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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年06月30日

私のFAMAS

はじめに
テレビのニュースで聞いたのですが、東京の西新井駅周辺に「おれは元外人部隊だ。お前らのために戦争に行った。もっと敬意を払え」と言って、タクシーの運転手に絡んでくる男が出没するそうです。
決して私ではありません。迷惑な話です。
さて、前回は、一般的な戦闘員たちに弾薬が支給されたことについて書きました。今回は私に支給された弾薬と私のFAMAS小銃について書きたいと思います。
どうぞ。

――――――――――

戦闘員たちは立派な火力を得た。一方、私はというと、12個の弾倉は受け取ったが、弾薬は270発だった。満杯25発入り弾倉10個と20発入り弾倉1個分になる。あとは発煙弾を1個。戦闘員に比べると、火力は劣る。私は衛生兵で医療装備を携行するから、そのぶん弾薬が少ないのは仕方がない。

ただ1つ不思議なことがあった。私のFAMASは最もシンプルな原型バージョンで、光学照準器を付けるマウントが設置されていなかったのに、エイムポイントが支給された。どうやって装着しろというのだろう。

ガムテープで固定してやろうか、と冗談で考えたが、実際そんなことをしても、1発撃つ度にエイムポイントがグラつき、照準調整ができないし、貧乏くさい。結局、エイムポイントは返却し、光学照準器のないFAMASで頑張ることにした。

実際、アイアンサイトでもじゅうぶん戦える。イギリスのドキュメンタリー番組で見た、英海兵隊特殊部隊SBSも、光学照準器なしのC8(カナダ製のM4コピー)で銃撃戦を戦っていた。その映像を思い出し、「私はそのSBS隊員と同じなんだ」と自分に言い聞かせたら、逆にモチベーションが上がった。

そして「逆に少し軽くなったからいいじゃないか」とも思った。数日後には、もっと軽くしたくなり、二脚を外した。FAMASの二脚が本領発揮するのは、休憩時などで地面に置く時だ。銃を横倒しに置かずに済み、ほとんど汚すことなく置ける。

確かに二脚は、伏せて狙うとき、安定するが、そんな落ち着いて狙う機会はそうそうないので、実際はあまり使用することはない。我々が任務を遂行するのは射撃場ではない。

私はFAMASにオリーブグリーンのナイロン製2点スリングを付けた。部分的に内蔵されたゴムひもが伸縮するので、首に掛けて歩いたり走ったりしても、首への負担が軽減される。他にも何人かの兵士がコルシカの駐屯地の売店で同じ物を購入していた。

もともとFAMASには古い素材の2点スリングが付いているが、ほとんどの兵士が別のスリングを使用していた。私のように2点スリングの者もいれば、1点スリングの者もいた。私は、医療行為をするとき、FAMASを背中側に回して背負う必要があるので、2点スリングにした。

1点スリングだと、FAMASを放して医療行為をやろうとすると、銃が胴体の前に留まったり、横にどかしても、ブラブラして邪魔になる。FAMASを体から離して、地面に置くのは論外だ。両手放しでも、FAMASが自分についてくるようにしないと駄目だ。

フランス北部の医療教育部隊で受けた、戦場救命課程のある想定訓練のとき、私はFAMASを地面に置いて、負傷兵の治療に当たっていた。そこに敵襲が来て、私は負傷兵を両手で掴み、急いで別の遮蔽物まで避難した。FAMASは置き去りとなり、私は丸腰になった。「衛生兵は2点スリングを使え」という規定はないが、私は訓練の失敗を教訓にした。

私のFAMASを見たチリ人で私の親友のエステバン伍長が言った。
「リキ、お前のFAMASを持たせてくれ。」

エステバンはチューンナップされたMINIMIの担当だ。私がFAMASを渡すと、彼はニッコリ笑い、キレイに並んだ白い歯を見せながら言った。
「おい!このFAMASはオモチャか?軽過ぎるぞ!おれのMINIMIを持ってみろ。」

私は地べたに置いてあるMINIMIを拾い上げた。オリジナルの7.1㎏のMINIMIには慣れていたが、このMINIMIは、一瞬、目を見開いてしまうほど重かった。10㎏以上に感じた。私は、自分がMINIMI射手でなくてよかったと思い、ニヤニヤしながら言った。
「お前は大きいから大丈夫だ。がんばれ。」

エステバンは身長185㎝ある。うまくMINIMIを扱うだろう。私は身長165㎝なので、軽量化FAMASでいい。

なお、エステバンは私より10ヶ月遅く入隊した。分別とユーモアのある男で、一緒に仕事をしていて気分がよく、すぐに仲良くなった。小太りだが、持久走も綱登りも速く、戦う勇気を持ち合わせているので、ともに戦争に行きたいと思える仲間だ。

以前に派遣されたコートジボワール、ジブチ、ガボンでも一緒だった。そして今、アフガニスタンで彼とともに戦えることが、私は嬉しかった。

エステバンのミニミを構える私

エステバンと私

フランス北部の医療教育部隊で受けた訓練の一コマ 2009年5月

つづく

アフガン体験記は毎月10日、20日、30日に更新します。ご意見・ご感想など、お待ちしています。  


Posted by 野田力  at 07:00Comments(5)アフガニスタン

2012年06月20日

弾薬の支給

はじめに

先日、私が以前所属していた第2外人パラシュート連隊の現役日本人2名に会いました。狙撃課程やアフリカなどの土産話を聞き、まだまだ軍隊を経験したいと思いました。2人のことが羨ましかったです。

今週金曜日、22日から公開の映画「ネイビーシールズ」、楽しみですね。必ず劇場で観たいです。

それでは本文にうつりましょう。
どうぞ。

――――――――――

昼食時の興奮が冷めやらないまま、我々は弾薬・弾倉を受け取りに行った。銃があっても、弾薬がなければ仕方がない。私はこの時を待っていた。

FAMASを持つ戦闘員は1人につき、300発の5.56mm弾薬と12個の弾倉を受け取った。1つの弾倉に25発入るので、12個の弾倉に弾薬300発がすべてピッタリ収まる。(バネのことを考え、装弾数を22~23発にとどめる者もいた)

彼らには、さらに手榴弾、発煙弾、FAMASの銃口に取り付けて発射する擲弾が支給された。中には、LGI(個人用擲弾発射器)や使い捨てのAT4ロケットを携行する者もいた。

ちなみに、「AT4」という名称の由来だが、私の後輩がフランス陸軍の武器庫管理の課程で教わったことによると、「AT4=エイティフォー」は「84」という意味で、84mm口径を表しているという。

私は基本訓練でAT4を習ってから、長いこと「Anti-Tank(対戦車)4」だと思い込んでいた。お恥ずかしい・・・。しかし、フランス語では「アー・テー・カトル」と読むので、「84(カトルヴァン・カトル)」という意味ではなくなる。

MINIMI(ミニミ)軽機関銃射手や、AANF1(アーエネフ・アン)汎用機関銃射手も多くの弾薬を受け取った。MINIMIに関しては、30発弾倉や100発ベルト式弾薬用の箱型弾倉の他、200発ベルト式弾薬用の箱型弾倉まで支給された。

MINIMIは5.56mmのベルギー製軽機関銃で、私自身、新兵の頃、小隊に配属されると、まずMINIMI射手を担当した。扱いやすく、頼もしい武器だ。固定式銃床・長い銃身の歩兵仕様と、伸縮式銃床・短い銃身の空挺仕様があるが、フランス軍では空挺仕様のみを採用している。

中隊はアフガンでの任務に合わせ、その空挺バージョン数丁をチューンナップした。M4小銃のような伸縮式銃床やピカティニーレイルが設置され、エイムポイントと望遠器、そしてフォアグリップが取り付けられた。しかも、フォアグリップには小型の二脚が内蔵され、必要に応じて二脚を引き出すことができる。もともとMINIMIに付いていた長い金属製の二脚は外された。そのうち何丁かに黄土色の塗装も施され、まるで米軍特殊部隊が使う武器みたいで、カッコいいと思った。

中には、チューンナップされていないMINIMIを担当した射手も2人ほどいたが、見た目では劣っていても、「J4」というフランス製の4倍率スコープが付いているので、性能にはそんなに差は無いだろう。しかも、実はこのオリジナルの方が重量は軽い。

一方、AANF1は、7.62mm口径のフランス製機関銃だ。1950年代から使われている古いモデルで、グリップの持ち心地などが悪く、扱いにくいので、人気がなかった。しかも、何度か故障するのを見たことがある。

しかし、あくまで7.62mm口径の機関銃だ。火力があり、作動さえしてくれれば、大いに頼りになる。新しい部品を使うなり、こまめに手入れをするなりして、しっかり作動させるよう、努力するしかない。アフガニスタンで使用するAANF1 には、古い部品は使われていないだろうから、故障せずに、心強い支援火器になるだろう。

FAMAS原型

AT4

MINIMI
一番右のMINIMIには個人購入の二脚が付けられている。


AANF1

弾薬・手榴弾

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(12)アフガニスタン

2012年06月10日

フランス兵4名戦死

昨日、6月9日、アフガニスタン、カピサ州ニジラブで自爆テロがあり、フランス兵4名と通訳のアフガン人1名が戦死しました。
負傷者は5名で、そのうち3名が重傷だそうです。
アフガン当局の発表では、犯人は男性ながらも、女性用民族衣装「ブルカ」を着用し、フランス軍の車列を狙い、犯行におよんだそうです。

フランスのオランド新大統領は、今年末にはアフガニスタンのフランス軍の「戦闘部隊」を完全撤退させることを表明しています。ロジスティック部隊やアフガン兵・警察を訓練する部隊は留まる計画のようです。

今回の戦死者で、アフガニスタン戦争におけるフランス軍の戦死者数は87名となりました。

なお、私が任務に就いていたのはニジラブよりも南の地域で、ニジラブへは行ったことがありません。


(写真はイメージです。自爆テロを受けた車列ではありません。)  


Posted by 野田力  at 16:44Comments(2)

2012年06月10日

FOB食堂

はじめに

現地時間の6月2日、夜。アフガニスタンでイギリスSASが人質救出任務を成功させたそうです。イギリス人女性1名を含む、合計4名の民間人が救出されました。誘拐犯たちは殺されたそうですが、メディアにより人数が異なります。「4人」やら、「8人」やら、「11人」やら、いろいろです。米軍特殊部隊DEVGRUとの合同任務だったという情報もあります。
ともかく、任務成功、おめでとうございます。さすがです。

それでは、アフガン記のつづきをどうぞ。

――――――――――

昼食の時間になった。ここはバグラムとは違って、敵に近い前方なので、あまり良い食事は期待できない。ラッション(携帯糧食)より美味ければいい。そう思いながら、銃をロッカーにしまい、鍵をかけ、何人かの同僚たちと一緒に食堂へ行った。

食堂は結構大きかった。面積は、縦50m×横30mの1500㎡くらいだと思う。社員食堂や学生食堂のような感じで、入ると、手を洗うための洗面台がいくつかある。ハンドソープも設置してあり、しっかり手を清潔にできる。下痢を予防するため、手洗いが推奨されていた。私も必ず手を洗った。衛生兵が不注意で下痢になったら面目ない。

手を洗い、備え付けの紙で手を拭くと、食堂従業員のいる食事配給のところまで進む。トレイや食器を取り、メニューを見たら、心が躍った。バグラムの食事に匹敵しそうなくらい豪華なメニューだった。しかも、いくつか選択肢がある。例えば、ハンバーグ、フライドチキン、ビーフステーキから1つ、パスタ、ライス、フライドポテトから1つを選び、従業員に告げると、それらを皿に盛ってくれる。

従業員は、やはり、インド人やネパール人やアフガン人だった。そこの管理者として、一人の南アフリカ人の色の浅い黒人がいた。食堂全体の管理者はフランス人の中年男性だったが、厨房にいたり、食事配給場所にいたり、忙しそうにしていた。

メニューを皿に盛ってもらったら、サラダバーとデザートバー、そしてチーズバーがある。文字通り、好きなだけ取れるし、種類もいくつかある。サラダはグリーンサラダ、ラディッシュ、豆サラダ、他。デザートはケーキ、ムース、ピーカンパイ、みかん、他。チーズはカマンベール、ロックフォール、チェダー、他。
スライスされたフランスパンも自由に取れたし、マヨネーズ、ケチャップ、タバスコやウスターソースなどの調味料もバリエーションがあった。そして、缶ジュースやミネラルウォーターもあった。コーラやスプライト、そしてファンタ・オレンジなどがあったが、缶ジュースに関しては、「1人1缶のみ」という注意書きがあった。

申し訳ないが、ジュースのそばに見張りでも立たせておかないと、必ず誰かが余分に持って行く。注意書きは効果がない。しかし、私自身はそのルールを守った。糖分をとり過ぎるのは健康に良くないからだ。

こうして、メニュー・フルコースをトレイに載せ、長いテーブルの席につき、食べる。まさか、FOBでこんなに質量のすばらしい食事ができるとは思ってもみなかった。何が一番嬉しかったかというと、豊富なサラダだった。野菜はとても健康にいい。癌になる率が減少するとテレビで聞いた。

コルシカ島の駐屯地の食堂では、サラダがほとんど出ず、揚げ物など、油っこい物が多く出る。我々の体に何かを発病させたいようだ。戦場の食事の方が美味しくて健康に良いなんて信じられない。

われわれは感動しながら、その食事に舌鼓を打った。すると、ナチェフが言った。
「ここの味に慣れたら、もう連隊の食堂ではマズくて食べられなくなるぞ。」



我々が談笑しながら食べていると、6名の、私服を着た集団が入ってきた。青のジーパンやベージュのカーゴパンツをはき、黄土色のフリースジャケットや紺色のジャケットを着ている。我々フランス兵は、食堂へは、ちゃんと迷彩服上下を着用しないと入れない規則になっていた。

「この人たち、もしかして・・・。」と、私は思った。皆、白人で髭を蓄えている。鼻髭だけの者もいれば、アゴ全体に髭を生やした者もいる。身長は170㎝から190㎝くらいとまちまちで、体格も細身から中肉まで、いろいろだ。

何人かの腰には、ヒップホルスターに収まったベレッタM9拳銃が見える。使い古されており、金属部分の色が落ち、灰色になっていた。

私はナチェフと他の同僚にささやいた。
「見ろ。米軍特殊部隊だ。」

皆で憧れのまなざしを送った。我々の誰もが、特殊部隊になることがどんなに大変なことか理解している。その選抜試験をクリアして、特殊部隊として活躍している彼らは当然優秀だ。偶然とか、人手不足なんかで、特殊部隊になれるわけがない。それはどの国でも同じだろう。米軍でも、仏軍でも、英軍でも、自衛隊でも。

私は米軍特殊部隊をチラチラ見つつ、芸能人かスポーツ選手を見ているかのように、ワクワクしながら食事を続けた。「近々彼らに話しかけよう」と思った。そして、食べ終わると、トレイを返却口に置き、食堂を出た。アフガンでは、普通の食堂ですらエキサイティングだ。

ちなみに、朝食はイギリス式朝食で、ソーセージ、スクランブルエッグ、ベーコン、シリアル、フルーツ、クロワッサン、フランスパン、バター、ジャム、コーヒー、紅茶などがあり、ボリューム満点だった。
FOBトラでは、朝昼晩、毎食が大きな感動だった。


↑食堂の従業員たち。普段は屋内の調理場で調理をするが、この写真を撮った日は何かの祭典でバーベキューがふるまわれた。肉だけでなく、バーベキューコンロにも注目。鉄杭を溶接して作った土台、ドラム缶を半分にカットした本体、バスチョンウォールの金網を切り出したグリル。フランス軍おなじみのバーベキューコンロだ。

つづく

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Posted by 野田力  at 07:00Comments(0)アフガニスタン