わった。1度、不注意で逆向きに差し込んでいたのを見つかったことがある。「バカタレ!」と、頭を叩かれた。

あれから4年以上が経ち、今、アフガニスタン戦争で、弾倉をポーチに差し込んでいるのだが、怒られた当時と同じ向きで弾倉を入れた。トップが上を向いている。これには理由がある。

私は救急装甲車の運転手を務めることになっているのだが、運転席に乗り込むとき、どうしても弾倉ポーチの下部が車体内側にコンコン当たってしまう。標準的なやり方で弾倉を収納したら、トップの部分が固い車体で変形してしまい、装弾不良の原因となる。弾倉交換は速くできたが弾が出ない、という状況は訓練のときだけで結構だ。

そうなることを避けるために、敢えて差し込む方向を逆さにするのだ。弾倉交換には少々時間がかかるが、弾は出る。

向かって左から、ナチェフ、私、ぺリシエ


パラクリート社RAVフルセット

つづく
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Posted by 野田力  at 07:00Comments(5)アフガニスタン

2012年07月10日

装備支給

はじめに

もうすぐ7月14日です。7月14日はフランスの革命記念日で、アメリカでいう7月4日のような大祝日です。パリのシャンゼリゼ通りで軍事パレードが開催され、騎馬隊、外人部隊、歩兵、工兵、警察、消防、装甲車、戦車など、あらゆる兵科が行進します。しかも上空を航空機が「パレード」します。

私の中隊は2009年にパレードし、私自身も参加しました。シャンゼリゼのド真ん中を威風堂々と歩くことは貴重な経験で、楽しかったです。

何よりも楽しかったのは、課業時間外にパリ市内を観光したりできたことです。スロバキア人やネパール人の後輩たちを「日本人街」の和食レストランへ案内し、一緒にチキンカツ定食を食べました。スロバキア人が私に言った感想は、「美味しかった。あなたが日本人だからそう言ってるのではなく、本当に美味しかったです」でした。



それではアフガンシリーズの続きに参りましょう。

――――――――――

弾薬・弾倉の次は、各種個人装備を支給された。小型バックパック、ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)、ゴーグル、ニーパッドなど。

我々は米国キャメルバック社製の中型バッグ「BMF」、もしくは「マザーロード」というモデルのオリーブドラブ色を持参していたが、フランス軍はアフガニスタンに派遣される兵士に、ある中型バックパックを支給していた。

そのモデルは、我々が持参していたものと同じキャメルバック社のBMFだった。ただ、色が違った。「フォリエッジ」という灰色、もしくはACU迷彩だった。私はACUのBMFを渡された。我々は米軍ではないのに、不思議な色の選択だ。

色はさておき、BMFは頑丈だし、機能的で使いやすい。我々の前にいた部隊が使い古していたので、表面が擦れたり、色褪せていたが、まだまだ使える。それに、今までオリーブグリーンのBMFを使っていたので、ACUは新鮮で気分転換になる。使い慣れたオリーブグリーンがいいという者は、持参したBMFを使えばいい。



ハイドレーション・リザーバー(背面水筒)は、さすがに新品が支給された。こればかりは中古を配ったりはできない。衛生上、問題になる。

ハイドレーション・リザーバーに関しては、キャメルバック社が有名だが、我々が受け取ったのは、ブラックホーク社のリザーバーだった。約3リットルの水が入る長方形の袋から、チューブが伸び、その先にゴムのバルブが付いており、噛んで吸うと水が出る仕組みになっている。

リザーバーをバックパックに入れ、チューブだけを体の前面に回して飲むという装備だ。これなら、走りながらでも飲める。さらに、装甲車運転席の天井に吊るせば、運転中、前を見ながらでも飲める。

我々の多くがキャメルバックのリザーバーを持参していたが、どちらでも好きな方を使えばいい。私はキャメルバックを使うことにした。口をつけるバルブに保護カバーがついているからだ。

アフガニスタンは土埃が多いので、バルブが埃だらけになるのは確実だ。いくら埃にまみれても、カバーさえ外せば、清潔なバルブがあるというのはありがたい。

ゴーグルは、信頼できるモデルが支給されたが、前任部隊のやつらに酷使され、レンズが傷だらけになっていて、装着すると視界が遮られた。こんなものを使うと逆に危険だ。

私はもともと自前のゴーグルを持参していた。米国ESS社製「プロファイル」のアジアン・フィット版だ。アジア人の顔にフィットするよう設計されたモデルなので、私の顔にも隙間なくフィットした。

オリジナルのプロファイルならば、鼻と額中央のあたりに隙間ができる。そこから土埃が入ってきては困る。私がゴーグルを着用する1番の目的は、爆発物の破片などから目を保護することだが、破片と埃の両方に対して効果のあるアジアン・フィットは理想的だった。

他の兵士たちも自前のゴーグルやシューティング・グラスを持っていた。米国オークリー社、米国ワイリーX社、フランスのボレー社など。誰だって目を守りたい。皮膚に破片が軽く突き刺さるくらいなら、やがては治るが、瞳をやられたら、失明してしまう。



ニーパッドも支給された。しかし、膝に固定するためのエラスティック・バンドが伸びきっていて、ヨレヨレだった。固定したい位置にうまく固定できない。こんなもの、いらない。

結局、ニーパッドは一切使わないことにした。迷彩ズボンの膝の部分が、保護パッドを入れられるように、ポケット状になっていたので、ウレタン製のスリーピング・マットを適当なサイズに切って、そこに入れることにした。

釘などが上を向いて出ていたら、貫いて膝に刺さるが、滅多にないことだ。ゴツゴツした岩肌に膝をついても痛くなければ、それでいい。立派なニーパッドがないなら、このように即席で作るしかない。

良好なエラスティック・バンドのついたニーパッドを支給された好運な兵士は、通常使用のとおり、膝に装着し、中には、エラスティック・バンドを切り取ったニーパッドを、ズボンの膝部分に挿入する者もいた。

私がスリーピング・マットからハサミでパッドを切り出していると、ルームメイトのナチェフがのぞき込んで言った。

「おい、ノダ。いいもん作ってるじゃないか。それ、余分にないか?」

つまり、“俺にも作ってくれ”という意味だ。私は即座に答えた。

「ああ。ちょっと待ってくれ。」

ナチェフはいい奴なので、作ってやりたい。

自分のために切り出していた最初のパッドをナチェフにやり、その後、自分のぶんを作ることにした。ナチェフは「Merci (メルスィ= ありがとう)」と言い、膝にあるベルクロ式開閉口をジャリジャリッと開けて、さっそくパッドを入れて試した。

「ノダ、ピッタリだ。上手に作るもんだな。」

当然だ。定規で図って切り出すという手間をかけているんだから。大事に使ってくれよ、ナチェフ。

←私のキャメルバックBMF OD

←コルシカ島での山岳行軍で、BMFやマザーロードを背負う第3中隊のメンバーたち

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(7)アフガニスタン